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禅宗と景教(劫火洞然)

<スライドショー:劫火洞然>

今回は《碧巌録》第二十九則の『大隋劫火洞然』の公案とイエスの終末預言、そして反ユダヤ主義の淵源に参じて見ましょう。

劫火洞然
その昔、四川省大隋山の法真禅師(834-915)に、一人の学僧が「劫火(ごうか)洞然(どうねん)として、大千ともに壊(え)す。未審(いぶか)し、這箇(しゃこ)、壊すか、壊さざるか?」と質問した。
この僧は、終末には、燃えさかる劫火により全てが焼き尽くされると言う古代インドの宇宙観に基づき、禅宗が肝心要とする『シャコ(ここのところ)』、つまり『本来の面目』、キリスト教徒の言う『真理の御霊』あるいは『聖霊』も「消滅するのか」と聞いたのである。
ちなみに、四川省東川塩亭県出身の法真禅師は、中国の唐朝末期から五代十国の時代に、潙山霊祐禅師(771-853)を初めとする全国60以上の大善知識に教えを請い、最終的に百丈懐海禅師の弟子長慶大安禅師の法を嗣ぎ、四川省の大隋山に住していた。

四劫
古代のインド人は、一千の小世界から成る三千の大世界により構成されたこの世は、①『成劫(クリタユガ:生成)』、②『住劫(トレーターユガ:保持)』、③『壊劫(ドヴァーユガ:壊滅)』、④『空劫(カリユガ:無)』と言うプロセスを辿ると、考えていたようだ。
古代インドの宇宙観を大上段に振りかざして、禅宗の根本理念『本来の面目』も消滅するのかと言う学僧の問いに、大隋禅師は、あっさり「壊す」と答えた。
その僧は「いんもなれば、他に随って去るや」、つまり「大千世界と一緒に無くなってしまうのか」、と重ねて聞いた。
大隋禅師は、「他に随って去る」、「その通りだ」と答えた。

修山主禅師の答え
ちなみに、北宋(960-1127)の時代に別の僧が丹霞子淳禅師(1064-1117)の法嗣隋州修山主禅師に同じ質問をしたところ、修山主禅師は「不壊(ふえ)」と答えた。この僧が「なぜ不壊か」と質すと、修山主禅師は「大千世界と同じだからだ」と答えた。この答えは一般常識からすれば、論理的に矛盾している。いずれにしても大隋禅師は、「シャコも大千世界と同じように消滅する」と言い、修山主禅師は「シャコは大千世界と同じだから消滅しない」と答えた。








投子禅師の開示
大隋禅師の答えに納得できなかった先の僧は、はるばる河南省舒州桐城の投子山に赴き、翠微無学禅師の法嗣投子大同禅師(805-914)を尋ねた。投子禅師から「今まで何処に居た」と問われた僧が、「西蜀の大隋です」と答えると、投子禅師は、「大隋はどんな話をした」と重ねて聞いた。そこでこの僧が前述の問答の模様を話すと、投子禅師は、焼香礼拝し、「西蜀に、肉身の仏が現われた。お前も直ぐに戻って礼拝せよ」と命じた。その僧が慌てて大隋に戻ると、大隋禅師は既に逝去されていた。この僧は大いに落胆、狼狽したと言う。

雪竇重顕禅師の評
碧巌録のコメンテーター、雪竇重顕(せっちょう・じゅうけん:980-1052)禅師は、この公案に「終末の劫火を掲げて質問したが、『壊(え)』と『不壊(ふえ)』の二重の関所に阻まれ立ち往生した上、『他に随う』の一句に翻弄され、万里を独り行きつ戻りつした禅僧こそ憐れなり」と言う頌をつけている。この頌は、くだんの僧を憐れんでいるようにも、禅僧一般を評しているようにも見える。
<頌に曰く>
劫火光中(ごうかこうちゅう)に 問端(もんたん)を立つ
衲僧(のうそう)なお両重(りょうじゅう)の関(かん)に滞(とどこう)る
憐れむべし一句 他に随うの語
万里区々(くく)として独り往還(おうかん)す



イエスの終末預言
イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。またオリーブ山で、宮にむかってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにお尋ねした。「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。 そこで、イエスは話しはじめられた。(マルコ13:1-5)






わたしの言葉は不滅
その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。(マルコ13:19)....天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。(マルコ13:31-32)

ダニエルの預言
マルコ福音書第13章14節の「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。」は、ダニエル書第9章27節の「荒らす忌むべき者が翼にのって現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる」を念頭に、ユダヤ戦争の勃発を預言したものと見られる。
三度にわたるユダヤ属州の反乱(第一次ユダヤ戦争AD66-73/第二次ユダヤ戦争AD115-117/第三次ユダヤ戦争AD132-135)を鎮圧したローマ帝国がエルサレムの名称をパレスチナに改め、割礼を禁じ、ユダヤ人の立ち入りを禁止したことから、ユダヤ人は世界各地に離散した。




ユダヤ教とキリスト教の別離
ベタニアにおける洗礼者ヨハネの証言を通じたイエスの宗教界デビュー、ハヌカの故事に倣った『過ぎ越しの祭り』における宮の清め、十字架刑の1ヶ月半後のエルサレム教会の発足の背後に、大祭司一族およびサンヘドリンが密接に関与していたことは明らかだが、サンヘドリンのメンバーで、ユダヤ教の長老ラビ・ガマリエルは、第1次ユダヤ戦争後、聖書聖典から『福音書』を除外、イエスの教えを異端とし、エルサレム教会との関係を断絶、ユダヤ教徒と原始キリスト教会の関係は急速に悪化した。



福音書の反ユダヤ主義
ちょうどこの時期に編纂された聖典福音書が、ユダヤ人やユダヤ教徒を敵視する内容になったとしても驚くには中らない。
ユダヤおよびエルサレムの地を追われたユダヤ人は、世界各地に離散したが、興味深いのは、西方に向かったユダヤ人が民族的/宗教的アイデンティティーを維持したのに対して、東方に向かったユダヤ人は、中国や東南アジア、そして日本の風土や文化に見事に同化・融合したこと。




軽蔑の教え
ホロコーストで生き残ったものの、アウシュヴィッツで妻と娘を失ったフランス系ユダヤ人歴史家のジュール・アイザック(1877–1963)は、第二次世界大戦後、教会の歴史を紐解き、反ユダヤ主義のルーツを探した。アイザックは、初期の教会文献には、イエスの死の咎をユダヤ人全体に負わせるとともに、ユダヤ教を神と人間の関係の失敗例と見なす傾向が存在すると述べている。彼はこれを『軽蔑の教え』と呼んだ。
旧約聖書の中の『神と人間の関係の失敗』と言うテーマに注目し、『この関係を修復するためにイエスが十字架に処せられた』と言うストーリーを最初に紹介したのは、パウロの書簡集だった。そしてその後、完成した全ての福音書の基調にもなったが、使徒行伝の記述から見て、こうした信仰は、その実、殉教者ステファノを初めとするヘレニスト信者の中で遙か以前から(恐らくイエスの誕生以前から)培われいたものと見られる。とは言え、パウロが居なければ、結実することはなかったろう。
第一次ユダヤ戦争が勃発すると、ローマ軍が侵攻する前に、エルサレム城外に退去した原始キリスト教会の信徒は、裏切り者として、ユダヤ社会からボイコットされたため、両者の蜜月時代は終た。このことも、その後編纂された福音書がイエスの死の咎をユダヤ人に帰する傾向を助長したものと見られる。
また異邦人キリスト教会内における、ヘブライスト信者(割礼派)とヘレニスト信者(非割礼派)の対立はパウロの死やエルサレム教会の消滅後も持続、このため、ローマン・カトリック教会は、初代教皇に、パウロでも、小ヤコブでもない、ペテロを叙したものと見られる。

彷徨えるアハスヴェロス
十字架を負うてゴルゴタの丘に向かう途中、疲れ果てたイエスは、一軒の靴屋の前で立ち止まり、一杯の水を所望した。しかし靴屋の主人アハスヴェルスは、「あっちへ行け」と荒々しくイエスを追い払った。するとイエスはじっとアハスヴェルスを見据え「私が再臨するその時まで、安らぐ遑(いとま)なく地上を彷徨(さまよ)うがいい」と呪いの言葉をのこして立ち去った。その後千数百年を経た18世紀に至るまで、ヨーロッパ各地で、故郷を追われ、世界中を彷徨い歩くアハスヴェルスが目撃されたと言う。
慶応義塾大学名誉教授の荒井秀直氏が1968年に発表し、『慶應義塾大学学術情報リポジトリ』に収録されている論文によると、11世紀初頭の十字軍によるユダヤ人迫害を背景に、13世紀初頭から『彷徨えるユダヤ人』を題材にした類似の寓話がヨーロッパ各地に出現した。ドイツのある教会が1602年に『アハスヴェルスと言う名のユダヤ人』と題するパンフレットを発行して後、ドイツ国内ばかりでなく、全世界に『彷徨えるアハスヴェロス』の物語が広まったらしい。そしてこの物語の特徴は、キリスト教の根本理念としての『救い』が欠如していることと言う。



ラビ代表団、ノストラ・アエターテ応答文を提出
ユダヤ教のラビ代表団は、2017年8月31日、バチカンを訪れ、ローマ教皇庁が1965年に発表した『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』、通称『ノストラ・アエターテ』に対する応答文をフランシス教皇に手渡した。
『イスラエルのチーフ・ラビ』と『欧州ラビ会議』及び『米国ラビ協会』が署名した『エルサレムとローマの間のノストラ・アエターテ50年の反芻(Between Jerusalem and Rome: Reflections on 50 Years of Nostra Aetate)』と題する9ページの応答文は、キリストがユダヤ人によって殺されたと言う定説を覆したノストラ・アエターテ宣言の発表50周年を記念して作成されたものだが、完成するまでに2年を要したと言う。

軽蔑の教えと第二バチカン公会議
英国の正統派ラビで、1991-2013年の間、大英帝国ヘブライ信徒連合(United Hebrew Congregations of the British Commonwealth)の首席ラビを務めたロンドン大学キングス・カレッジのジョナサン・ヘンリー・サックス法律・倫理・聖書学教授によると、『ノストラ・アエターテ』は、十数世紀に及ぶ疎外と反目の後、ユダヤ教徒とカトリック教徒が敵としてではなく大切な互いに尊敬し合う友人として向き合うことができるよう、二つの宗教の関係を一変させた。ノストラ・アエターテ宣言が発表されたそもそもの因縁は、ホロコーストで生き残ったものの、アウシュヴィッツで妻と娘を失ったフランス系ユダヤ人歴史家のジュール・アイザックと第二次大戦中にユダヤ人の救済に努めた教皇ヨハネ23世の出会いにあった。
アイザックは、第二次世界大戦後、教会の歴史を紐解き、反ユダヤ主義のルーツを探した。アイザックは、初期の教会文献には、イエスの死の咎をユダヤ人全体に負わせるとともに、ユダヤ教を神と人間の関係の失敗例と見なす傾向が存在すると述べている。彼はこれを『軽蔑の教え』と呼んだ。
同書を読んだ教皇ヨハネ23世は、1960年6月、アイザックと面会し、異教、特にユダヤ教に対する教会の態度に再検討を加えることを決意した。教皇ヨハネ23世は、1962年に第二バチカン公会議(1962-65)を招集し、カトリック教会が教会としてユダヤ人との関係をいかに見るべきかを再検討に付し、全信徒の意識改革に乗り出した。こうして『ノストラ・アエターテ』起草のプロセスが開始されたが、教皇ヨハネ23世は1963年に亡くなり、生前にその完成を見ることはなかった。

キリスト教とユダヤ教の対話の歩み
大阪大司教区カトリック関目教会主任司祭を務める和田幹男氏の『キリスト教とユダヤ教の対話の歩み:第2ヴァティカン公会議から20世紀の終幕まで』によると、『ノストラ・アエターテ』宣言は、第2バチカン公会議を招集した教皇ヨハネ23世、同会議を締めくくった教皇パウロ6世、第4項ユダヤ教条項の作成に尽力したアウグスティン・ベア枢機卿の努力に負うところが大きいと言う。
カトリック教会とユダヤ教との対話の努力は第2バチカン公会議後も継続され、特にナチス支配の脅威を身をもって体験したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世の登場により一層促進された。1998年3月16日、教皇庁の『ユダヤ教徒との宗教的関係のための委員会』は、 教皇ヨハネ・パウロ2世の承認のもと、『わたしたちは記憶にとどめます-ショア-を反省して(We Remenber : A Reflection on the SHOAH)』と題する文書を発表した。これをショア文書という。また、教皇ヨハネ・パウロ2世は、大聖年2000年四旬節の第1主日(3月12日)に、教会として犯した過去の罪を認め、 ゆるしを願うミサを行った。その中の共同祈願でユダヤ教に対して犯した罪を告白した。

サックス教授の提言
ジョナサン・ヘンリー・サックス教授は、「宗教的暴力が、中東、サハラ以南のアフリカ、アジアの広範な地域に混乱と破壊をもたらしている今、『ノストラ・アエターテ』の意味が一層重要性を増している。キリスト教徒も、イスラム教徒も、ユダヤ教徒も、煩悶している。我々が今必要としているのは、相互に敬意と責任を持つ契約の中で、すべての偉大な信仰を結集させた新しく広範なノストラ・アエターテだ。全ての宗教の指導者は、今日信仰の名の下になされている多くのことが、その実、信仰を冒涜し、最も神聖な原則に違反している事実を公に表明することを求められている。
仮にノストラ・アエターテをもたらすには、ホロコーストが必要だったとしても、我々を正気づかせるために人間と神の関係を損なわせる別の犯罪を待つようなことはよそうではないか。なぜなら我々はそれぞれ異なるが、一人一人が神の形象にほかならないからだ(創世1:26)。我々は、全ての人間を尊重することにより、神を敬うのである」と訴えている。
【参照】
《碧巌録》第二十九則 大隋劫火洞然
僧、大隋に問う、「劫火洞然として、大千ともに壊す。未審し、這箇、壊するか、壊せざるか?」。
隋云く、「壊す」。
僧云く、「いんもならば他に随い去るや?」。
隋云く、「他に随い去る」。

衲僧(のうそう、のうす、のっす)
衲衣(のうえ)を着た人、一般に禅僧の意。
宮殿を後にした釈迦牟尼は墓地に捨てられていた死体を包む布きれを拾い集め、縫い合わせた後、サフランの液につけて消毒し、その後ずっとこれを衣として纏った。この伝承に基づき仏教徒の僧侶は、端切れで作った衲衣を着るようになった。こうした衲衣はサフラン染料を意味する梵語から袈裟とよばれる。






- 禅宗と景教≪使徒行伝(パウロ)≫と現成公案[3]劫火洞然-
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『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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