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厩戸皇子Ⅰ

<スライドショー:厩戸皇子Ⅰ>

第一部:エフライム族と縄文人
イエスは聖徳太子の予型

  イエス・キリストは日本に聖徳太子が誕生することを新約聖書が予定した『予型(type)』であり、聖徳太子は,イエス・キリストの『対型(antitype)』であった。
キリスト教神学では、旧約聖書に描かれたことを『予型』と呼び、それが予定したと考えられる新約聖書に描かれている出来事を『対型』と言う。
厩戸皇子誕生の逸話

聖徳太子は、敏達(びだつ)天皇3年(574)2月7日、現在の奈良県明日香村に生まれた。父は欽明(きんめい)天皇の皇子、橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ、後の用明天皇)、母は、欽明天皇の第三皇女、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)で、橘豊日皇子は蘇我稲目(そが の いなめ)の娘堅塩媛(きたしひめ)を母とし、穴穂部間人皇女の母は同じく稲目の娘小姉君(おあねのきみ)であった。つまり、聖徳太子の父母はいずれも欽明天皇を父に持つ異母兄妹で、兄妹婚によって生まれた欽明朝直系の皇位継承権を有するサラブレットだった。しかし、両親ともに蘇我稲目を祖父あるいは父としており、蘇我氏と強い血縁関係を有した。

『日本書紀』の推古天皇元年四月の条によると、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、懐妊後、宮中の諸官を見回られ、馬官(うまのつかさ)に至った際、厩(うまや)戸に当たり、俄かに産気づき、太子を出産されたため、厩戸の王子と名づけられたと言う。
帝国大学教授も務めた歴史学者の久米邦武(くめ くにたけ1839-1931)氏は、当時の僧徒がキリスト降誕説話を伝聞して太子の伝記に付会したものと見られると述べている。
景教の伝来

古代氏族名鑑『新撰姓氏録(しんせん しょうじろく)』によれば、神武天皇から数えて第14代の仲哀天皇の第8年(西暦197年)にキリスト教国弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)が家来とともに来日した。『日本書紀』には「是の歳、弓月君百済より来帰す」と記されている。その後、第15代応神天皇の時代に功満王の子が1万8670人の民を率いて渡来したと追記されている。景教の研究で世界的第一人者と言わる早稲田大学の故佐伯好郎(さえき よしろう1871-1965)教授によると、これが景教と呼ばれるキリスト教徒の秦氏(はたし)が大挙日本に渡来した起源とみられる。
中国の歴史書『資治通鑑(しじつがん)』によると、中央アジアのバルハシ湖付近に秦氏と言う遊牧民が建てた弓月と言う国が存在した。中国の別の歴史書『三国志』には秦氏は背が高く、馬に乗り、衣服は清潔で、異なる言語を話したと記されている。ちなみにアッシリアのエデッサ地方で話されたアラム語をシリア語と言い、景教徒は主にシリア語を用いていた。
ユダヤ教の東方伝播と第一次大和政権

最近の遺伝子学的調査によれば、ユダヤの12部族に数えられるエフライム族やマナセ族と同じ『Y染色体D2』遺伝子を保持する縄文人の祖先は、1万6500年前頃までにサハリン経由で日本列島に渡来したらしい。
ローマ大学やボローニャ大学の客員教授も務めた歴史家で美術史家の田中英道(たなか ひでみち、1942 - )東北大学名誉教授は、千葉県、茨城県、群馬県、埼玉県の古墳から数多く出土する、長い髭と長いもみあげを携え、特異な山高帽子を被った人物埴輪は旧約聖書レビ記に記されたユダヤ人の正装に酷似しており、ユダヤ人が日本に渡来したことを示唆している。この種の人物埴輪の出土は、関東地方に限られ、縄文時代の人口分布は、関東/東北地方に集中している。したがって群馬県多野郡上野村高天原山は、古事記や日本書紀に記された高天原や日高見国に比定される縄文人の文化圏が関東や東北地方に存在した証左と言う。
恐らく、モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、ヨシュアがカナンを征服する以前から、日本列島の住人と交流していたエフライム族は、イスラエル北王国の滅亡後、ユダヤ教を携えて渡来、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の第一次大和王朝の建国に寄与したものと見られる。
ギルガルの割礼

モーセとともにエジプトを脱出したユダヤ人は40年間シナイの荒野をさまよう間に全員死に絶えた(ヨシュア記5:6)。このため、モーセから後継者に指名されたエフライム族の指導者ヨシュアは、ヨルダン川東岸に定住していたルベン、ガド、マナセの半部族の戦士4万人を含むイスラエルの全べての民を西岸に渡らせた後、ギルガルで全員に割礼を施すよう命じた(ヨシュア3-5章)。
旧約聖書ヨシュア記の以上の記述は、ヨルダン川西岸のカナンを征圧した遊牧民は、モーセに率いられエジプトを脱出したユダヤ人とは異なる未割礼の非ユダヤ人であったことを示唆している。
古モンゴロイド

イスラエルの失われた10部族の帰還援助組織アミシャーブによると、この頃、ヨルダン川東岸に定住していたエフライム族とマナセ族は、日本列島先住民の縄文人やチベット人に特徴的な『Y染色体D』系統の遺伝子を保持する古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)に属し、両部族の始祖エフライムとマナセの父親ヨセフを含むヤコブ(別名イスラエル)の十二人の息子の子孫とは異なる遊牧民だったらしい。
仮にヨルダン川東岸に定住していた古モンゴロイド系遊牧民が、西岸に攻め入り、ユダヤ教に集団改宗しなかったなら、古代イスラエル王国の建国やモーセ五書の成立もなかったことだろう。
集団改宗

エフライム族とマナセ族は相携えてヨルダン川西岸に攻め入ったものの、両部族だけでは、農耕民の都市国家に太刀打ちできないため、ユダヤ教に集団改宗することにより、ルベン族やガド族を含むイスラエルの十二部族の協力を得ることを思い立ったものと見られ、そして、ソロモンの宮廷で旧約聖書のこの部分が作成された際、ヨセフがエジプトでマナセとエフライムと言う二人の息子をもうけた話やモーセがエフライム族のヨシュアを後継者に指名した話が挿入されたのだろう。
ユダヤ教の誕生

もし両部族が、ヨルダン川西岸に攻め入らず、ユダヤ教に集団改宗もしなかったなら、モーセの出エジプトの事績は忘れ去られ、古代イスラエル王国の建国もモーセ五書の成立もなかったに違いない。
ギルガルでイスラエルの民全員に割礼を命じたとされるヨシュア、あるいはヨシュアに擬(なぞら)えられるエフライム族の複数の指導者らは、ユダヤ人の発祥や出エジプトの伝説を掘り起こし、ユダヤ教の基礎を築き、単一の始祖アブラハムと神との契約に基づく祭政一致の部族聯合を組織した。契約の民の誕生である。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒として、現在も生き続ける契約の民の総数は34億人に達する。
マナセ族と第二次大和政権

北九州筑紫の高千穂の嶺に降臨した天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)を始祖とし、第一次大和政権を接収して、第二次大和政権を建てた神武天皇は、日本書紀や古事記の記述によると、新羅王朝の始祖とされる稲飯命(いないのみこと)を兄とすることから、朝鮮系豪族の統領であったらしい。
またマナセ族の末裔と見られるキリスト教徒の秦氏は、日本に渡来する以前に新羅に逗留していたようだ。新羅は聖徳太子の時代に景教の『三一妙身』の教義を象徴する手の形をとる弥勒菩薩半跏思惟像を日本に献上している。
室町初期に編纂された『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にると、継体天皇の子の安閑天皇には豊彦王(とよひこのみこ)と言う皇子がおり、豊彦王は秦河勝と同一人物としている。だとすれば、継体天皇もまた、秦の始皇帝の末裔とされる秦氏一族だったことになる。
これらの事実から、発足当初の第二次大和政権は、マナセ族と浅からぬ関係を有していたものと思われる。
大和朝廷の起源

『大和民族はユダヤ人だった(The Biblical Hebrew Origin of the Japanese People)』の著者ヨセフ・アイデルバーグ(Joseph Eidelberg 1916-1985)と言うユダヤ人は、バルハシ湖付近に『ヤマトウ』と言う地名があり、『大和』の語源ではないかと述べている。日本キリスト教団池袋キリスト教会初代牧師を務めたプロテスタント系聖書解説者の久保有政氏(1955-)によると、アラム語『ヤー・ウマト』は『ヤーウェの民』と言う意味になる。久保氏の知人が、骨董屋でユダヤの角笛ショーファー(Shofar)を購入しようとしたところ、ショーファーには長いものと短いもの2種類あり、長い方は元々古代イスラエル人の末裔の『ヤマトウ』人が使っていたものだと説明されたと言う。
ヨセフ・アイデルバーグ氏によると、日本の初代天皇、神武天皇のフル・ネーム『カム・ヤマト・イハレ・ヒコ・スメラ・ミコト』は、ヘブル・アラム語の『カム・ヤマト・イヴリ・ペコ・シュメロン・マクト』に由来し、カムは高尚な、ヤマトはヤハウェの民、イヴリはヘブル、ペコは創設者、シュメロンはサマリヤ、マクトは彼の王国の意で、『サマリヤ王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者』を意味すると言う。久保氏によると、アイデルバーグ氏はイハレをイヴリと解しているが、イハレはエフラ(イム)の訛りかも知れない。だとすれば、神武天皇の名は『サマリヤの王、ヤハウェのエフライム族の高尚な創設者』になる。(つまり、アブラハムから数えて第4代目の兄弟たちから奴隷として売り飛ばされて後エジプトの宰相になり飢饉に陥ったイスラエルの民を救ったヨセフの子エフライムと神武天皇は同一人物だったと言うことか?)
日本大学や国士舘大学で教鞭をとった神道家の藤沢親雄教授なども三種の神器のルーツは古代イスラエルと考えていた。
1965年福岡県糸島市有田で弥生時代後期から晩期のものと見られる墳丘墓が発見された。1988年から1999年にかけての調査で最終的に5つの墳丘墓が見つかり、1号墓からは直径46.5センチメートルの5面を含む、中国製と日本製の合計40面の銅鏡が出土された。調査に当たった考古学者の原田大六(はらだだいろく1917-1985)氏によると、直径46.5センチメートルは円周にすれば『八咫鏡』と同じであり、1号墓の埋葬者は玉依姫命(たまよりひめのみこと)すなわち大日孁貴(おおひるめのむち)ではないかと予想したと言う(Wikipedia)。玉依姫は、出雲神話の主人公大国主命(おおくにぬしのみこと)の妻。大日孁貴は天照大神の異名。つまり原田氏は、天照大神はもともと、出雲の巫女だった玉依姫と同一神と見ているようだ。
それはともかく三種の神器の八咫鏡は、中国製の銅鏡を模倣して日本で作成された可能性がある。仮にヘブル語やギリシア語が記されているとすれば、これらの言葉を理解するものが関わったと見られ、その時期は景教が日本に伝来した時期と一致しそうだ。明治天皇が仁内親王(しのぶないしんのう)に「神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされたが、後に原始キリスト教に集合された」と語られたと言うことから、その時天皇家はユダヤ教から原始キリスト教に改宗した可能性がある。また『原始キリスト教』とは、『割礼』を含むモーセの律法に忠実なヤコブ派を指しているのではないだろうか。
なお、前述の1号墓の東南には直径70センチの縦穴12本が存在した。調査報告書は墓から見て東南の天孫降臨の地日向峠の方角に位置していることから、『太陽信仰』に関係する大柱跡ではないかとしており、原田氏は「殯宮(もがりのみや)関係の建築物の遺構と考えられる」と述べている。
ちなみに古代イスラエル人には、東に向かって礼拝する習慣があった。第一回コンスタンティノポリス公会議において、アリウス(250 or 256–336)派に反論し、『三位一体』の教義確立に貢献したとされるニュッサ司教グレゴリオス(335?-394?)は、「私たちは皆、東に向かって祈りを献げるが、神が東のエデンの園に備えられたと言う私たちの元の家がどこにあったかは誰も知らない」と述べており、この習慣はキリスト教に受け継がれたものの、4世紀の教父たちも何故東方に向かって祈りをささげるのか、理由を知らなかったようだ。ユダヤ人がエジプトに渡った際、同地で身につけた『太陽信仰』の名残かも知れない。『大秦景教流行中国碑』には、景教徒が『東方礼拝』を励行していたことが記されており、あるいは『太陽信仰』も天遜族により日本に伝えられた古代イスラエルあるいはエジプト起源の信仰だったのではなかろうか。
<以下次号>
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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