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禅宗と景教(十牛図)

<スライドショー:十牛図>

ネストリウス派キリスト教徒により、中国に伝えられた『トマス福音書』の伝える本来的自己を取り戻す『魂の救済者』としてのイエス像が、唐代に勃興した禅宗の門徒により『十牛図』として結実した。
迷える羊の譬え

 イエスが言った、「御国は百匹の羊を持つ羊飼いのようなものである。それらの中の一匹、最大の羊が迷い出た。その人は九十九匹を残しても、それを見つけるまで、一匹を捜した。彼は苦しみの果てに羊に言った、『私は九十九匹以上にお前を愛する』と」。(トマス107)
100匹の羊を放牧する羊飼いが、99匹を差し置いて迷い出た1匹を懸命に探す話は、迷えるものに対する神の愛の深さを明かす譬えとして、『マタイ福音書』と『ルカ福音書』にも、登場するが、日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献氏によると、『トマス福音書』では譬え全体が『御国』の譬えとされており、譬えの比較点が『羊飼い』にされているため、『トマス福音書』に特徴的な譬えの『人間論化』の傾向が見られる。また迷い出た羊が『最大の羊』とされていることから、『トマス福音書』20節、76節、96節同様、救われるべき人間の本来的自己を示唆している。『苦しみの果てに』は、イエスの受難を暗示し、『九十九匹以上にお前を愛する』は、百匹に不可欠な一匹だからである。
これを≪トマス福音書≫全体の人間観および救済観に照らして解釈すると、元来人間の原初的存在、即ち『御国』に属していた本来的自己(一匹の最大の羊)が非本来的なものの中に迷い出たために、原初的存在、とりわけ本来的自己の具現者(羊飼い)がそれを探し求め、それを見いだそうとした。この場合、原初的存在の具現者は、直接的にはイエスを指しているものと見られるが、本質的には人間の事柄なのである。
Qソース

荒井氏によると、『トマス福音書』107節の『迷える羊』の譬えは、『マタイ福音書』18章12-14節と『ルカ福音書』15章4-7節に平行記事が存在するが、『マルコ福音書』には存在しないため、原典は『Q語録』と言うことになる。
ちなみに、『Q語録』とは、マルコ福音書にはないが、マタイ福音書とルカ福音書に存在する平行記事の共通のソースを意味し、1900年頃までに成立した最も近代的な福音書考証学説の一つとされる。
荒井氏によると、『マタイ福音書』の12節よりも、『ルカ福音書』4節に伝承の古型が残されているが、『マタイ福音書』の13節はQに近く、『ルカ福音書』の5-6節はルカによるQの書き換え。『マタイ福音書』14節と『ルカ福音書』7節は、いずれもマタイとルカによる編集句である。これに対して『トマス福音書』107節は、『マタイ福音書』と『ルカ福音書』の編集句が除去されており、全体として『Q語録』の古型が保存されている。
魂の救済者

九十九匹が原初的存在に属しているとするなら≪トマス福音書≫107節の譬えは、『マタイ福音書』18章12-14節の譬えとほぼ同様の趣旨に見える。百匹の羊は、『トマス福音書』では本来『原初的存在』に、『マタイ福音書』では本来『教会共同体』に、それぞれ属すべきものと考えられており、その限りにおいて『九十九よりも一』と言う逆説は、どちらも成り立たない。しかし『トマス福音書』では、『百に成るべき一』が『一を欠く九十九以上に愛されている』のであって『一』それ自体が愛の対象ではない。
この点に関しては、『トマス福音書』とともにナグ・ハマディ写本に含まれていた『真理の福音』の『迷える羊』の譬えの解釈に一層明瞭に認められる。古代においては、『九十九』までは、左手で数え、『百以上』は右手で数える習慣が存在し、左手は『不完全』、右手は『完全』を意味した。故に最後の『一』は大いなる右手に属し、『百』は父を表していると言うのである。エイレナイオス(130?-202)はその著『異端反駁』の中で、ヴァレンティノス派グノーシス者のマルコス派がこの種の解釈をしていたことに言及している。いずれにしても『トマス福音書』は、『迷える羊』の譬えに『最大の羊』と言う一句を加えて、これを羊飼いの苦難の動機とし、最終的にイエス自身に『私は九十九匹以上にお前を愛する』と語らせることにより、人間の本来的自己を取り戻す『魂の救済者』としてのイエス像を描き出していると言う。
牧牛の公案

時代は下って中国の唐代、一人の僧が厨庫(ずこ:厨房)で作務(さむ:仕事)をしていた。そこへ師匠がやって来て「何してる」と尋ねた。僧は「牛を放牧しています」と答えた。すると師匠は、「ホー、どんなふうにするんだ」と重ねて尋ねた。その僧は、「牛が草をはむために野良に行くときは、手綱を引いてやります」と答えた。師匠は、満足そうに「そうか、そうか」と頷いた。(景徳伝灯録)
厨房で牛を放牧しているとは、一体何のことか、と思うが、牛は『鉄牛の機』などと言い、禅門では、『本来の自己』の隠喩である。ここでは、『本来の自己』を求めて修行する雲水(学僧)達を指している。
厨庫(ずこ)は、台所(厨)兼書庫の意で、典座(炊事番:賄い方)を始めとする、禅門の諸知事がここに居を据え、寺院の管理に当たっていた。この僧は、おそらく禅寺の賄い役を務める典座だったにちがいない。
典座は、雲水たちの世話係だから、この僧は「牛を放牧している」と答えたのだろう。この公案は、馬祖道一(ばそ・どういつ:709-788)禅師とその弟子、石鞏慧藏(しゃっきょうえぞう )禅師の商量として『景徳伝灯録』に収録されている。
厨庫三門(ずくさんもん)

唐末五代十国の時代(907-960)に広東省韶州(しょうしゅう)の雲門山に住し、雲門宗を興した雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師は、ある日、弟子達に「人は誰でも光明を持っているが、見ようとすれば、真っ暗で何も見えん。お前達に本来備わった光明とは何だ」と語りかけた後、「厨庫三門(ずくさんもん)」と自答、さらに「良いことなど、無いに越したことはない」と付け加えた。
碧巌録第八十六則に収録されたこの公案は、雲門禅師が自問自答し、一人芝居の観を呈している。没年から生年を差し引くと、禅師は85歳の長寿を全うされたようだが、この公案は、どうやら禅師がその生涯をかけて到達した悟道の全容を披瀝したものと見られる。
禅宗寺院には当初、外山門・中門・正門と言う三つの門が設けられたが、後には一つの門の中央に大きな扉、左右に小さな扉を設け、三門と称し、山門と同義となった。五家七宗の本山ともなれは、当時すでに数百人から千人を超える大所帯になっており、時には皇帝の勅使も訪れたことから、厨庫の日常業務は繁忙を極めた。雲門禅師も出家した当初は人々の分上に具わった光明をあきらめるため坐禅三昧の生活をしていればよかったが、諸知事の役を担うようになると、出家も在家も変わりなく、取り分け雲門宗の始祖ともなれば、その心労は諸知事の比ではなかったろう。
十牛図

立正大学で修士号と博士号を修めた台湾出身の釈聖厳(しゃく しょうごん:1931-2009)禅師によると、宋代(960-1279)には、『本来の自己』を認識する過程、すなわち禅の修行の段階を描いた十牛図の様々なバージョンが作成された。12世紀の臨済宗の廓庵師遠(かくあんしおん)の作とされる十牛図が最も有名だが、馬祖道一禅師と石鞏慧藏禅師の商量は、牛飼いを題材にした最初期の公案と言う。


①尋牛(じんぎゅう)

十牛図の1枚目『尋牛(じんぎゅう)』は、誰もが仏性を持ち、解脱に至る力を持っていると言う仏陀の教えを信じる初心の修行者を描いている。しかし、彼は仏性を自ら体験しておらず、瞑想や礼拝といった修行を通じて本来の自己を発見しようとしている。


②見跡(けんじゃく)

二枚目の『見跡(けんじゃく)』では、修行者は、牛の足跡を発見するが、牛は容易に見つからない。この時点で、修行者は、修行に惹かれ、信仰を深める。これが『見跡』ということである。


③見牛(けんぎゅう)

3枚目の『見牛(けんぎゅう)』では、修行者は牛の尾を見ている。以前は足跡だけだったが、今は尾を見て、牛(本来の自己)の存在を確信する。これは、清らかな心の顔を見る、あるいは自己中心性が一瞬消え去った段階と表現される。しかし、それはほんの一瞥、つまり牛の尾を垣間見たに過ぎない。


④得牛(とくぎゅう)

4枚目の『得牛(とくぎゅう)』では、修行者は牛を捕らえ、縄で制御しようとしている。修行者は自身の仏性を悟るが、貪欲、怒り、瞋恚(しんに)、恨みといった煩悩に苛(さいな)まれ、悟りの境地が永続的ではないことに気づく。禅の修行や見解(けんげ)は、牛を制御する縄を成している。


⑤牧牛(ぼくぎゅう)

5枚目の『牧牛(ぼくぎゅう)』では、聖者となった修行者が、綱を引いて牛を楽々と導いている。大乗菩薩行の第11段階から第40段階まで達している。煩悩は少ないものの、修行に精励し、誓願を立て続けており、牛飼いと牛の進むべき方向は、今や明らかである。


⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)

6枚目の『騎牛帰家(きぎゅうきか)』では、牛飼いは笛を吹きながら、牛の背中に軽々と乗っている。これは菩薩の第一位、つまり菩薩行の第41段階目に当たる。修行者はもはや意識的努力を必要とせず、修行を続け、誓願を立て、牛はただ道を進み続ける。修行者は、それぞれの状況に応じて適切な行動をとることができる。


⑦忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)

7枚目の『忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)』では、牛は姿を消し、修行者だけが残っている。この段階は菩薩の第1位と8位の間、そして菩薩行の第41段階と47段階の間。修行の始まりは、川を遡て泳ぐようなもので、多大な努力が必要だが、やがて、泳ぐ者は水と一体になる。修行者は努力をせず、目標や目的を気にすることなく、自発的に修行するようになる。


⑧人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

8枚目の『人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)』では、牛も牛飼いも消え去り、絵の枠である円だけが残っている。つまり7枚目では、対象を表す牛が消え、8枚目では主体も消え去り、何も残らない。目標も、修行者もいない。


⑨返本還源(へんぽんげんげん)

9枚目の『返本還源(へんぽんげんげん)』には山と川が描かれている。修行の初心者は山や川を見ても、それらを認識しようとしない。しかし、達人は山を山として、川を川として見る。彼はこの世に還ったのだ。執着以外のすべてが存在する。もはや修行も無修行も、智慧も煩悩もない。すべては完全であり、誰もが仏であり、環境も仏土である。


⑩入廛垂手(にでんすいしゅ)

10枚目の『入廛垂手(にでんすいしゅ)』には乞食と、ぼろぼろの服を着たお腹の大きな僧が描かれている。乞食は苦しみを、僧は修行を終えた修行者を表している。僧は山奥の寂静を離れ、すべての衆生を救うために世俗に戻ってきた。煩悩は抱いていないが、他者が苦しんでいるからこそ、自ら進んで、道に困っているすべての衆生に救いの手を差し伸べる。(1992年10月22日釈聖厳老師講話。抜粋。)


禅宗と景教の融合

インドの菩提達磨により南北朝時代(439-589)に中国に伝えられた禅宗は、ちょうど同じころ中国に浸透したネストリウス派キリスト教と融合し、唐代(618-907)に入って爆発的に興隆した。
聖トマスの東方伝道

アッシリア東方教会(シリア教会)の初代大主教に列せられた十二使徒の一人、聖トマスは、イエス昇天の2年後、西暦35年頃アッシリアに赴き、次いでインドに伝道、7つの教会を建て、その後西暦62年に中国の北京に赴いたとされる。アッシリア東方教会は、中国では景教(Luminous Religion)と称された。


大秦景教流行中国碑

イエズス会が17世紀に西安で発見した『大秦景教流行中国碑』には、西暦635年にオロペン(Alopen阿羅本:アブラハムの意)が21人の景教徒を率いて中国に赴き唐の太宗皇帝に拝謁、漢訳聖書を献上、中国における布教を正式に許可されたことが記されている。しかしこれは公式の記録で、それ以前から景教徒は中国で布教していたものと見られる。


継体欽明朝と景教

しかし、早くも西暦197年、神武天皇から数えて第14代の仲哀天皇の第8年には、中央アジアのキリスト教国弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)が家来とともに来日した。『日本書紀』には「是の歳、弓月君百済より来帰す」と記されている。その後、第15代応神天皇の時代に功満王の子が1万8670人の民を率いて渡来したと追記されている。これが景教と呼ばれるキリスト教徒の秦氏(はたし)が大挙日本に渡来した起源とみられる。
秦氏の頭領秦河勝は、聖徳太子の側近として、治水や殖産興業のみならず、大和朝廷の宗教政策にも貢献した。
さて第二十六代継体天皇には、それぞれ、安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇となる三人の皇子がいた。室町初期に編纂された『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にると、安閑天皇には豊彦王(とよひこのみこ)と言う皇子がおり、豊彦王は秦河勝と同一人物と言う。だとすれば、継体天皇もまた、朝鮮から渡来した秦の始皇帝の末裔で、ネストリウス派キリスト教徒の秦氏一族だったことになる。
『魂の救済者』の神髄

このようにローマ帝国がキリスト教を公認する遙か以前に、ネストリウス派キリスト教徒により東方世界に伝えられた、『魂の救済者』としてのイエス像は、宗教界、取り分け禅宗に激震を与えた。禅宗教義の根幹を成す十牛図はその精華と言えそうだ。
- 禅宗と景教≪トマス福音書≫と現成公案[5]倶胝竪指(ぐていじゅし)○迷える羊 -
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『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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