書評:聖霊のバプテスマ(天下布武)
【書評】わたしが道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ14:6)
天下布武
美濃の稲葉山城を攻略し、斉藤氏を追放した織田信長(1534-1582)は、この地を岐阜と改名、周(1046B.C.-256B.C.)の武王が陝西省岐山を拠点に、<1>『暴を禁じ』、<2>『戦いを収め』、<3>『国を保ち』、<4>『功を定め』、<5>『民を安んじ』、<6>『人を和ませ』、<7>『財を豊にする』七徳の武をもって天下を治めた故事に倣い、『天下布武』の号令を発した。信長にとって、武とは、文字通り、戈を止めることを意味した。
岐阜への改名と天下布武の号令は、信長の幼少時に養育係を務め、後に政治顧問になった禅僧沢彦宗恩(たくげん そうおん:?-1587)の建言に基づくものとされる。
安土セミナリヨ
武力に頼らず、文化と経済の両面から民を和ませ、国を平らげることを目指した信長は、楽市楽座の市場原理を導入する一方、京都に近い安土に居城を移し、城下の一等地に日本初のキリスト教神学校『安土セミナリヨ(滋賀県東近江市安土町)』を建設した。三階建て純和風セミナリヨには客をもてなす茶室が設けられ、屋根には安土城と同じ青瓦が用いられた。イエズス会員はこのことを誇りとし、信長のはからいに感謝したと言う。
セミナリヨでは、ラテン語、日本の古典(平家物語等)、音楽(フルート、クラヴォ、オルガン等の器楽、聖歌)、体育(水泳、ピクニック等)が正課とされ、ルイス・フロイスはセミナリヨ生徒のラテン語習得の速さに驚いたと言う。
デウスの館
信長は、それにとどまらず、安土城の天守閣の呼称を『天主閣』すなわち『デウスの館』に改めた。信長は、神がまったき真理であると言う心印をデウスに施し(ヨハネ3:33)、自分が道であり、命である。誰も自分によらずにはデウスの下に行くことはできない(ヨハネ14:6)こと、そして天(デウス)に代わって、日本を平定する意気込みを、全世界に向かって表明したものと見られる。天下布武の号令は奏功し、多くの諸侯が信長の驥尾に付しただけでなく、諸将の間に生じた改宗の連鎖は、全国に波及した。これらの諸将は、決してラテン語のバイブルを理解し、イエスの教えに帰依した訳ではない。信長に生けるキリスト、生けるデウスを見たのである。
ゲート・オブ・ハデス
儒教や仏教のみならず、キリスト教や西欧文化にも親しんだ信長は、極めて開明的で、日本史上希有の国際感覚をそなえていたが、戈を止める志とは裏腹に反抗するものには、苛烈な弾圧を加え、結局、天下統一の夢半ばにして、腹心により暗殺された。しかし信長には
翠巌令参(すいがん・れいさん)和尚のような忸怩たる思いはなかった。その夜100人に満たない近習に守られ本能寺に滞在していた信長は、光秀謀反の知らせを受けると、カッと憤り、朝廷の仲介役を務めた光秀を満座の中で愚弄したことなど悔やまなかった。しかし信長の死後、彼の後継者は全国に飛び火した改宗の嵐を食い止めるため、キリスト教徒に対する大弾圧を開始した。
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
春秋左氏伝 宣公一二年
夫れ武は、暴を禁じ、兵を戢め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和らげ、財を豐かにする者なり。此れ武の七德。
天下布武の印
武の7徳をもって日本全土を平定する野心を宣言した信長は、それ以後、『天下布武』と言う印章を用いるようになった。
安土セミナリヨ跡
織田信長の庇護を受けた宣教師オルガンチノ(1530–1609)が建てた日本初のキリスト教学校。本能寺の変後、安土城とともに焼失。(公益社団法人 びわこビジターズビューロー)
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