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書評:聖霊のバプテスマ(奪命の神符)

獅子嚬呻(ひんしん)、頂門に竪亜(じゅあ)す摩醯(まけい)の眼、肘後斜めに懸く奪命の符。
モーセの律法
イエスは、仮庵の祭りに神殿の庭に集まった大衆に、「私は世を照らす光であり、私に随うものは、決して暗闇を歩くことはなく、命の光を手に入れることができる」と説いた。
これを聞いたファリサイ派の聖職者は、「あなたは、自分自身について証しをしている。あなたの証しは無効だ」と批判した。
これに対してイエスは「あなた方は私がどこから来たかも、何処へ行くのかも知らないが、私は自分がどこから来てどこへ行のか知っている。だから私の証しは正しい(ヨハネ8:12-14)」と反論した。
つまり「私が証すものは、霊から生まれた本源的自己である。あなた方は風の音を聞いても、それがどこからきて、どこへ行くか分からない(ヨハネ3:8)ように、霊から生まれた私がとこからきて、どこへ行くのか分からない。しかし私は、自分がどこから来て何処へ行くのかが分かる。だから私の証しは正しい」と言うのである。

イエスは、『聖なる単独者』と言う絶対軸に立って証しをしたが、これでは、相対軸に立つ地上の人間は、理解することができない。これに対してモーセは、天上の理を人々が理解できるように地上の言葉で説き明かした。しかし一旦相対軸に基づいて書き表した律法は、最早絶対ではない。
そこでイエスは、「私は(絶対軸からすれば、何も説かないし)、誰も裁かない。しかし(相対軸に立って)さばくとしても、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされた方が、常にわたしと一緒だからである。あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。私は私自身の証人であり、もう一人の証人は私をこの世に使わされた方そのひとである(ヨハネ8:15-18)」とし、神と一体不二の聖なる単独者としての自分の証しは、モーセの律法に照らしても有効だと主張した。

奪命の神符
過去現在未来を支配するシバ神の別名とされる摩醯首羅は相対界を見渡す横二つの眼の他に、額に絶対的視点に立って物事を見通す縦の目をもち、肘には奪命の符を掛けている。
日本臨済宗の中興の祖、白隠慧鶴(はくいん・えかく1686-1769)禅師は、槐安国語第十一則に収録された、臨済義玄禅師の高弟三聖恵然(さんしょう・えねん)禅師と潙仰宗を開いた仰山慧寂(ぎょうざん・えじゃく804-890)禅師の問答に、「獅子嚬呻(ひんしん)、頂門に竪亜(じゅあ)す摩醯(まけい)の眼、肘後斜めに懸く奪命の符」と著語、摩醯の一隻眼でわたり合う両雄の問答に参じるものは喪身失命を覚悟せねばならないと警鐘している。
その昔、三聖禅師が仰山禅師に見えた際、仰山禅師が「お前の名は何と言う」と尋ねた。すると、三聖禅師は「俺は慧寂だ」と答えた。これに対して仰山禅師は「慧寂は俺だ」と言った。すると三聖禅師は「それなら俺は恵然だ」と言った。これを聞いて、仰山禅師は呵呵大笑したと言う。(槐安国語 第十一則 汝名什麼)

真理の御霊は摩醯の符
イエスは続けて「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者だが、わたしはこの世の者ではない。」天上の次元の話を、地上の次元で理解しようとしても、話がかみ合わないのは当然である。「私はあなた方が、罪業のうちに死ぬだろうと述べたが、もし私が私について証したことを信じないなら、あなた方はまさしく罪の海の中で死ぬほかない(ヨハネ8:23-24)。」しかし「(もしあなた方も天上の次元に立って)、私の言葉にとどまるなら、真理を知ることができる。そして真理はあなた方を地上の罪から解放するだろう(ヨハネ8:31-32)」、つまり、「聖霊のバプテスマを受け、真理の御霊を受け入れるなら、生死と罪業の輪廻を抜け出すことができる」と説き明かした。これに先だってイエスは、姦淫の女に対しても「私もあなたを罰しない。罪の生活に告別しなさい(ヨハネ8:11)」と諭している。
イエスはさらに「わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられ、わたしをひとり置きざりになさることはない。なぜならわたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているからである(ヨハネ8:29)」と神人一体の単独者としての自信のほどを明言した。
エルサレム神殿におけるイエスの説教は、正に摩醯首羅の獅子吼を彷彿とさせる。しかし、これほどの信念を示したイエスでさえ、ゲッセマネでは「父よ、あなたにできないことはありません。願わくば、この杯をわたしから取りのけてください。されど、みこころのままに(マルコ14:36/マタイ26:39/ルカ22/42)」と祈り、十字架上において「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マルコ15:34/マタイ27:46)」と叫んだとされる。

ミステリー
ユダヤ暦7月15日の仮庵の祭りに一緒にエルサレムにのぼるよう求める弟たちの誘いを、一旦断った後、密かにエルサレムにのぼり、神殿の庭で説教したイエスは、この時点で、翌年1月15日の過ぎ越の祭りの前日に十字架に掛けられる覚悟を決めたものと見られる。処刑の1ヶ月半後のペンテコステの日(ユダヤ暦3月6日)には、大祭司邸に隣接したエッセネ派集会所で、地中海沿岸各地の異邦人教会の代表から成るエルサレム教会が発足、イエスの弟ヤコブが初代大司教に就任したが、こうしたスケジュールも既に決まっていたものと見られる。残りの準備期間は数ヶ月を余すのみで、この後、イエスがガリラヤに戻ることは、もはやなかった。おそらく、ルカやバルナバもマケドニヤやキプロス島で、異邦人教会本部を立ち上げる総仕上げに追われていたものと見られる。
では一体誰が、こうした計画を立案したのか。大祭司カイアファやその舅アンナスは、海外の異邦人ユダヤ教徒を統括するエルサレム教会が組織されることを歓迎したものと見られる。またローマ総督やヘロデ王家も、これにより宗教指導者らによる反乱が多少なり鎮静することを期待したかも知れない。しかし、地中海沿岸全域の異邦人ユダヤ教徒を巻き込むこうした運動を牽引する力は、誰一人持っていなかったことは明らかである。

暗示的な聖書の記述
ヨハネ福音書によると、最初にイエスの弟子になった洗礼者ヨハネの二人の弟子の一人、アンデレが、兄のペテロをイエスに紹介すると、イエスは開口一番、「ヨハネの子シモンよ、今後お前をケパ(ペテロ)と呼ぶことにしよう(ヨハネ1:42)」と述べている。
洗礼者ヨハネがベタニアにおいてエルサレムから派遣された聖職者らに対してイエスに関する証しを行った記事の直後に、この記述が見られ、洗礼者ヨハネ以外のヨハネは登場していないことから、イエスが述べた『ヨハネの子』とは『洗礼者ヨハネの子』と考えるのが自然であり、もしそうならヨハネ福音書の著者が、12使徒の首座としてペテロを立てるのも頷ける。
一方、マルコ福音書には、ゲッセマネでイエスが捕縛された際、亜麻布一枚まとった若者が、その布も脱ぎ捨て裸で逃げ去ったと言う出来事が唐突に記述されている(マルコ14:51-52)。他の福音書には、存在せぬことから、この若者は、著者のマルコが、自分のことを書き添えたものと見られている。
この他、マルコ福音書には、マグダラのマリアらと共にイエスの磔刑を見守り、遺骸が消えた墓に赴き、復活したイエスに最初に出会った女性信徒の一人としてサロメと言う女が描かれている(マルコ15:40/16:01)。他の聖典福音書にはサロメと言う女性信徒は登場しないが、外典『トマス福音書』には、イエスと床と食卓を共にした極めて親密な女性信徒として描かれている。
エルサレムの神殿に赴いたイエスはしばしばオリーブ山に退いているが、オリーブ山の東側にはマルタ/マリヤ姉妹とラザロの家が、西側にはマルコの母親の家が存在した。
使徒行伝等の記述によると、マルコの母親マリヤは大祭司カイアファの屋敷に隣接した家に住み、当初はエッセネ派に、後にはエルサレム教会に、集会所としてこの家を提供した。イエスが12使徒と最後の晩餐を行ったのもこの家の二階とされる。

ちなみに、地中海に面した南フランスに、サント・マリー・ド・ラ・メールと言う土地が存在する。伝説によれば、イエスが磔刑に処せられた後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ、従者のサラ、マルタ、ラザロたちは、小舟でエルサレムを逃れこの地に流れ着いた。彼女たちのうち、マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラがこの地に残った。これがこの土地の名の由来とされる。

こうしたことから、マルコ福音書の著者は、自分の母親もそれとなく福音書に書き添えた可能性がある。もしそうなら、十二使徒に含まれてもいないマルコが、最初の福音書を著しただけでなく、大胆にイエスの兄弟たちや家族の無理解を非難するような記述を行い、小ヤコブやパウロと対立するほどの影響力を持ち得たのかが理解できる。
とは言えカトリック教会は、サロメはマタイ福音書がイエスの処刑を見守った女性信徒の一人として記述するゼベダイの子ら(大ヤコブ、ヨハネ兄弟)の母親(マタイ27:56)と同一視しているようだ。
いずれにしても、これらの女性信徒たちは、おそらく、ベタニヤにおける洗礼者ヨハネの証しや、ラザロの復活、最後の晩餐等、イエスの生前の重要なイベントの他、エルサレム教会の創設にも、少なからぬ役割を演じたであろうことが窺える。
イエスの家族の墓とヤコブの骨壺

『NYTimes.com』が最近報じたところによると、ディスカバリー・チャンネルが2007年に放映した『キリストの棺(ひつぎ)』と題するドキュメンタリー・フィルムの脚本を書いたシムカ・ジェイコボビチ氏は、東エルサレム郊外に存在する件(くだん)の墓と2002年に話題になった『イエスの兄弟ヤコブの骨壺』を結びつける考古学調査に関する新たなドキュメンタリー・フィルムを制作中と言う。
東エルサレムに隣接した東タルピオットの建設現場で1980年に発掘された墓からは、アラム語で、『ヨセフ』、『ヨセフの子、イエス』、『マリヤ』、もう一人のおそらくマグダラの『マリヤ』、『マタイ』、『イエスの子、ユダ』等と刻まれた10個の骨壺が出土した。シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ共著ジェームズ・キャメロン序言『キリストの棺』によると、これら聖書の登場人物の名は、どれもありふれたものだが、同時に一つの墓に存在する確率は単純計算で250万分の1、さまざまなマイナス因子を掛け加えても600分の1で、イエスの家族の墓である可能性は極めて高いと言う。

一方、テルアビブ在住の骨董収集家オデッド・ゴラン氏は、1970年代に東エルサレムの骨董品業者からやはりアラム語で『ヨセフの子ヤコブ、イエスの兄弟』と刻銘された骨壺を手に入れた。
地質学者アリエ・シムロン氏は、『タルピオットの墓』の内装品から採取した成分と『ヤコブの骨壺』から採取した成分の間の地質化学的共通性から、『ヤコブの骨壺』が元々『タルピオットの墓』に埋葬されていたことを立証する研究に取り組んでいる。ジェイコボビチ氏とそのサポーターらは、「首尾良く立証されれば、『タルピオットの墓』がイエス・キリストの家族のものであった可能性が一層高まる」と指摘する。

『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】

《トマス福音書》第六十一節
イエスが言った、「二人の男が一つの寝台に休んでいるならば、一人が死に、一人が生きるであろう」。サロメが言った、「あなたは誰なのですか、一人から出たような人よ。あなたは私の寝台に上り、そして私の食卓から食べました」。イエスが彼女に言った、「私は同じ者から出た者である。私には父のものが与えられている」。サロメが彼に言った、「私はあなたの弟子です」。イエスが彼女に言った、「それ故に私は言うのである、『彼が同じである時に、彼は光で満たされるであろう。しかし彼が分けられている時に、彼は闇で満たされるであろう』。」
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