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『契約の民の流浪史』スライドショー第十話:イエスのいましめ

<スライドショー第十話>
ロシアのプーチン大統領は、2022年3月18日モスクワのルジニキ・スタジアムで催された『クリミア併合8周年』記念集会の席上、ヨハネ福音書第15章13節を引用し、「人々を苦しみと虐殺から救うこと、これがドンバスとウクライナで開始した軍事作戦の主な理由、動機、目的である」と語った。
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過ぎ越の祭りの前日、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所の二階で十二使徒らと最期の晩餐を終えたイエスは、弟子達を率いてオリーブ山に赴く途中、「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(ヨハネ15:12-13)」と、自分が十字架にかかる意味を説き明かし、自分と同じ愛を実践するよう弟子達に命じた。
正教大国ロシアを標榜するプーチン

多摩大学学長で一般財団法人日本総合研究所会長を務める評論家の寺島実郎(てらしま じつろう1947-)氏によると、社会主義国ソ連の諜報員だったプーチンは社会主義をかなぐり捨て再三『正教大国ロシア』を目指すと述べている。中国が未だに社会主義にこだわり続けているのに反してプーチンは社会主義と決別し、統治理念としてロシア正教を掲げている。
同氏によれば、エルサレム旧市街(東エルサレム)のゴルゴタの丘に立つ聖墳墓教会の内部は、キリスト教各派によって分断統治されている。
左側上部コーナーの小さい青い部分だけがローマ・カトリック教会、最大の黄色い部分はギリシア正教会、次の黄緑の部分はエチオピア正教会で、以下、紫がコプト正教会、黄土色がアルメニア正教会、そして頂点に位置する茶色部分がシリア正教会で、ギリシア正教の大きな存在感とローマ・カトリックの存在感の小ささが際立っている。
欧露関係のパラダイム転換

1991年のソ連邦の崩壊によりワルシャワ条約機構は解消されたが、西側の北大西洋条約機構(NATO)は維持され、元のソ連邦メンバー国がNATOに新規加盟する動きが生じた。
寺島氏によると、宗教分布図の青(旧教)と黄緑(新教)の部分が、旧教と新教の西ヨーロッパに属している。赤(ロシア正教)と黄色(その他の正教)の部分がギリシア正教系列の東ヨーロッパに属している。
NATO加盟国図の灰色部分はNATO加盟国で、赤い線は『鉄のカーテン』による分断線を示している。薄紫は1991年に『鉄のカーテン』が除去された後のNATO新規加盟国。白は中立国である。たとえば、かつてソビエト連邦に加盟していた国のうち、バルト三国のリトアニアはカトリック、ラトビアとエストニアはプロテスタントで、ルーマニアとブルガリアは正教だが、すべてNATOに加盟した。
寺島氏によれば、もしウクライナもNATOに加わるなら、スラブ系正教会のゾーンをNATOが大きく浸食、正教大国ロシアの威信が失墜することになると言う。
ペレストロイカ

そこで、ソ連邦の崩壊から今日に至る西欧とロシア及び東欧の関係を振り返って見よう。
1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、翌年から『ペレストロイカ(再構築/再革命)』政策を打ち出し、政治や経済の改革を進めた。東欧の民主化を後押しし、冷戦を終結させたが、国内では経済が混乱し、国民は連邦政府への不満を募らせた。また、検閲の廃止や言論の自由を認めるグラスノスチ(情報公開)制度が推進されたため、各地の民族主義と独立志向が強まった。
クーデターとエリツィンの登場

ナゴルノ・カラバフ等での民族紛争の勃発、バルト三国の独立回復宣言など、崩壊の様相を呈してきた連邦を維持するため、1990年3月から大統領を兼任したゴルバチョフ書記長は、連邦構成共和国の権限を大幅に拡大する新連邦条約の成立を目指した。
条約の調印を翌日に控えた1991年8月19日、これに反対する保守派勢力によるクーデターが発生したが、ゴルバチョフに代わって権力を強めていたボリス・エリツィンに率いられるロシア当局や市民の抵抗により政権奪取の試みは失敗した。しかし、連邦政府の権威は失墜し、共和国が相次いで独立を宣言、連邦の分裂は深まった。
ベロヴェーシ合意とソ連邦の消滅

連邦崩壊を防ぐため、ゴルバチョフが新たな新連邦条約と経済共同体条約の成立を急ぐ中、8月24日にウクライナが独立を宣言、12月1日には独立の是非を問う国民投票(投票率84.2%)が行われ、賛成90.3%の圧倒的多数で支持された。独立の意思を明確にしたウクライナに対し、ゴルバチョフとエリツィンは「ウクライナなくして新連邦は成り立たない」という意見で一致した。
1991年12月7日、ベラルーシのベロヴェーシの森のフルシチョフの旧別荘にロシアのボリス・エリツィン大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケービッチ最高会議議長、国民投票と同時に行われた大統領選挙で選出されたウクライナのレオニード・クラフチューク大統領が急遽集まり、12月8日の秘密会議でソビエト連邦の消滅と独立国家共同体(CIS)の設立を宣言するベロヴェーシ合意が締結された。
ブタペスト覚書:ウクライナの非核化と中立化で合意

ロシア政治を専門とする法政大学名誉教授の下斗米伸夫(しもとまい のぶお、1948年- )氏によると、当初の計画ではスラブ三兄弟のロシア/ウクライナ/ベラルーシが互いに争わず中立を維持するとともに、共同で戦略核部隊を管理するはずだった。しかし、エリツィン大統領とウクライナのクラフチューク大統領のそりが合わなかったのに加え、ウクライナの次のクチマ大統領が軍産複合体の代表だったことから、ロシアが核兵器を全て引き取り、アメリカ、イギリス、ロシアがウクライナの安全を保証する代わりに、ウクライナに核兵器の放棄を承認させたブタペスト覚書が結ばれた。
クリントン再選とNATOの東方拡大

同氏によれば、クリントン大統領の再選問題に付随してNATOの東方拡大と言う考えが浮上した。これはウクライナではなく、チェコやポーランドに拡大すると言うものだったが、米国内に大きな論争が生じた。クリントンは国内政局に鑑みNATOの東方拡大に舵を切った。この頃からロシアの警戒が高まった。エフゲニー・プリマコフと言うゴルバチョフ系の人物が大統領候補として台頭したが、エリツィン大統領はKGB出身のプーチンを起用し、同候補の阻止を図った。
笹川平和財団上席研究員で読売新聞社代表取締役主筆を務める渡部恒雄(わたなべ つねお、1963-)氏によれば、1995年からNATOの東方拡大が始まり、1997年に東方拡大の細部が合意され、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーの3カ国の加盟が決まった。
小ブッシュとバイデンの対露姿勢の相違

同氏によると、当時、日米貿易摩擦から日米安保問題が困難に直面していたが、自分(渡部氏)は、カーター政権の安全保障担当補佐官だったスビゲネス・ブレジンスキーと共にワシントン戦略国際問題研究所(CSIS)に席を置いていた。沖縄の基地問題も揉めており、沖縄サミットが開かれた。1995年に日本の国会議員がブレジンスキーと会談した。ブレジンスキーはNATOの東方拡大の直後にロシアを過度に刺激するのは得策でないため、日米安保を強化しない方が良いとアドバイスしたと言う。クリントン政権が相当無理をしてNATOの東方拡大計画を推進していたことが窺える。
ジョージアにロシア軍が侵攻した際、小ブッシュ大統領は、軍事支援しただけでなく、米軍機を空港に駐機したまま動かさなかった。もしロシア軍が攻撃をしかけ、米軍機が損傷を受ければ、即米ソ戦争になることを意思表示するとともに、コンドリー・ザライス米国国務長官を派遣して停戦合意まとめてしまった。
当時のブッシュ政権は軍事力と外交政策を組み合わせて、プーチンを押さえ込んだが、バイデンは米軍機を派遣すれば、米ソ戦争になるとして、米軍機の派遣を否定すると言う全く反対の姿勢を見せ、かえってロシアの侵攻を招いた。
ブレジンスキー・ドクトリンとキッシンジャー・ドクトリン

寺島氏によると、ソ連崩壊後ウクライナをNATOに引き入れるべきだと言う所謂ブレジンスキー・ドクトリンが2008年までは確かに米国に存在したが、その後むりやりウクライナをロシアから引き離して西側に引き入れるよりも、北欧のように中立化させるべきだと言うキッシンジャー・ドクトリンが台頭した。
渡部氏によると、ウクライナはNATOには加盟していないが、国連のメンバーである。ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章に違反しているのだから、本当ならNATO軍ではなく、国連軍が介入せねんばならない。しかし拒否権を有する常任理事国にロシアと中国が含まれているため、両国が反対すれば国連安保理は機能しない。だから総会で非難決議を行ったのである。この点をどう解決するかが根幹であり、中立の問題が重要である。キッシンジャーが提言するような方式があるのではないか。
ウクライナ危機は来たるべき大戦争の序章

元東京・中日新聞論説副主幹のコメンテーター、長谷川幸洋(はせがわ ゆきひろ1953-)氏によると、バイデン大統領がプーチンこそ諸悪の根源と考えていることは明らかで、最近の彼の複数の発言から、目の前で起きているのはロシアとウクライナの紛争だが、突き詰めて考えれば、バイデンは、この紛争が終わった後の世界について述べている。だからこそ『プーチンを捕まえろ(Go get him)』/『プーチンを権力の座に留まらせてはならない」/『ジェノサイドを許してはならない』と述べたのであり、これはプーチンが支配するロシアとはとことん戦うと表明したのも同然と私は考える。バイデンは「この戦いは負けるわけにはいかない」と確信しつつある。「バイデン政権の中ではこうした議論がとっくに行われていた」と、私は思う。もしそうなら『停戦などない』。と言うことは、ウクライナ紛争は来たるべき大戦争の序章にすぎない。この後が本当の決戦になる可能性がある。
米国の妥協が唯一の解決策

やがて中国も本性を現すと思うが、ロシアと中国と言う独裁国家の本性が、明らかになった以上、これとの戦いはもう避けられない。彼等は国際法など無視だから、決戦を回避するには、米国が自分の国の安全だけ守ることだけで妥協するしかない。もし米国が妥協するなら、停戦合意が成立する可能性がある。その場合はウクライナも台湾も見捨て、アメリカはハワイまで後退すると言うことだ。
そのように米国が腹を決めれば、妥協の可能性がある。しかしバイデン政権を構成しているメンバーは、そんな妥協をするつもりはない人々である。自由、民主主義、法の支配、市場経済と言った彼等のイデオロギーは、民主党だけのものじゃない、共和党もそうだ。なぜならウクライナやグルジアをNATOに加盟させる方針を決めたのは共和党のジョージW.ブッシュ大統領である。トランプ政権になれば、変わるかもしれないが、そんな余計な戦いはすべきでないと言う現実主義者は残念ながら米国の少数派である。トランプ政権が誕生するとしても2024年のことで2年も先である。向こう2年間バイデンが仕切ることになれば、バイデンの下には、サリバン国務長官のような理想主義の理念に燃えた人々が犇めいている。とすれば残念ながらロシアや中国と妥協できない。そうすれば、戦争は継続し、大戦争につながる可能性が十分あると言う。
中国の社会主義市場経済路線の内情

講談社特別編集委員を務め北京大学留学や北京駐在の経験も有する中国専門家の近藤大介(こんどう・だいすけ、1965-)氏によると、1992年に社会主義市場経済路線を憲法に明記した中国では、社会主義と市場経済のどちらを優先するかで過去30年間論争が続けられて来た。
共産党総書記と軍事委員会主席も兼務する習近平国家主席は、社会主義を最優先し、社会主義あっての市場経済と言う立場だが、江沢民や胡錦濤はむしろ市場経済を優先すべきだとの立場で、胡錦濤の弟分の李克強首相も、市場経済を推進し、ゆくゆくは民主国家にしたいと考えているものと見られる。
中国共産党の結束は硬くて脆い。表面的には皆拍手喝采しているが、裏では分からない。2012年11月の第18回共産党大会で習近平総書記が誕生した直後の5年間は習近平派と反習近平派の激しい権力闘争が展開された。2017年10月の第19回共産党大会では反習近平派は一掃されたが、非習近平派が依然存在し、そのトップが李克強氏と見られる。
百周年決議と歴史決議

昨年(2021年)7月の中国共産党100周年の記念決議には、最初の100年は毛沢東が作り、次の100年は自分が作ると言う習近平総書記の強い意志が表明されていた。しかし半年後の11月の中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)で裁決された、4万字に及ぶ長文の歴史決議においては5人の指導者毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平が横並びに列挙され、習近平色がトーンダウンした。習近平総書記としては承服できないことと思う。仮に習近平が金正恩のように権力を完全に掌握しているのなら、こんな文章にはならなかったと思う。
習近平主席の支持基盤は、貧しい下層階級で、外交、政治闘争、経済引き締め等の影響は、これまでさして受けなかったが、コロナ対策や最近の経済政策は、こうした貧しい人々にも影響を及ぼし、習近平政権のコアの支持基盤をむしばみつつある。権力闘争の結果、経済通の李克強首相も出番がなくなっている。しかし今年秋の党大会までは、何とか不満を抑え込もうとするものと見られると言う。
全員参加型新世界秩序

寺島氏は、「ウクライナ危機を契機に世界は、超大国がリードする秩序から全員参加型秩序へ移行するのではないか」と指摘する。同氏によると、国際司法裁判所の15人の判事中、ロシアと中国出身の2人を除く13人がウクライナ侵攻を戦争犯罪に近いものと判定したのは重要である。国連が機能していないと言うものがあるが、総会で非難決議を行ったことからも、そうとも言えない。どこかの大国に守られていればよい時代は終わり、次のステップとして全員参加型の新しい秩序を目指す契機になったのではないか。中国は世界から孤立する怖さを学んだと見られ、台湾問題にも慎重姿勢を見せている。
グローバリズムとナショナリズム相剋の淵源

寺島氏は、プーチン大統領はロシア正教のキリル総主教をメンターとして師事して来たが、西方キリスト教が普遍的価値やグローバリスムを志向するの対し、ギリシア正教はナショナリズムあるいは国家宗教としての色彩が強いと指摘する。
キリスト教会におけるグローバリスムとナショナリズム相剋の淵源はヘブライスト信者とヘレニスト信者の対立から、エルサレム教会が発足直後にモーセの律法を重視するイエスの道を説く小ヤコブに率いられるエルサレム教会と割礼やモーセの律法から解放されたイエスの道を説いたパウロに率いられるアンティオキア教会に分裂した時代にまで遡りそうだ。
ローマン・カトリック教会は、元々パウロが説く律法から解放されたイエスの道に忠実なヘレニスト信者により創設されたものだが、4世紀になって両派の和解が成立、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、4福音書を新約聖書の正典にするとともに、初代教皇に、パウロでも、小ヤコブでもない、ペテロを叙した。
カルケドン会議

キリスト教会はその後、イエスの人性と神性を巡り西暦451年に催されたカルケドン会議において東西に分裂した。
同会議では「キリストが神性と人性の双方を有する」と言う『両性説』が確認され、コンスタンティノープル大修道院長エウテュケスが唱えた「イエスにおいて人性は神性に吸収された」とする『単性説』が否定され、同時に、『両性説』は認めたもののイエスを生んだマリアを『神の母』と呼ぶことを拒み、『キリストの母』呼んだコンスタンティノープルの総主教ネストリウスも改めて異端と裁定された。
ちなみに、東方教会は、これに先だつ421年のマルカブタ教会会議において、「東方教会総主教は、キリストに対してのみ応答する」と述べ、事実上、東方教会の独立を宣言していた。
東方正教会の成立

こうして見ると、東方諸教会はローマン・カトリック教会の羈縻に服せぬ点では一致したものの、決して一枚岩ではなかったことが窺える。
いずれにしてもギリシア正教はグノーシス的イエスの教えを説いたトマスを始祖とする東方正教会に属しており、東西の対立を止揚する潜在性を備えていると言えそうだ。
エウセビオスの教会史(Historia Ecclesiastica、I、xiii)によれば、聖タダイが、西暦1世紀半ばにエデッサを都としたローマの属州オスロエネのアブガル5世を改宗させた時、キリスト教がアッシリアに定着した。西暦129-140年にはアッシリアが世界最初のキリスト教国家となり、西暦161年までにメディア、ペルシア、バクトリアにキリスト教が広まり、東方諸教会が成立した。アッシリア東方教会は、中国では景教(Luminous Religion/ Nestorianism)と称された。
景教の日本伝来

『新撰姓氏録(しんせん しょうじろく)』や日本書紀によれば、早くも西暦197年(仲哀天皇の第8年)には景教国弓月(ゆづき)の王功満(こうまん)が百済経由で家来とともに来日、恐らくこの頃日本の皇室はユダヤ教から原始キリスト教に改宗したものと見られる。
明治天皇の皇女仁(しのぶ)内親王はご子息の、小林隆利氏に「父(明治天皇)はこう言われた。私は天皇の権限で日本の歴史を調べたが、神道は元々ユダヤ教として日本にもたらされた。そして後に原始キリスト教に集合された」と語ったと言う。
室町初期に編纂された『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』にると、安閑天皇には豊彦王(とよひこのみこ)と言う皇子がおり、豊彦王は秦一族の長で聖徳太子側近の秦河勝と同一人物と言う。だとすれば、安閑天皇の父親の継体天皇、そして継体天皇直系の現皇室もまた、秦の始皇帝の末裔とされる秦一族と言うことになる。
景教、中国仏教に激震

景教徒がもたらした『再臨』、『復活』、『最後の審判』等の思想や信仰は、中国仏教に劇的な影響を及ぼしたようだ。
日本真言密教の開祖空海は、景教碑碑文の作者景浄の友人でカシミール出身の般若三蔵からサンスクリットを学んだ。このため和歌山県の高野山には景教研究家エリザベス・アンナ・ゴードン女史(1851–1925)が、贈呈した景教碑のレプリカが存在する。
また京都西本願寺所蔵『世尊布施論』第三巻の内容は、景教徒が著した漢訳『マタイ福音書』の山上の垂訓にほぼ一致している。
臨済宗の師家が学人与える修行課題を『公案(裁判案件)』と言うが、ここにも『最後の審判』の影響が感じられ、『トマス福音書』の内容は公案そのものである。
真のぶどうの木

過ぎ越の祭りの前日、十二使徒らと最期の晩餐を共にしたイエスは、弟子達を率いてオリーブ山に赴く途中、『ぶどうの木』の喩えを語られた。
 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げいれて、焼いてしまうのである。(ヨハネ15:5)
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。(ヨハネ15:12-14)
『人がその友のために自分の命を捨てること』の『人』とは『イエス』自身、『友』とは『弟子達』、ひいては『全人類』を指している。つまり人類の罪を贖う犠牲としてイエスが十字架にかかることを予告しているのである。
これが『イエスの愛』であり、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』とは、イエスと同様に自らを犠牲にするレベルの愛を他人に施しなさいと、弟子達に命じているのである。
『本来の自己』を見失ったものの運命を予告

≪トマス福音書≫には次の二節が存在する。
 イエスが言った、「高い山の上に立てられ、固められた町は、落ちることもできないし、隠されることもできない。」(トマス32)
日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献(あらい ささぐ)氏によると、『町』は『本来的自己』を、『高い山の上に立てられ、固められた』は『人間の資質』を示唆している。
 イエスが言った、「一本のぶどうの木が父の外側に植えられた。そして、それが固められていなかったので、それは根本から抜き取られて、滅び行くであろう。」(トマス40)
荒井氏によると、ここで、『父の外側に』は、≪ヨハネ福音書≫15章6節の『わたし(父)につながっていない』と同義で、≪トマス福音書≫32節と逆の人間の運命、つまり『本来的自己』を見失った人間の運命を予告していると言う。
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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