SEAnews Issue:from time to time
tel:65-87221054
NNNNNNNNNNNNNNN
回光返照 SEA Research, BLK 758 Yishun Street 72 #09-444 Singapore 760758
Let's turn the light inwards, illuminat the Self.
Back Page ►

罪祭の羊Ⅰ

<スライドショー:罪祭の羊Ⅰ>

イエスが弟子たちとサマリアを通ってユダヤに赴いたおり、「先生、ごらんなさいサマリア人が子羊を連れています。」とトマスが言った。するとピリポが「あのサマリア人は子羊を殺して食べるでしょう」と続けた。イエスは「生きている間は食うことはないさ」と答えた。弟子たちはどっと笑い、「それはそうでしょう」と相槌を打った。そこでイエスは「君たちも死んで食われることがないように今のうちに安息を見出すことだね」と補足した。
第一部:潮騒
罪祭の羊(ざいさいのひつじ)

  彼らが、子羊を伴ってユダヤへ向かう一人のサマリヤ人を見た。彼(イエス)が彼の弟子たちに言った、「あの者は子羊の傍にいる」。彼らが彼に言った、「彼はそれを殺して食べようとしているのです」。彼が彼らに言った、「それが生きている間は、彼はそれを食べないであろう」。彼らが言った、「彼は他の仕方でそうすることはないでしょう」。彼が彼らに言った、「あなた方が屍になって食われないように、あなた方も自分のために安息のうちに場所を求めなさい」。<トマス福音書60節>
--- --- ---
日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、<トマス福音書60節>は、前節59節『イエスが言った、「あなた方が生きている間に、生ける者を注視しなさい。あなた方が死なないように。そしてあなた方が彼を見ようとしても、見ることができないであろう」。』のテーマを『サマリア人と子羊』の比喩で敷衍している。サマリア人は子羊が生きている間に食べはしない。それを殺し、屍になった時にそれを食べる。そうならないように、安息のうちに場所を求めなさい。『安息』とは『父のしるし』、つまり『父の国』の状態であった。『場所(topos)』は『御国』と同義と言う。
パンテラの子

フェニキアの殖民都市シドン駐屯のローマ軍第一歩兵射撃隊小隊長のティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラは、アブデス(神の僕)という名からも分かるようにユダヤ人であった。彼はガリラヤ出張のおり、シナゴーグに赴き、聖歌隊の少女マリアに一目ぼれした。二人は、意気投合、しばしば密会するうち、マリアが身もごった。しかし王家につながる血筋を備え、神殿に仕えるレビ族出身のマリアの両親は二人の関係を認めず、マリアを放逐した。
パンテラはユダヤ人ではあったが、D系統のY染色体遺伝子を保持する古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)系のエフライム族に属していた。このため、その体躯や容貌はセム系ユダヤ人とは、明らかに異なており、マリアの両親が二人の関係を認めなかった原因もこの辺にあったかもしれない。
胎児対面

途方に暮れたマリアは、やはりレビ族の従妹エリザベッツに一部始終を話した。エリザベッツは、祭司ザカリアに嫁いだものの長い間子に恵まれなかったが、最近身ごもり6カ月の身重だった。
エリザベッツは、声高に「ごらんなさい。あなたの話を聞いて、私の子が胎内で喜びのあまり飛び跳ねたわ。あなたも、おなかの子も主の祝福を受けたのよ。そうそう彼氏はエフライムだったわね。だったらもし男の子なら、モーセの遺志を継ぎカナンを征服したヨシュアにしたらいいわ。イエスよね。私の子はヨハネにするわ。」と言い、その後3カ月、マリアをかくまった。
イエスと言う名は、ヨシュアのギリシア語訳で、『ヤハウェは救い』を意味し、後にヨルダン川でイエスに水の洗礼を授けたヨハネはヘブライ語(ヨーハーナーン)で『ヤハウェは恵み深い』を意味した。
エルサレム行

一方、シドン出身で、軍務につくことを通じてローマの市民権を手に入れたとされるパンテラは、親交を結んでいたガリラヤの大工ヨセフにこの一件を相談した。ヨセフは生れながらのローマ市民だったが、パンテラがいつローマ市民権を取得したかは定かでない。
建築マニア・ヘロデ王の治世に建築家として時流に乗り活躍していた青年起業家のヨセフは、快く身重のマリアを引き取り、軍務に多忙なパンテラに代わり生まれてくる子の養父になることを引き受けた。
カエサル・アウグストゥスがローマ帝国全土の国勢調査を命じたことから、ローマ市民権を有するヨセフはガリラヤ南部のナザレから、9ヶ月の身重のいいなずけマリアをつれてエルサエム南部のベツレヘム・エフラタに赴いた。国勢調査のため、誰もが出身地に戻る必要があり、ダビデの家系に属するヨセフはベツレヘムのエフラタに帰らねばならなかった(ルカ2:1-5)。
ミカ書の予言

こうしてイエスはベツレヘムのエフラタで生まれた(ルカ2:6)。ちなみに、救世主がベツレヘムから出現することは旧約の預言者ミカにより次のように預言されていた:ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ5:2)
ヨセフは、生まれたイエスを、ローマ市民(実子)として登記した(ルカ2:1-5)。イエスのこうした素性は、パンテラを通じ、ユダヤ総督やその上司のシリア総督、さらにはローマ皇帝にも伝えられたかも知れない。
エジプト行

しかし国勢調査の登記を終えたヨセフは、なぜかガリラヤに戻らず、マリアと乳飲み子をつれて、エジプトに渡った(マタイ2:14)。≪マタイ福音書≫は、当時ユダヤ地方を支配していたヘロデ大王が、救世主が誕生すると言う預言を耳にし、二歳以下の男児を全て殺害するよう命じたためと述べている(マタイ2:16)。しかし、ヘロデ大王の幼児虐殺の記録は、マタイ福音書以外には存在しない。
当時のベツレヘムの人口はせいぜい300~1000人程度で、若し虐殺があったにしてもその数は20~30人程度と見られ、当時の専制君主はこれを越える虐殺を頻繁に行っていたため、ヨセフスや他の歴史家が記録する価値を見いださなかったのかも知れない。しかし正教会の伝承では虐殺された幼児の数は1万4000人、シリア教会の聖人伝では6万4000人と述べられている(日本語版wiki)。
マタイ福音書は、「これは旧約エレミヤ書31章15節の預言の成就」と付言しており(マタイ2:17)、どうやらヘロデ大王の幼児虐殺事件は、イエスの生涯を旧約聖書の預言の実現として描こうとするマタイの意図によって創作されたエピソードらしい。
妾妻の子ダビデ

ところでダビデの父親エッサイには、ニッツベット・バット・アデールと言う正妻がいたにも関わらず、ダビデの母親の名は記録にない。詩編(Psalm 69)はダビデが不義の子であったことを暗示しており、恐らくダビデはエッサイが城外に設けた妾宅で生まれ、実母の下で育ったものと見られる。ベツレヘムは、富裕な人々が住んだ城塞都市で、こうした富裕な人々には、ナオミ、ボアズ、レハブアム等の旧約聖書の登場人物が含まれる。対照的にエフラタは、ベツレヘムの市民や寺院のために食物や祭儀に欠かせない羊や山羊を供給する郊外の下層農業コミュニティーだった。ダビデの父エッサイや兄弟はベツレヘム市内に住んでいたが、ダビデは郊外のエフラタで生まれ、そこで成長した。
第二部:潮汐
イエスの幼年期

数年エジプトに滞在した後、ガリラヤに戻ったヨセフは、正式にマリアと結婚したようだが、エッサイがダビデを成長するまでベツレヘム城外にとどめたように、ヨセフはイエスをエジプトに残し、イエスは、異邦人ユダヤ教徒の中で育ったのではなかろうか。とすれば、ヨルダン川に突然たった一人で現れ、ヨハネから水の洗礼を受ける(マルコ1:9/マタイ3:13/ルカ3:21)まで、イエスがどこで何をしていたのか、また、イエスが十字架に処せられた日、はるばる北アフリカから息子のアレクサンドロとルフォスを連れてエルサレムを訪れたクレネ人のシモンがイエスに代わってゴルゴダの丘まで十字架を担いだ(マルコ15:21/マタイ27:32/ルカ23:26)と言う福音書の記述も頷ける。
クレネ人シモン

イエスが十字架を負わされ、ゴルゴタの丘に行く途中、シモンと言うクレネ人が通りかかったので、ローマ兵は、この男に替わって十字架を負わせたと言う記述が、≪マタイ福音書≫、≪マルコ福音書≫、≪ルカ福音書≫の何れにも存在する。特に≪マルコ福音書≫は「シモンはアレクサンドロとルフォスの父であった」と注意書きをつけている。≪マルコ福音書≫のこの注意書きは、アレクサンドロとルフォスが当時のキリスト教会における著名な指導者であったことを暗示している。
3福音書はいずれもシモンはクレネの田舎から来たと述べているが、クレネは当時アレキサンドリアに並ぶ地中海に面した一大都市だった。またローマ兵が、政治犯として処刑されるイエスの十字架を、見ず知らずの通行人に負わせるとは考え難い。おそらくイエスに替わって十字架を運ぶ役目は、最初からシモンが務めることになっていたのだろう。さもなければ、福音書の記者らがその出身地や名前を知り得るはずもない。
パウロ回心の母

一方、パウロは、≪ローマ信徒に宛てた手紙≫の末尾に「主がお選びになり信者に加えられたルフォスとその母親に宜しく。彼女は私の母でもあります(ローマ16:13)」と記している。
パウロが『主がお選びになり信者に加えられた』と述べているところからすると、ルフォスはイエスの生前の弟子だったようだ。もしルフォスがシモンの息子と同一人物なら、イエスが直々にシモンを選び、十字架を運ぶ役割を委ねたのかも知れない。
さらに、ただごとでないのは、パウロがルフォスの母親に関して「彼女は私の母でもあります」と述べていること。パウロがルフォスの同母兄弟と言うことはあり得ないから、ルフォスの母は、パウロを回心させた『霊的な母』だったのではなかろうか。
テラペウタイ(イエスの青年期)

紀元前4世紀末のアレキサンダー大王の東征により東西文化の融合(シンクレティズム)が加速すると、インド北部と地中海沿岸地域に大乗仏教運動と教会運動が期を一にして生じ、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と言う智慧(サンスクリット:プラジュナー・パーラミター(般若波羅蜜多)、ギリシア語:グノーシス)の教えが興隆した。
アレキサンドリア近郊のマレイア湖畔に、清貧、禁欲、服従、善行、慈悲と瞑想を旨とし、家族を含む一切の世俗的事物を捨てた菜食主義者のテラペウタイと言う人々が共同生活をしていた。
エルマーR.グルーバー/ホルガー・ケルステン(Elmer R. Gruber & Holger Kersten)両氏の共著『イエスは仏教徒だった?(The Original Jesus - Buddhist Sources of Christianity)』は、彼らはアショカ王がプトレマイオス二世の時代に同国の首都アレキサンドリアへ送った伝道師の末裔であり、イエスは若い頃そこで修業したものとみられると推測している。
イエスのトラウマ

実子のないヨセフが、実の子として愛育したため、イエスは健やかな幼年期を過ごしたようだが、マリアが再婚したことから、自身の出生の秘密を深刻に悩んだものと見られる。
マリアはユダヤの慣例に従いヨセフの弟と再婚し、多数の子を儲けた。聖書は十二使徒に名を連ねるイエスの弟小ヤコブをアルファイの子ヤコブ、徴税人マタイをアルファイの子レビ、熱心党のシモンをクロパの息子シモンとも記している。ギリシア語のアルファイはアラム語のクロパ同様二番目を意味し、マリアの二番目の夫を指している。
福音書は、イエスには、4人の弟があったと述べており(マタイ13章55節)、またイエスには妹がいたとも書かれているが、妹たちの名前や人数は記されていない。
これらの弟妹は、皆マリアの二番目の夫アルファイの子供達であった。アルファイは、イエスの三人の弟に、ギリシア人を追い出し、神殿を清めたマカベア家にちなんだヤコブ、シモン、ユダと言う名をつける一方、もう一人の息子マタイのためにローマの徴税人の職を手に入れており、波乱の時代を生き抜くバランス感覚を備えていたようだ。アルファイは自身の王族ダビデの血筋とマリアのレビ族の血筋を存分に活用し、小ヤコブのために神殿の聖所で祭祀を執り行うナジル派大祭司の役割も手に入れたに違いない。
このためマリアの連れ子のイエスは、家庭においてもガリラヤの地域社会においても、居場所を失い、まさに「狐には穴有り、鳥には巣があるが、人の子には枕する所がない」状況に立たされ、再度エジプトにわたり、テラペウタイに加わったのかも知れない。
説教者イエス

エルサレムに戻ったイエスは、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所に出入りし、数百年後に中国や日本で流行した禅問答の予型とも言える『対話』を通じた伝道(聖霊のバプテスマ)を開始した。そのサークルには、トマス、ナタナエル、ピリポ等の他、マルコ福音書の著者ヨハネ・マルコの母親で集会所の家主だったマリア・サロメやマグダラのマリアと姉のマルタも含まれていたことだろう。
エルサレムの神殿に赴いたイエスはしばしばオリーブ山に退いているが、オリーブ山の東側にはマルタ/マリヤ姉妹とラザロの家が、西側にはマリア・サロメの家、つまりエッセネ派の集会所が存在した。外典ピリポ福音書は、マグダラのマリヤがイエスの妻であったことを暗示。トマス福音書では、マリア・サロメが「あなたは私の寝台に上り、そして私の食卓から食べました(トマス61)」と述べている。
イエスの年齢

ルカ福音書は、「イエスはおよそ30歳の時、伝道を開始した(ルカ3:23)」と伝えているが、十二使徒にはイエスの弟ヤコブの息子ユダが含まれている。このユダが20歳代であったとすれば、ヤコブは40代だったと見られる。また仮に12歳のイエスを連れてエルサレムに行った父親がマリアの最初の夫ヨセフで、ヨセフの死後マリアがアルファイと再婚し、弟のヤコブを生んだとすれば、イエスとヤコブは12歳以上の歳の差があったはずである。もしそうなら伝道を開始した時、イエスは50歳半ば以上だったことになる。
イエスの実子が最初の福音書を編纂?

原始キリスト教団は、エッセネ派集会所のオーナー、マリア・サロメの息子で、バルナバの甥でもあるヨハネ・マルコに、イスラエル国内のユダヤ教徒80万人と海外異邦人ユダヤ教徒400万人を統括する新組織としての役割が期待されたエルサレム教会のプロパガンダを盛り込んだ福音書の編纂を委ねた。
イエス処刑の1ヶ月半後(ペンテコステの日)に大祭司邸に隣接したエッセネ派集会所で発足したエルサレム教会には、海外在住ユダヤ人組織の代表の他、ファリサイ派やサドカイ派のメンバーも含め、その日1日で約3000人が入会した(使徒2:41)と言う。
ヒエラポリス司教を務めたギリシア人使徒教父パピアス(60–163)によると、ペトロの通訳も務めたマルコが、ペトロから聞いたことをまとめて『マルコ福音書』を著した。
トマス福音書はマルコの母親と目されるマリア・サロメが、イエスと親密な関係にあったことを明示しており(トマス61)、ヨハネ福音書に描かれた最後の晩餐の席でイエスの胸に抱かれていた若者(ヨハネ13:23)やオリーブ山でイエスが捕縛された際、まとっていた麻布1枚も脱ぎ捨て裸で逃げ去った少年(マルコ14:51-52)が、マルコ自身であったことを窺わせている。
マルコがイエスの実子であったとすれば、マルコ福音書(12:28-34)が、『隣人愛』を、『神を愛する』ことと同様に最も重要な戒めとしたのは頷けるが、共観福音書やヨハネ福音書の基調を成す救世主信仰や復活信仰は、トマス福音書におけるイエスの教とはかけ離れている。しかしトマス福音書のイエスの説教には、説教者イエスが救世主に変身を遂げる片鱗も窺える。
<以下次号>
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
ご購入はこちら




○世界は一つ:
SEAnewsは、人種/宗教/思想相違を乗り越えた一つの世界の実現を目指します。

ご意見/配信停止



width="200" border="0">


SEAnews Messenger


SEAnewsFacebook


SEAnews eBookstore


SEAnews world circulation


[Your Comments / Unsubscribe]/[您的意见/退订]/[ご意見/配信停止]
Please do not directly reply to the e-mail address which is used for delivering the newsletter.
请别用递送新闻的邮件地址而直接回信。
メールをお届けした送信専用アドレスには返信しないで下さい。
SEAnews 掲載記事の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
Copyright 2003 SEAnews® All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.