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イエスの十字架計画(4)

イエスはおそらく西暦33年、ユダヤ暦ニサンの月14日もしくは15日の金曜日に処刑されたものと見られる。当時、ユダヤには複数の暦が存在した。処刑当時、あるいは福音書が書かれた時代に、また伝承の中でどの暦が用いられたかが不明であり、暦と、実際の季節とのづれも、適宜調整されていた。このため正確な年代を割り出すのは不可能に近いと言う。
ニサンの月14日
しかし、イエスが処刑されたのは、過ぎ越しの祭りの前日が、安息日の前日と、重なるユダヤ暦ニサンの月の14日もしくは15日だった。ポンティオ・ピラトがユダヤ総督を務めた西暦26年から36年の任期において、以上の条件を満たす年は西暦27年、33年、36年と言う。
一方、ヨハネ伝2章の記述から、イエスがエルサレムの神殿を訪れたのは、ヘロデ大王が改修工事を始めて(紀元前20/19年)から46年を経た時と見られる。
これらの点から類推すると、イエスが処刑された年は、ピラトが総督に就任して間もない西暦27年と言うことになる。
しかしルカ伝はローマ皇帝ティベリウスの15年、したがって西暦28年もしくは29年にヨハネがヨルダン川で洗礼活動を開始したと述べている。イエスがその前に十字架にかけられることはあり得ない。このため、西暦33年の可能性が高いと言う。
イエスの遺骸消失

イエスが処刑された翌日の土曜は安息日だったことから、イエスに付き従った女たちは、日曜日の朝早く、遺骸を収めた墓を訪れた。すると遺骸は既になくなっていた。
イエスの遺骸消失の最初の発見者について、マルコの福音書は、マグダラのマリアと、ヤコブの母マリア、そしてサロメと述べている。ルカ福音書は、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリアとしており、マタイ福音書は、マグダラのマリアと他のマリアとだけ述べている。これに対してヨハネ福音書はマグダラのマリア一人と記述している。
マグダラのマリヤだけが、4書に共通しているが、外典フィリップ福音書は、マグダラのマリヤがイエスの妻であったことを暗示している。
ヤコブとは、イエスの死後、教団を率いたイエスの弟ヤコブ、その母親とは、すなわちイエスの母親である。イエスの死後、マグダラのマリアはイエスの母に常に付き添っていたとされる。
サロメはトマス福音書(61)の中でイエスに向かい「あなたは誰なのですか。一人から出たような人よ。あなたは私の寝台にのぼり、そして私の食卓から食べました。」と問うている。
ヨハンナは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの執事クーザの妻。洗礼者ヨハネを斬首に処したヘロデ王の執事の妻がイエスの伝道に最後まで付き従ていたのは興味深い。
復活信仰
イエスが生前たびたび復活を予告していたため、遺骸の消失を巡り、弟子たちの間に様々な復活信仰が生じた。
ヨハネ福音書によると、イエスが十字架刑にかけられて2日後の週の初めの日の夕方、弟子たちが、出入り口に鍵をかけ、締め切った家の中に集まっていると、イエスが現れた。イエスは、弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けよ。父が私を使わしたように、私もあなた方を使わす」と、弟子たちに使徒としての道を歩むよう激励した。
トマスの懐疑

しかし、十二使徒の一人で、ディディモと呼ばれるトマスはその時、その場に居なかった。弟子たちが、「私たちは主にお目にかかった」と語ると、トマスは「手の釘穴を見、指をその穴に、手を脇腹に差し込まなければ、信じない」と語った。
八日の後、弟子たちがやはり閉め切った家の中に集まっていると、イエスが再び現れ、トマスに向かって「あなたの指を私の手の穴に、また手を私の脇腹に差し込んで見よ。疑うことを止め信じよ」と叱咤した。トマスはイエスに向かって「我が主、我が神」と絶叫したが、イエスは「あなたは私を見て信じたのか。見なくても信じるものは幸いだ」と諭した。
ヨハネ福音書の著者は、ここでイエスの口を借り「見えるものではなく、見えないものを信じるのが信仰である」、「自分はイエスを見たから復活を信じたのではない。イエスの教えを守り、実践するものは、常にイエスとともにあるのだ」と強調したかったのだろう。
トマスの終末論復活信仰批判
ディディモ・ユダ・トマスは、この後、懐疑主義者の象徴にされたが、グノーシス派教会の一部では、イエスの双子の兄弟(ディディモはギリシア語で双子、トマスもアラム語で双子を意味する)として崇められており、他の弟子とは異なる信仰を持っていたようだ。
トマス福音書<18>:弟子たちがイエスに言った、「私たちの終わりがどうなるかを、私たちに言って下さい。」イエスが言った、「終わりを求める、あなた方はもう初めを見出したのか。なぜなら初めのあるところに、そこに終わりがあるであろうから。初めに立つ者は幸いである。そうすれば、彼は終わりを知るであろう。そして死を味わうことがないであろう。」
トマスは、「初めのあるところに終わりがある。初めに立つものは、その時点で既に終わりを知り、永遠の命を得ることができる。人生の初めをその終わりに結びつけてスタートするものは、この世にいて既に神の国(至高)に遊んでいるのだ」と、イエスの言葉を借りて、正統派キリスト教会の終末論や復活信仰を批判している。
グノーシス主義
グノーシス派は、現世や肉体から超絶した本源的自己を至高者(原父Propater)とし、旧約聖書の創造神の上位に位置づけている。この本源的自己を覚知(gnostikos:ギリシア語)することが救いであり、律法は覚知の状態を維持するのには役だつが、律法を通じて救済は得られないと説く。
こうした立場は、人は信仰により救われ、律法によっては救われないと説くパウロの教えに通じ、聖霊を内に宿すことにより、神とイエスと信徒が一体になると説くヨハネ福音書の教えにも共通しているが、現世の権威、取り分けキリスト教会の位階制度を否定したため、カトリック教会から異端と宣告された。
しかし、ユダヤ教団の権威を認めず、「人は一切の罪を許される。神を冒涜することさえ許される。しかし聖霊を汚すことは許されない」(マタイ12-31/マルコ3:28-29/ルカ12:10)と述べ、聖霊を神の上位に置いたイエス自身、グノーシス主義者であったと言えそうだ。
トマスのインド伝道
トマスは東方に伝道し、インドで殉教したとされる。トマス福音書の説くところは、仏教の教えに類似している。当時のインドではアーンドラ朝の下、大乗仏教が隆盛を極めていた。中論を著したナーガルジュナ(龍樹菩薩)の誕生がもう少し早かったら、イエスの双子の弟子と釈迦の嫡流の討論が実現したかも知れない。トマスが建立した教会は今もインドに残っていると言う。(回光庵返照:2011/06/02)

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】  『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】  しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】  『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
聖トマス・キリスト教会
聖トマス・キリスト教会は、西暦1世紀の使徒トマスの布教活動に起源を発するインドのケララ州に存在する古典的教会組織。彼らはまた『ナザレのイエス』の信奉者『ナザラニス』として知られる。ケララ州聖トマス教会は現在も『ナザラニ』と言う表現を用いている。
彼らはまたシリア式礼拝儀礼を用いていることから『シリアン・クリスチャン』と称される。礼拝儀式用語はアラム原語に由来し、その後シリア語に転化した。彼らはまた、マラバルもしくはマランカラと呼ばれるケララ州を拠点にし、マラヤーラム語を用いていることから、マラバル/マランカラ・マー・トマス・ナザラニスとも呼ばれる。(wikipedia)

<1>マー・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kodungaloor, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。









<2>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Palayur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。








<3>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kottakayal, North Paravur, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。










<4>セント・メアリー正教会(Niranam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。








<5>セント・トマス・シロ・マラバル・カトリック教会(Kokkamangalam, Kerala)
聖トマスによりインドに設けられた7つの教会の1つと信じられる。









<6>セント・メアリー正教会(Thiruvithamcode Arappally = Royal Church)
西暦63年に聖トマスにより創設されたとされる。『Arapalli』は『Arachan Palli』の短縮形で王立教会の意。









<7>セント・メアリー・シロ・マラバル・カトリック教会(Kudamaloor)
西暦1125年にチェンパカセリ王により創設された。









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