≪新刊≫契約の民の流浪史(キリスト教の起源)
新刊:契約の民の流浪史 (キリスト教の起源)の日・英・中三言語のPDF版が世界66カ国のGoogle Play Webサイトで、日本語と英語のePub版が13カ国のアマゾンWebサイトで、それぞれ発売されました。お値段はいずれも4米ドル相当です。最寄りのサイトにアクセスし、お好みの通貨でご購入下さい。
[謝辞]
昨年は、チグリス川とユーフラテス川河口の三日月地帯から約束の地カナンに移住した契約の民が世界各地に離散する過程で発生した『教会運動』からキリスト教が誕生した点に注目し、『契約の民の流浪史』と言う副題付きで弊著第六版を上梓致しましたが、その後、イスラエルの十二部族の中で唯一(二?)、古モンゴロイドの遺伝子的特徴を具えたエフライム族とマナセ族が、カナン征服のみならず、その後のキリスト教の東方伝播にも重要な役割を演じたことが明らかになったことから、今回は、『契約の民の流浪史』をメインテーマとして、第七版をお届けする次第です。
第七版の増補部分の作成に際しては、日本キリスト教団池袋キリスト教会初代牧師を務めたプロテスタント系聖書解説者久保有政氏のブログから多くのヒントや啓発を受け、参考にさせて頂きました。
2020年12月
村上 厚
[序文]
チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアからパレスチナにかけた地域には、古くから農耕民と遊牧民が共生する都市国家が興亡して来た。大部分の都市国家の主役は農耕民だったが、遊牧民は、西方のエジプトのみならず東方のインドや中国とも交易し、異文化融合の触媒を務めて来た。
これらの遊牧民には、メソポタミアやエジプトの文化的背景を有するルベン族、シメオン族、レビ族、ユダ族、ゼブルン族、イッサカル族、ダン族、ガド族、アシェル族、ナフタリ族、ヨセフ族、ベニヤミン族以外に、チベット人や日本列島の先住民縄文人に特徴的な『Y染色体D』遺伝子を保持し、古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)に属すると見られるエフライム族とマナセ族が含まれ、それぞれ異なる氏神を奉じていたが、今から3000年乃至4000年前に単一の始祖アブラハムと神との契約に基づく祭政一致の部族聯合を組織、農耕民に替わって歴史の表舞台に登場した。契約の民の誕生である。
ユダヤ教は元来排他的で内向的な宗教だったが、イスラエルの十二部族が、古モンゴロイドに属し外向的且つ融和的なエフライム族とマナセ族を取り込んだことにより、ユダヤ教やキリスト教は、地中海沿岸地域のみならず、中央アジアやインド中国、さらには日本列島まで伝播、また東方キリスト教諸教会の原点とされる景教が、イスラム教の誕生や大乗仏教運動の起爆剤の役割を担った。こうしてユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒として、生き続ける契約の民の総数は,今や34億人に達すると言う。
第四部:トマスの東方伝道
[9]トマスの北京伝道と倭国のえにし
さて久保有政氏によると、トマスはイエスが昇天した2年後、したがって西暦35年頃、アッシリアからインドに赴いた後、チベットを経由して中国に伝道、西暦62年に現在の北京に至り、教会(会衆)も組織したらしい。それにしても、トマスは何故後漢の帝都洛陽や長安ではなく、薊県(けいけん)と呼ばれた北辺の地方都市に赴いたのだろうか。パウロにしろヨハネにしろ、当時の使徒達は皆、ユダヤ人コミュニティーがすでに存在した地域に伝道しており、恐らく当時の北京にもユダヤ人コミュニティーが存在していたものと見られる。
そういえば、中国河南省東部の開封市で発見された『重建清真寺記碑』には、秦の王賁(おうほん)将軍が魏の王都大梁(現在の河南省開封)を陥落させた紀元前231年に同市に最初のユダヤ人コミュニティーが形成されたと記されていると言う。そのほぼ十年後の紀元前226年に王賁将軍は燕の王都薊城(北京)を陥落させ、紀元前222年に燕を滅した。
秦の母体と見られる羌族(きょうぞく)は文字通り羌(ひつじ)を放牧する遊牧民で、イスラエルの失われた十部族の帰還援助組織アミシャーブによれば、典型的なマナセの末裔という。
このため王賁将軍には直属のユダヤ人傭兵部隊が存在し、同将軍が転戦した地域にはこうした傭兵部隊の家族のコミュニティーが形成されたのではなかろうか。
ちなみに春秋戦国時代から秦漢時代に書かれた中国最古の地理書『山海経』には「蓋国は燕の南、倭の北に在り、倭は燕に属す」と記されている。これが中国の書籍に『倭』が登場する最初の例とされる。どうやら春秋戦国時代から秦漢時代にかけて『倭』は『燕』の一部と見なされていたようだ。だとすれば、トマスが燕の古都薊城を訪れた当時、同地のユダヤ人コミュニティーは、饒速日尊がエフライムの協力の下に近畿地方に建てた大和国や、応神天皇の時代に日本に帰化したマナセ族の末裔の秦氏と密接な関係を保持していた可能性がありそうだ(後述)。
エフライムとマナセが皇室の朝鮮ルーツを媒介
日本書紀と古事記の記述は、皇室が新羅と百済双方と血縁を有することを暗示しているが、イスラエルの失われた十部族の中のエフライム族とマナセ族がどうやらその媒介を務めたようだ。
最初に降臨した饒速日尊が近畿地方に王権を樹立した際、天遜族の証しとして『ヤーウェの民』を意味するアラム語『ヤー・ウマト』にちなんで自らを大和王権と称したことから縄文人を含む日本列島居住者がヤマト族を自称するようになり、その後誕生した邪馬台国の国号にもなった。
北九州の筑紫地方を地盤とした朝鮮系豪族(磐井?)の東征将軍(神武天皇)は、近畿地方を制圧した際、大和王権の名称を引き継ぐとともに、自らを『サマリヤの王、ヤハウェのエフライム族の高尚な創設者』を意味する神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと:カム・ヤマト・エフライム・ペコ・シュメロン・マクト)と称した。このことから、饒速日尊はエフライム系ユダヤ人の協力の下に大和王権を樹立し、神武天皇もその伝統を引き継いだことが窺える。
一方、神武天皇の兄の稲飯命(いないのみこと)に率いられる北九州の豪族は、その後朝鮮半島に新羅を建国したらしい。しかし邪馬台国も大和王権もしばしば新羅に出兵し、百済よりの外交姿勢を採った。応神天皇の時代にも二度出兵し、新羅の妨害を退け、秦の始皇帝(BC259-BC210)三世の孫で、秦氏の祖先とされる弓月君が百二十県の民を率いて日本に帰化するのを助けた。イスラエルの調査機関アミシャーブによれば、秦氏はマナセ族の末裔らしい。仮に『本朝皇胤紹運録』の記述が正しいとすれば、継体天皇直系の現皇室もマナセ族の末裔と言うことになりそうだ。
原始キリスト教年表
(注:当年表は本書記述中の年代とは必ずしも一致していない。)
≪BC5500-BC3500≫
ウバイド文化
≪BC3500≫
シュメール最古のウルク王朝成立。洪水伝説/エデンの原型ティルムン。
≪BC1900-BC1300≫
族長時代(アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ)
ソドムとゴモラの滅亡。
≪BC1250≫
出エジプト(モーセ)
≪BC1200≫
ヨシュアのカナン征圧
≪BC1100≫
士師の時代
≪BC1020-BC965≫
統一王国時代(サウル、ダビデ、ソロモン)
≪BC926-BC538≫
南北王朝時代
≪BC722≫
アッシリアの侵入により北イスラエル王国滅亡。
ダイアスポラによるシナゴーグの創設
≪BC666≫
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと:カム・ヤマト・エフライム・ペコ・シュメロン・マクト)東征開始。
≪BC660≫
神武天皇即位。
≪BC586≫
ユダ王国、新バビロニアの攻撃で滅亡。
ダイアスポラの神殿のない時代に対応したシナゴーグにおける新たな信仰スタイルの形成。
≪BC538-BC332≫
ダイアスポラのエルサレム帰還
ダイアスポラのエルサレム巡礼。
≪BC332≫
アレクサンダー大王がイスラエルを征服。
マウリア王国第3代のアショカ王が全インドをほぼ統一。
≪BC231≫
河南省東部の開封に初めてユダヤ人が到来、ユダヤ人コミュニティーが形成された。
≪BC221≫
秦の始皇帝が中国を統一。秦の母体と見られる羌族(きょうぞく)は文字通り羌(ひつじ)を放牧する遊牧民で、イスラエルの失われた十部族の帰還援助組織アミシャーブによれば、典型的なマナセの末裔という。
≪BC167-BC37≫
ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、熱心党が誕生。
世襲王権による大祭司兼務に敬虔派が反発、ハスモン朝は、サドカイ派やエッセネ派を味方に引き入れ、敬虔派から別れたファリサイ派に対峙した。
≪BC167≫
マカバイ戦争開始
≪BC165≫
ユダ・マカベヤ、エルサレム神殿奪還し、宮を清める:ハヌカ(宮の清め/奉献)の起源。
≪BC140≫
ハスモン朝成立。
≪BC139≫
過度な布教活動を理由にローマ在住ユダヤ人の追放令が発せられた。
≪BC63≫
ローマのグナエウス・ポンペイウス将軍がユダヤを征服。
≪BC6-5≫
イエス生誕
≪BC4≫
ヘロデ大王逝去。ヘロデ・アンティパス、ガリラヤ領主に就任。
≪AD1≫
パウロ生誕
≪AD6≫
シリア総督クレニオ、アンナスを大祭司に任命。
≪AD14≫
ティベリウス・ユリウス・カエサル第二代ローマ皇帝に就任。
≪AD15≫
ユダヤ総督ウァレリウス・グラトゥス、大祭司アンナスを解任。その後ファビ家のイシュマエル、アンナスの実子エレアザル、カミトス家のシモンを相次いで大祭司に任命した。
≪AD18≫
ユダヤ総督グラトゥス、シモンに替えてカイアファを大祭司に任命。
≪AD19≫
ティベリウス帝、ユダヤ人をローマ市外に追放。
≪AD26≫
ユダヤ総督ポンティウス・ピーラートゥス着任。
≪AD27≫
イエスの洗礼/宗教界デビュー/神殿事件
≪AD29≫
ヘロデ・アンテパスとヘロディアの結婚/ヨハネの処刑
≪AD30≫
イエスの処刑/エルサレム教会発足
≪AD32≫
ステファノの殉教/パウロの回心
≪AD33-35≫
パウロのダマスコ/アラビア行、シリア/キリキア伝道。エルサレムでペテロ及びヤコブと会談。
≪AD34≫
ヘロデ・アグリッパ1世(マルクス・ユリウス・アグリッパス)、トラコニティス、ガウラニティス、バタナイア(現在のシリア南部~ヨルダン王国北部)の領主に就任。
≪AD35≫
トマスのアッシリア/インド伝道
≪AD36≫
ユダヤ総督ポンティウス・ピーラートゥス解任。
≪AD37≫
ティベリウス・ユリウス・カエサル逝去し、ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(カリグラ)が第三代ローマ皇帝に就任。
≪AD38≫
シリアの総督ウェテリス、大祭司カイアファを解任。
≪AD39≫
ヘロデ・アンティパスの追放。代わってアグリッパ1世がガリラヤ統治権獲得。
≪AD41≫
カリグラ帝暗殺され、クラウディウスが第4代皇帝に。アグリッパ1世、ヘロデ大王を上回る領地獲得。
≪AD42-43≫
パウロ、アンティオキヤに行く。パウロ、バルナバとエルサレムに救援物資を届ける。大ヤコブの殉教。ペトロの投獄と脱出。
≪AD44≫
アグリッパ1世の死でユダヤとエルサレムはローマの属州になる。
≪AD47-48≫
パウロ第一回伝道旅行(キプロス島、小アジア方面)
≪AD48≫
エルサレム使徒会議
アグリッパ2世、父の領地の大部分を継承。
≪AD49≫
アンティオキア事件(ペトロとパウロの衝突)。
クラディウス帝、ローマのユダヤ人を追放。
≪AD49-52≫
パウロの第二回伝道旅行(小アジア→マケドニア→フィリピ→テサロニケ→アカイア→アテネ→コリント。コリントに1年半滞在。)バルバナとマルコは別行動(キプロス島へ)。
≪AD53-56≫
パウロの第三回伝道旅行。武闘派のテロ激化。ローマ皇帝ネロ即位(54)、
熱心党、シカリ派のテロ(54-66)。ユダヤ各地にメシヤを自称する預言者が出現。
≪AD56≫
エルサレムに献金、パウロの逮捕。
≪AD56-58≫
パウロのカイザリア拘置。
≪AD59≫
パウロ、ローマに護送、マルタ島に漂着、ローマ到着。
≪AD60-62≫
パウロの処刑(64年説あり)、小ヤコブの殉教。
≪AD62≫
トマスの北京伝道
≪AD64≫
ローマでペトロ殉教。
皇帝ネロ、キリスト教徒をローマ大火の犯人として集団処刑。
≪AD65-70≫
『マルコ福音書』成立。
≪AD66-73≫
第一次ユダヤ戦争。
≪AD66≫
エレサレム教会はペレアに避難。
≪AD68≫
ローマ皇帝ネロ死去、エルサレム攻撃中断。
≪AD70≫
エルサレム神殿炎上。
≪After AD70≫
『ルカ福音書』成立。
≪AD73≫
マサダ要塞陥落。第一次ユダヤ戦争終結。
ヤムニア会議:戦争終結後ガリラヤ湖南西湖畔ヤブネ(Yavneh)に移転したサンヘドリン(大祭司が議長を務める最高評議会)は、聖書聖典から福音書を除外するとともに、イエスの教えを異端と宣言した。
≪AD80-90≫
『新聖書辞典』編纂。
≪Before AD85≫
『マタイ福音書』成立。
≪AD94-100≫
シリアあるいは小アジアのどこかヨハネの第一、第二、第三の手紙成立。
≪About AD96≫
ヨハネの黙示録成立。
≪AD100?≫
アグリッパ2世の死でヘロデ王家消滅。
≪AD115-117≫
第二次ユダヤ戦争(キトス戦争)
≪AD129-140≫
タタール人がキリスト教に集団改宗、アッシリアは世界最初のキリスト教国になった。
≪AD132-135≫
第三次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)
≪Before AD160≫
『ヨハネ福音書』成立。
≪AD197≫
キリスト教国弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)が百済経由で家来とともに来日した。その後、第15代応神天皇の時代に功満王の子が1万8670人の民を率いて渡来した。これが景教と呼ばれるキリスト教徒の秦氏(はたし)が大挙日本に渡来した起源とみられる。
≪AD313≫
東方正帝コンスタンティヌス1世と西方正帝リキニウスが連名で『ミラノ勅令』を発布、帝国内における信仰の自由を認めた。
≪AD324≫
コンスタンティヌス1世、ローマ帝国を再統一。
≪AD431≫
エフェソス公会議で、ネストリオス派は異端とされた。
≪AD603≫
秦氏の長、秦河勝(はたかわかつ)は京都の葛野(かどの)に広隆寺(こうりゅうじ)の元になる建物を建て、東方キリスト教会における三位一体のシンボルと同じ手の形の弥勒菩薩の半跏思惟像(はんかしいぞう)を安置した。
≪AD635≫
オロペン(Alopen阿羅本:アブラハムの意)が21人の景教徒を率いて中国に赴き唐の太宗皇帝に拝謁、漢訳聖書を献上、中国における布教を正式に許可された。
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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