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書評:聖霊のバプテスマ(先のものが、後になる)

 イエスが言った、「日々にある高齢の老人は、生後七日目の小さな子供に命の場所について尋ねることを躊躇しないであろう。そうすれば彼は生きるであろう。なぜなら、多くの先のものは、後のものになるであろうから。そして彼は単独者になるであろうから。」(トマス4)
ユダヤ人は生後八日目の子供に割礼を受けさせる。したがって生後七日目の子供とは、未割礼で人間の資格も認められていない存在である。これに対して老人は、律法を学び実践を積んだ知者である。しかしイエスはここで、ユダヤ教徒の老人と子供に対するこうした価値観を逆転させている。マルコ、マタイ、ルカ福音書でも、イエスは弟子たちに、知者に優先するものとして幼子を提起、律法や知恵に基づく価値判断を逆転させている。
『幼子』は原初的なものを象徴しており、石ころや木ぎれのような、一見、単純でつまらぬものに『命の場所』すなわち『御国』を見出すものこそが真の知者である。イエスは「木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう(トマス77)」と説いている。
『単独者になる』とは男と女が神と一体であった原初に立ち返ることを意味している。トマス福音書では『単独者』と言う句がキーワードとして繰り返し使用されている。日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、『単独者』とは、『分裂を超えて、原初的統合(propator = original Self)を自己の内に回復する者』を意味し、この本来の自己による支配の実現が『御国』の現成を意味する。
中国の唐王朝の末期、一人の僧が香厳智閑(きょうげん・ちかん?~898)禅師に「道とは何でしょう」と質問すると、香厳は「枯木裏に龍吟ず(枯れ木で龍が囀っている)」と答えた。その僧が「おっしゃる意味がわかりません」と言うと、香厳は「髑髏にも目玉がある(髑髏裏眼晴)」と付け足した。本来の自己に目覚めた者は、枯れ木で龍が吟じるのを聞き、しゃれこうべに輝く瞳を見いだすことができる。つまり時空を超脱した御国が現成すると言うのである。
先のものが、後になる

『多くの先のものは、後のものになるであろう』と言うイエスの言葉は、マルコやマタイ福音書にも見られるが、荒井献氏によると、この言葉はいわゆる『飛び言葉(flying logition)』としてそれぞれ異なる文脈で用いられている。マルコやマタイでは、来るべき終末には、価値観が逆転することを示唆しているが、トマス福音書は一歩踏み込んで、真に『生きる』ことを欲するなら、原初に立ち返るよう求め、そうすれば、ありふれた日常的なものの中に『御国』を見出すことができると説いている。日本曹洞宗の始祖道元禅師(1200-1253)は、『普勧坐禅儀』の中でこの道理を『回光返照の退歩を学すべし』、そうすれば『身心自然に脱落して本来の面目現前せん』、つまり草木国土が悉皆成仏し、御国が現前すると言うのである。
トマス福音書のイエスは、聞く者を本来の自己に立ち返らせるために一刹那の機会を捉えて一つ一つの言葉を発している。禅語をもって表現するなら『対一説』である。正典福音書の作者たちはゼベダイの子ヨハネを除けば、直接生前のイエスから教えを受けなかったものと見られるが、彼等は、それぞれのプロパガンダの真正(つまり生前のイエスの教えに由来すること)を証明するためにQ語録を引用している。しかしQ語録のイエスの言葉を文字面だけから理解しようとすれば、全く異なる解釈がなされる可能性がある。
布教活動を率いた三人の側近

ところで、神殿の商人を追い払ってから十字架にかけられるまでの間、イエスは何をしていたのだろうか。おそらくトマス福音書に記述されているような禅問答を彷彿とさせる対話を通じ聖霊のバプテスマを施していたことだろう。
他方、ギリシア人の支配を覆し、神殿を清めたマカベア家や所謂ハシディーム(敬虔なユダヤ教徒)に心酔し、洗礼者ヨハネの弟子になったゼベダイの兄弟やペテロとアンデレの兄弟は、『水の洗礼』を通じて同志を糾合し、イスラエル再興運動を推進していたものと見られる。なぜなら、それこそ彼等をイエスに紹介した洗礼者ヨハネの意図したところだったのだから。
ヨハネ福音書は、『ヨハネの弟子たちとひとりのユダヤ人との間に、きよめのことで論争が起った(ヨハネ3:25)』、『イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた(4:1-3)』と言う出来事を紹介するとともに、『しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった(ヨハネ4:2)』と注釈をつけている。洗礼者ヨハネの弟子達と論争した『一人のユダヤ人』とは、福音書作者のヨハネ自身だったのではなかろうか。正典福音書は、ペテロ、大ヤコブ、そしてヨハネの三人を、イエスの布教活動を支えた側近として描いている。
神殿を拠点に活動した弟たち

これに対して、小ヤコブや他のイエスの弟たちは、大祭司カイアファと手を携えて神殿を拠点に活動、異邦人ユダヤ教徒の教会運動を取り込む新組織を立ち上げる準備を進めていたものと見られる。
海外の400万人のユダヤ教徒が、独自に新組織を立ち上げるなら、人口80万のイスラエルの内、僅かにユダヤ地方の自治権を認められたサンヘドリンやその議長を務める大祭司は大きな脅威に晒される。それに引き替え教会運動を傘下に取り込むことができれば、大祭司カイアファとサンヘドリンの権威は格段に強化される。
政教一致の神権政治が行われたハスモン朝時代には、国王が大祭司を兼務していたが、ヘロデ大王の時代になると、大祭司とサンヘドリンは政治から完全に切り離された。ローマ帝国はヘロデ大王の死後、部分的に大祭司とサンヘドリンの権威を回復させ、その統治に利用していた。
ガリラヤのユダ等の反乱が続発する中、内外のユダヤ教徒を統括する新組織ができれば、政治の安定にも寄与することから、ローマ総督府やヘロデ王家も、大祭司カイアファやそれを補佐する小ヤコブの企てに注目していたに違いない。
エルサレム教会の発足

旧約ダニエルの預言に基づく救世主来臨の期待が高まり、地中海沿岸で発生した教会運動の波がエルサレムに押し寄せる中で、エルサレムに戻ったイエスは、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所に出入りし、数百年後に中国や日本で流行した禅問答の予型とも言える『対話』を通じた教化(聖霊のバプテスマ)を開始したものと見られる。そのサークルには、トマス、ナタナエル、ピリポ等の他、マルコ福音書の著者ヨハネ・マルコの母親で集会所の家主だったマリア・サロメやマグダラのマリアと姉のマルタも含まれていたことだろう。エルサレムの神殿に赴いたイエスはしばしばオリーブ山に退いているが、オリーブ山の東側にはマルタ/マリヤ姉妹とラザロの家が、西側にはマリア・サロメの家、つまりエッセネ派の集会所が存在した。
ちなみに、シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ共著ジェームズ・キャメロン序言『キリストの棺』によると、東エルサレムに隣接した東タルピオットの建設現場で1980年に発掘された墓からは、アラム語で、『ヨセフ』、『ヨセフの子、イエス』、『マリヤ』、もう一人の『マリヤ(おそらくマグダラのマリアもしくはマリア・サロメ)』、『マタイ』、『イエスの子、ユダ』等と刻まれた10個の骨壺が出土した。これら聖書の登場人物の名は、どれも当時のありふれた名前だが、同時に一つの墓に存在する確率は単純計算で250万分の1、さまざまなマイナス因子を掛け加えても600分の1で、イエスの家族の墓である可能性は極めて高いと言う。

イエスの教え(Q語録の教え)は、ユダヤ教やその他一切の宗教哲学の枠を越えていたことから、洗礼者ヨハネが一目で惚れ込んだだけでなく、大祭司カイアファを初めとするエルサレム宗教界の他の指導者達も注目したに違いない。
イエスは、請われれば、デカポリスや地中海沿岸のギリシア人やフェニキア人の植民都市にまで出かけて説教し、その際、弟子達は、それぞれの信じるところに従ってイスラエル復興運動や近く発足するエルサレム教会の旗の下への結集を呼びかけたことだろう。
イエスはイスラエル再興運動や神殿の清めに関心は無かったが、海外の教会運動と国内のユダヤ教徒諸派を統合する新組織の設立が、小ヤコブを初めとする弟達が見い出した自己実現の道なら、一肌脱ごうと決意したのだろう。しかし、自分が反逆罪で十字架にかけられることまでは、予想していなかったようだ。だから、それが避けられないと知った時、苦悶したが(ヨハネ12:27、マタイ26:37-39/42、マルコ14:33-36、ルカ22:42-44)、結局その運命を受け入れた。その結果、処刑の1ヶ月半後に発足したエルサレム教会には、大祭司カイアファの預言通り(ヨハネ11:49-52)、その日だけで海外異邦人ユダヤ教徒の代表を含む3000人が参加(使徒2:41)し、小ヤコブが初代司教に就任した。
エルサレム教会とアンティオキア教会の並立

しかし、ほどなく圧倒的多数を占めるヘレニスト信者とヘブライスト信者の対立が表面化した。ステファノが殉教した後(使徒6:1-7:60)、ヘレニスト信者はエルサレム城外に追放されたが(使徒8:1-3)、アジア州を中心に強力な影響力を保持した『解放された奴隷の会堂(Synagogue of the Freedmen-Jews)』のメンバーも、十二使徒を初めとするヘブライストとともに、エルサレム城内にとどまった。彼等は、当初から大祭司カイアファを助け、エルサレム教会の創設に関与していたものと見られ、パウロはそのリーダーの一人だった。
『解放された奴隷の会堂』のメンバーは、割礼を初めとするユダヤ教の戒律を厳格に守る一方で、ローマの市民権を保持しいたものと見られ、この双方において、海外異邦人ユダヤ教徒のリーダーを自負していた。彼等はまたシナゴーグの正式メンバーだったから、未割礼のユダヤ教徒による教会運動とは一線を画していた。
英語版ウィキペディアの説明によると、『解放された奴隷の会堂』はローマから自由人の地位を獲得した、つまり、グナエウス・ポンペイウスによる紀元前63年のユダヤ征服によって奴隷にされたユダヤ人の子孫達の組織と見られると言う。しかしこの説明には若干疑問がある。何故ならユダヤ系解放奴隷が独自の組織をつくり、小アジアや地中海沿岸地域にその勢力を伸張させるには数百年を要したと見られるが、紀元前63年からパウロが聖霊の禁を犯してアジア州における布教を行った第三回宣教旅行までは、せいぜい100年の間隔しかないからである。ウィキペディアは、ローマの貴族や皇帝は、クリエンテス(郎党)を増やすために、あるいは農園その他のビジネスや財産の管理を委ねるインセンティブとして奴隷解放に熱心だったと述べている。換言すれば解放奴隷は当時のエリートで、ローマの市民権も手に入れることができたらしい。
他方、イエスの父ヨセフが、ルカ福音書の記述通りローマ市民にのみ義務づけられた国勢調査のため、ベツレヘムのエフラタで自身と乳飲み子イエスの登記を行ったとすれば、イエスもローマ市民権を保持していたことになる。加えて小ヤコブ同様、マリアの二番目の夫『アルファイ』の子とされ、ローマの徴税人を務めていたマタイのみならず、イエスの他の弟たちもローマ市民権を有した可能性がある。だとすればエルサレム教会が、その発足当初から『解放された奴隷の会堂』と緊密な協力関係を有したとしても不思議はない。大祭司カイアファは、『解放された奴隷の会堂』のリーダーの一人パウロとナジル派のリーダー小ヤコブを両輪として、内外のユダヤ教徒を統括する新組織の立ち上げを図ったのだろう。

エルサレム城外に追放されたヘレニスト信者は、バルナバやパウロの指導下にシリアのアンティオキアに新たな教会を創設した(使徒11:20-26)。こうしてヘブライストのエルサレム教会とヘレニストのアンティオキア教会が並立、教会運動は事実上二つに分裂した。
私は分配人なのか
第2次伝道を終えシリアのアンティオキア教会に戻ったパウロは、席の暖まる間もなく前回果たせなかったアジア州における伝道に主眼を置き、3回目の宣教旅行に乗り出した(使徒18:23)。しかし聖霊の禁(使徒16:6)を犯して『解放された奴隷の会堂』の主要な勢力基板だったアジア州における布教を断行したことから、パウロとエルサレム教会の関係のみならず、アンテイオキア教会の内部においてさえ、バルナバ等との溝を深める結果を招いた。
イエスは、トマス福音書第72節において、ヘレニスト信者とヘブライスト信者の双方に対して「自分は父から分かれたものを、再び統一するために、この世に来たのであり、父のものを分配するためではない」と釘を刺している。
 ある人が彼に言った、「私の兄弟たちに、私の父の持ち物を私と分けるように言って下さい」。彼がその人に言った、「人よ、誰が私を分配人に立てたのか」。彼は弟子たちに向かって言った、「私は分配人なのか」。(トマス72)
○倒一説

唐末五代十国の時代(907-960)に広東省韶州(しょうしゅう)の雲門山に住し、雲門宗を興した雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師に一人の僧が、「仏がその生涯を通じて説かれた教えとは何でしょう」と問うた。
菩提樹の下で悟りを開いた釈迦は、その後、40余年にわたり、インド各地で、その時、その人の器量に応じて方便随喜の説法をされたと言うが、その教えの全体を説明しようと思えば、経・論・律三蔵から成る大蔵教を全て説き聞かせねばならない。
しかし雲門禅師は、律・経・論三蔵の説明などせず、ただ一言、「対一説(たいいっせつ):真っ直ぐ行け」と答えた。
ところが、この僧は、雲門の答えに満足できなかったようで、日を改めて、「目前の機(はたらき)も、目前の事(現象)も超越したところを伺(うかが)いたい」とさらに質した。すると雲門は「倒一説(とういっせつ):それならひっくり返せ」と答えた。<以下次号>

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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