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《新刊》キリスト教の起源:契約の民の流浪史

[序文]
チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアからパレスチナにかけた地域には、古くから農耕民と遊牧民が共生する都市国家が興亡して来た。大部分の都市国家の主役は農耕民だったが、遊牧民は、西方のエジプトのみならず東方のインドや中国とも交易し、異文化融合の触媒を務めて来た。これらの遊牧民は、メソポタミアやエジプト等の異なる文化背景を有するルベン族、シメオン族、レビ族、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族、ベニヤミン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族 マナセ族、エフライム族等から成り、異なる氏神を奉じていたが、今から3000年乃至4000年前に単一の始祖アブラハムと神との契約に基づく祭政一致の部族聯合を組織、農耕民に替わって歴史の表舞台に登場した。契約の民の誕生である。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒として、現在も生き続ける契約の民の総数は34億人に達する。
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本書《第一部:契約の民の流浪》では、『契約の民の発祥』、『部族国家の形成』、『国家の分裂と滅亡』、『ペルシア属領時代』と『ヘレニズム時代』を俯瞰してみる。
《第二部:ハシディームの系譜》では、『マカバイ戦争』、『ハスモン王朝』、『ヘロデ王朝』の時代を考察する。
《第三部:教会運動とイエス》では、イエスおよびその弟子達や大祭司そして王室と『教会運動』の関わりを検証する。
《第四部:パウロの挑戦》では、『パウロの教え』と『パウロの布教活動』に焦点を当てる。
《第五部:再臨信仰の再構築とパウロ批判》では、ユダヤ戦争後の再臨信仰の再構築とその過程で生じたパウロ批判に注目してみる。
《第六部:パレスチナとシオニズム》は、『契約の民の流浪』と言うテーマとの関わりの中でイスラエルとパレスチナの現状を検証する。
《第七部:聖霊のバプテスマ》では、≪トマス福音書≫、≪使徒行伝(パウロ)≫、≪ヨハネ福音書≫、≪マタイ福音書≫に記されたイエスと弟子達の言葉の背後に隠されたスピリットに参じて見る。
イエスは、「真理は人々を解放する(ヨハネ8:32)」と説いている。この書がユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間の矛盾を解消し、中東の平和、ひいては世界平和に貢献するよう望む。
[ハイライト]
 以下は、『契約の民の流浪史』作成の進捗状況を弊社のフェイスブック・メッセンジャー・サイトに報告した際の内容の抜粋です。

文書仮説
旧約聖書の誕生を巡り18世紀から19世紀にかけて『文書仮説(ぶんしょかせつ: Documentary hypothesis)』と言う学説が成立した。同学説に基づけば、モーセ五書(トーラー)は一人の作者(つまりモーセ)により作成されたものではなく、何世紀にもわたり、多くの人の手で作成された文書群からなっている。
ドイツの神学者ユリウス・ヴェルハウゼン(Julius Wellhausen:1844-1918)によると、『ヤハウィスト(Jahwist)』は最古の文書で、紀元前900年代に、ソロモンの宮廷で作成された。『エロヒスト(Elohist)は紀元前8世紀のイスラエル北王国において作成され、編集者によりヤハウィストと結合されJE文書を形成した。三つ目のソースは、ヨシヤ王の治世中の紀元前7世紀(紀元前620年以前)に成立した申命記である。そして『祭司資料(Priesterschrift)』が祭司と神殿が支配した時代、紀元前6世紀に作成された。
ヤハウィストはユダ王国における神の呼称にちなんだ聖書編集者の仮の名で、エロヒストはイスラエル北王国における神の呼称にちなんだ聖書編集者の仮の名である。祭司資料は、申命記を除く五書中の律法に関する文書資料で、ヴェルハウゼン氏は紀元前550年頃のバビロン捕囚以降に書かれたと見ている。
民族と国家の形成・崩壊・離散の過程に関する多くの人々による目撃証言を、後世になってモーセと言う個人に仮託してモーセ五書が成立したと言うこの仮説は、新約聖書にも当てはめることができそうだ。つまり異邦人ユダヤ教徒の中で発生した数百年におよぶ教会運動の目撃証言をイエスと言う個人に仮託して新約聖書が成立したものと見られる。興味深いことは、イエスはモーセに比べ遙かに実在した可能性が高いにも関わらず、また弟達や直弟子達の事績が明瞭であるにも関わらず、肝腎のイエスの事績が不明瞭なこと。実在したイエスの事績は新約聖書各巻の筆者により意図的に隠されたのではなかろうか。

パウルス一族
しかしパウロが第1回宣教旅行の過程でキプロス島のローマ総督と面会、その名をサウロからパウロに改めて以後、小アジア、さらにはギリシアやローマにおいてさえ、キプロス島のセルギオ・パウルス総督とその息子でピシディア州アンティオキア在住の元老院議員ルキウス・セルギウス・パウルスの一族が、パウロの宣教活動に対して資金と政治的庇護の両面で重要な役割を演じたであろうことは想像に難くない。
ローマ帝国市民の総人口が493万7000人(西暦14年の国勢調査)だった当時、400万人のダイアスポラ(Diapora)の新組織立ち上げの動きには、大祭司カイアファのみならず、セルギオ・パウルス一族も注目していたことだろう。一方、パウロは、未割礼の信者を含めれば、その数倍に上ると見られるヘレニスト信者の教会運動にモーセの律法に縛られない普遍的宗教の可能性を見いだしたものと見られる。パウロが頑なに割礼を拒絶したのは、キリスト教を人類全体の普遍的宗教にするには、ユダヤ教と絶縁する他なく、割礼の拒絶はその切り札になると考えたのだろう。

贖罪信仰の起源
洗礼者ヨハネはヨルダン川でイエスが近づいて来るのを見た時、「見よ、世の罪を贖う神の子羊(ヨハネ1:29)」と叫んだが、ユダヤ人は毎年ティシュレー月(第7月)10日(グレゴリオ暦9月末から10月半ばの間の1日)のヨム・キプル(贖罪日)に羊を犠牲として神に献げ(罪祭sin-offering)、罪を贖い、断食を行う。
司祭を務めるレビ族の始祖とされるモーセの兄アロンには、ナダブとアビブと言う二人の息子がいた。この二人がある日、香を焚いていると、失火し、二人とも焼け死んだ。規則に反する炭火を香炉に入れ、神の怒りを買ったためと言う(レビ10:1-2)。アロンは、犠牲を献げて、自分の一族とイスラエルの民の贖罪を行い神の怒りを鎮めた。この時、モーセは、アロンやアロンの別の息子達に対して、ナダブとアビブの葬儀に出席し、喪に服することを禁じた上、贖罪の儀式の捧げ物を食べるよう命じたが、彼等はこれに従わず、モーセをさらに激怒させた(レビ10:3-20)。どうやら、祭儀を巡るモーセとアロン一族の対立が存在したようだ。アロンは自分の一族だけでなく、イスラエルの民全体の贖罪を神から命じられており、おそらく、彼は、イスラエルの民を率いてモーセの気にそぐわぬ祭儀を執り行ったものと見られる。いずれにしても、この事件がユダヤ教最大の祭日、ヨム・キプル(贖罪日)の起源になった。
ちなみに、レビ族出身のモーセには、ミリアムと言う姉とアロンと言う兄がいた(民26:59,出6:20)。訥弁(とつべん)のモーセは、雄弁なアロンと共に出エジプトの大役を引き受けることを神から許された(出4:10-16)。彼らがファラオに会った際、モーセは80歳、アロンは83歳だった(出7:7)。しかし、アロンは、モーセがシナイ山に籠もり、40日間行方不明になった際、金の子牛を鋳造し、民族の求心力維持を図ったが、モーセの怒りを買った(出32)。またミリアムとアロンはモーセがクシュの女を娶ったことに不満を表明した(民12:1)。アロンはユダヤ教祭司の祖とされている(出28-29)。イエスの母の名マリアはミリアムのアラム語の発音に由来する。

聖霊のバプテスマ(因縁所生)
仮に、パウロが、≪ローマ信徒に宛てた手紙≫の末尾に「主がお選びになり信者に加えられたルフォスとその母親に宜しく。彼女は私の母でもあります(ローマ16:13)」と記しているルフォスが、クレネ人シモンの息子とすれば、この母親は、乳飲み子のイエスを実子のアレクサンドロとルフォスと共に育てただけでなく、パウロを回心させた『霊的な母』だった可能性がある。だとすれば、イエスとパウロはこの母親を介して霊的兄弟だったことになり、イエスとパウロを結ぶ縁(えにし)が存在したようだ。

棕櫚の行進
過越の祭の六日前、イエスは再びベタニアのラザロの家に赴き弟子達と夕食を共にした。この時マグダラのマリヤはイエスの足に高価なナルドの香油をぬり、自分の髪の毛でふいた。イスカリオテのユダが「なぜこの香油を三百デナリで売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」と詰ると、イエスは「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬(ほうむ)りの日のために、それをとっておいたのだから。貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない(ヨハネ12:1-8)」と諭した。
翌日、大勢の群衆がラザロの家に押しかけ、イエスが驢馬に乗ると、道に棕櫚の枝を敷き詰め、口々に「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」と叫んだ。

ヨハネ福音書は、弟子たちは当初このことを悟らなかったが、イエスが栄光を受けた後、旧約ゼカリヤ書に「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに(ゼカ9:9)。」と書かれていることが、この時成就したことを悟ったと述べている(ヨハネ12:16)。
過ぎ越しの祭りに向けて旧約聖書の記述に基づいた一大デモンストレーションを行う計画は、おそらく小ヤコブを初めとするイエスの弟達や、ラザロとマグダラのマリアおよびマルタ姉妹を含む多くの人々により、事前に周到に準備されていたものと見られるが、イエスの直弟子、中でも大ヤコブ、ヨハネ、ペテロ等の側近は、関与していなかったようだ。いや、おそらく、故意に蚊帳の外に置かれていたことをヨハネ福音書の記述は暗示している。

『申命記』成立の経緯
ちなみに、洗礼者ヨハネから水の洗礼を受けた後、荒れ野で40日間断食をしたイエスがサタンの試みを受けたことはマルコ福音書にも記載されているが、同福音書は、サタンの試みの内容に触れていない。これに対して、マタイ福音書とルカ福音書には、サタンが行った三つの試みが記されており、イエスは何れもモーセ五書『申命記(Deuteronomy)』の記述を引いてこれらの試みを退けている。40日間断食が可能かどうかは別にして、ノアの箱船の物語で神が雨を降らせたのが四十日四十夜、エジプトを脱出したユダヤ人が砂漠を放浪したのが四十年、モーゼが十戒を神から授かるためにシナイ山に上っていたのが四十日四十夜といった具合に、『40』は聖書の中では『試練』を象徴する数字のようだ。
『申命記』はユダ王国のヨシア王(在位BC 641-BC 609)が紀元前621年に偶像崇拝や異教の影響を排除する宗教改革に着手した際に発見された『失われたモーセの律法書』とされ、マタイ福音書とルカ福音書の著者がヨシア王の宗教改革を手本に、マルコ福音書の内容の補強を図ったことが窺える。

モーセに率いられエジプトを脱出したユダヤ人はシナイ半島西岸を1年かけてホレブ山まで南下後、今度は東岸を北上し、僅か11日で約束の地カナンの入り口カデシュに辿り着いた。しかし強固な先住民の支配を目の当たりにしたモーセは、侵攻を諦め、その後38年間荒野を彷徨したが、姉のミリアムがカデッシュで、兄のアロンもホルン山で死んだことから、自分の死も近いと悟り、モアブの荒れ野で『申命記』を著すとともに、ヨシュアを後継者に指名、ヨルダン川の東岸ネボ山の頂きからカナンの地を遠望しながら120歳の生涯を閉じたと言う。
エジプトを脱出した当時、モーセに率いられたイスラエルの民は、エジプトの官吏も無視するほどのほんの少数に過ぎなかったため、カナンの先住民の強固な支配を覆すことなど思いもよらなかったのだろう。しかし当時、つまり紀元前13世紀頃、ハラン、カナン、そしてエジプトの地を頻繁に往復する遊牧民は膨大な数にのぼった。そこでモーセはこれら遊牧民の諸部族、ルベン族、シメオン族、レビ族、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族、ベニヤミン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族 マナセ族、エフライム族を単一の始祖アブラハムと神との契約に基づく祭政一致の部族聯合に再編し、農耕民の都市国家を転覆する起死回生の一大戦略を思いついたものと見られる。しかしこの戦略を実現するには、38年では足りず、あるいは数百年を要したかも知れない。

[第六版謝辞と発刊の経緯]
『キリスト教の起源』は、もともと弊社SEA Researchの電子版広報紙『SEAnews』に掲載した『雑感』をまとめたものです。第一版出版後は、同紙に掲載した著者自身の書評を増補し、第二版、第三版、第四版、第五版も上梓致しました。第四版以降、日本語版と英語版は『Amazon』を通じ、中国語版は『SEAnews eBookstore』を通じて、販売して来ました。
さてこれまで毎年数件のフェイスブック友達リクエストを頂いてきましたが、『書評:聖霊のバプテスマ(ハヌカ)』の配信を完了した直後(2019年1月17日頃)に、大量の友達リクエストが届きました。そこで、これまで同様全て承認するとともに、弊社のフェイスブック・メッセンジャー・サイトに参加して頂くことにしました。但し『宛先追加リスト』に表示された方に限られます。
このように多くの方から同書評に対する反応を得たことから、『キリスト教の起源』をチグリス・ユーフラテスの豊穣な三日月地帯を旅立ち、約束の地カナンに移住した契約の民が世界各地に離散する過程で発生した『教会運動』からキリスト教が誕生すると言う『契約の民の流浪史』として、第六版を上梓することを思い立った次第です。
第六版作成の過程で、フェイスブック・メッセンジャー・サイトを通じ、多くの方からご激励頂いたことに、ここで改めて感謝申し上げる次第です。
[第一版謝辞]
本書を著すに際して、シュロモー・サンド著『ユダヤ人の起源』、ジェイムズ・D・ティバー著『イエスの王朝』、エルマー・R・グルーバー&ホルガー・ケルステン共著『イエスは仏教徒だった?』、荒井献著『トマスによる福音書』の他、ウェブサイト『パウロの生涯とイエスの実像』や田中幸治氏と村川享男氏がそれぞれ発行されているキリスト教メールマガジンから多くのヒントを得、参考にさせて頂いたことに深く感謝するとともに、これらの書やサイト、およびメール・マガジンの多くの内容を、著者らの意図とは必ずしも一致せぬ意味合いで引用させて頂いたことに関してお詫び申し上げる次第である。
十数年前に日中韓三国間の紛争に関する『雑感』をSEAnewsに掲載したのが、本書を著したそもそもの切っ掛けだが、ちょうどその頃から、当地(シンガポール)の『ものみの塔』の華英日印信者の方が毎週訪ねて下さり、私の聖書学習を支援して下さった。このため、これらの方々との意見交換も本書に反映されている。これらの皆様のご支援に心より感謝の意を表する。
当地inlingua School of Languagesのヨーロッパ言語部門上席講師Craig Bailiss氏は私の拙劣な英文を国際水準の英語に推敲して下さった。Craig氏ととともに、同氏をご紹介下さったAugustine Siew同校専務(MD)およびGiac Discoli校長、Graham Sage前専務のご好意に厚くお礼申し上げたい。
本書中国語版の監修は、私がシンガポール大学華語研究センターで中国語を学んでいた時、同大学建築科の学生だった当時のルーム・メートにお願いした。同氏のご厚意に深く感謝する。
[著者略歴]
1949年長野県上田市に生まれる。
父、村上徳太郎が経営する東光書院で、四書、易経、無門関、碧巌録、臨済録、摩訶止観、正法眼蔵、古事記、日本書紀、日本外史、神皇正統記、聖書等の講義を受ける一方、足利禅道会、北信禅道会等の禅会に参加。
1968年に川越高校を卒業後、東光書院主事を務める。
1980/81年シンガポール国立大学華語中心で中国語を学ぶ。爾来シンガポール在住。
1982年、陳加昌氏が経営する通信社パナニュースに入社。
1991年SEA Research設立。1992年 SEAnews 発刊。
現在:SEA Research社主兼SEAnews編集兼発行人。
著書:『キリスト教の起源』
訳書:廖志剛著『私の体験した文化大革命』日新報道
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