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書評:禅宗と景教(七顛八倒)

<スライドショー:七顛八倒>

今回は、キリスト教の福音宣教を意味するケリュグマと禅宗の『七顛八倒』の公案に参じて見ましょう。


大祭司カイアファは、ナジル派の祭司小ヤコブと『解放された奴隷の会堂(Synagogue of the Freedmen-Jews)』のリーダー、サウロ(後のパウロ)を両輪として、ヘブライストを中核とする教会組織の創設を構想、サンヘドリン(最高法院)やローマ総督、及びヘロデ王家の同意も得たものと見られる。
カイアファの預言の成就

カイアファの預言通り(ヨハネ11:49-52)、エルサレム教会は、イエスの処刑後僅か1ヶ月半で発足したが、ほどなく圧倒的多数を占めるヘレニスト(ギリシア語を共通言語とする主に未割礼の非ユダヤ人から成る異邦人ユダヤ教徒)信者とヘブライスト(ヘブライ語に堪能な海外在住ユダヤ人)信者の対立が表面化した。
ステファノの受難と棲み分け

ヘレニストのリーダー、ステファノがサンヘドリンの審問にかけられ石打の刑に処せられると、エルサレム教会の他のヘレニスト信者にも迫害が及び、エルサレムから一掃された。その指揮を執ったのはサウロ(後のパウロ)だった(使徒 7:58-60)。
実際のところ、ヘレニスト信者がこれ以上増加すれば、サドカイ派やファリサイ派も取り込んでせっかく創設したエルサレム教会の統一が維持できない状況が生じていた。このため、ステファノ事件を機に、ヘレニストとヘブライストの棲み分けが図られ、ヘレニスト・グループはエルサレムから立ち退き、サマリヤやダマスカス、さらにはアンティオキア等に新たな拠点を築いたものと見られる。
パウロの回心

サウロ(パウロ)は、時を移さず、大祭司の勅許状を手に入れダマスカスにわたると、ヘレニスト・グループとともに宣教活動を開始した。キプロス島の私産を売り払い、エルサレム教会に寄進しながら、エルサレムを追われたバルナバが、宣教旅行の案内役を務めた。
ルカは、その著使徒行伝に、『目から鱗』の喩えで日本人にも馴染みのいわゆる『パウロの回心』と言うエピソードを挿入し、パウロの豹変を説明している。しかし、ダマスカスのヘレニスト・グループと連絡を取り、直ちに諸会堂における布教に乗り出したことから、パウロは、大祭司カイアファのみならずエルサレム教会の了解も取り付け、事前に十分下準備をしていたものと見られる。
知恵の御霊

その後バルナバらとともにエルサレムを再訪した際、パウロは、ペテロの家に15日間滞在した(ガラテア1:18)。私市元宏(きさいちもとひろ)甲南女子大学名誉教授(コイノニア会代表)著『知恵の御霊』によると、パウロは、キリストの十字架と復活における贖罪信仰と自分の律法観についてペトロと語り合ったが、この時、ケリュグマの中核が形成されたようだ(知恵の御霊146-147)。
ケリュグマ

ケリュグマ(Kerygma)は、パウロがコリント信徒に宛てた手紙の中で説いたイエス・キリストの復活についての教えで、後に使徒信経やニケヤ信経に発展した。
私市元宏教授によれば、『キリストの十字架による罪の赦しと贖い』に 『知恵の御霊』を見出したパウロは、『ユダヤ教徒』/『ユダヤ人キリスト教徒』/『異邦人キリスト教徒』/『異邦人』に対して、神と人との間の宥和(ゆうわ)を媒介をする仲保者(ちゅうほしゃ)としてのイエス・キリストを説いた。『知恵の御霊』がパウロにこうした複雑な関係に対処する秘訣を得させたとパウロ自身が述べている(ピリピ4:12)。
日本語版ウィキペディアは『ケリュグマ』解説の末尾に、「新約聖書を貫く『イエスは主』という信仰告白(ケリュグマ)をキーワードにして、どんな状況と思いの中でイエスの弟子たちは『福音』を書き残してきたのだろうか」と反問している。
安息

≪使徒行伝≫の最終節において「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」とのべているが、ローマ到着の二年後、おそらく西暦60-62年の間に殉教したものと見られる。≪パウロ行伝≫によると、パウロはローマ市民権を保持していたため、裁判の結果、奴隷や重犯罪者などに対する『磔(はりつけ)』ではなく、斬首刑に処せられたと言う。
しかしペテロは西暦64年頃、ローマで磔に処せられたようだ。また小ヤコブは、大祭司との関係悪化から、西暦62年にエルサレムで石打の刑に処せられた。
トマスは中国伝道後再度インドに戻り、西暦68-75年に殉教、マイラーップール(現タミールナド州チェンナイ県)に葬られた。
仏法の大意

中国の五代十国(907-979)の時代、泉州招慶院の道匡(どうきょう)禅師に一人の僧が「仏法の大意(仏の究極の教え)は何か」と質問した。道匡和尚は「七顛八倒(しちてんばっとう)」と答えた。その僧は「生来血の回りが悪いため理解できない。何かヒントをくれ」と頼んだ。すると道匡和尚は「そんな老婆心は持ち合わせない」とすげなく突き放した。
正真の一路

その後、温州大寧院の可弘(かこう)禅師に別の僧が「正真の一路とはどんなものか」と質問したところ、可弘禅師も、「七顛八倒」と答えた。するとその僧は「それが仏法なら、別の道を探すほかない」と言った。可弘禅師は「好きにしろ、道に迷うだけだ」と冷たくあしらった。しかしその僧は負けじと「正真の一路が『七顛八倒』なら毛筋一本もない『廓然無聖(かくねんむしょう)』の時はどうか」とさらに突っ込んだ。だが、可弘禅師は「話頭(わとう)已(すで)に堕(お)つ(話の底が知れた)」と突っぱねたと言う。
七顛八倒

ちなみにこの公案は、『苦痛でのたうち回る』様子を形容した中国の俗語『七顛八倒』の起源とされ、中国仏教文化研究所編『俗語仏源』によると、『七顛八倒』は≪景徳伝灯録≫巻の二十六および≪五灯会元≫巻の八の公案に由来し、その後俗語として『混乱に堪えず』と言う意味で多用されるようになったと言う。愛知大学編『中日辞典』は、主に話が乱雑で整っていない様と説明している。(回光庵返照:2020-01-30)

【参照】

《景徳伝灯録》如何なるか是れ仏法の大意、七顛八倒
泉州招慶院の道匡禅師は潮州の人なり。(略)問う、如何なるか是れ仏法の大意。師曰く、七顛八倒(しちてんばっとう)。問う、学人根思(こんし:思慮能力)遅回(ちかい:血の回りが遅い)、乞(こ)う師曲げて慈悲を運び一線の道を開け。師曰く、遮固(しゃこ:それ/これ)は是れ老婆心。
《景徳伝灯録》如何なるか是れ正真の一路、七顛八倒
温州大寧院の可弘禅師に僧問う、如何なるか是れ正真の一路。師曰く七顛八倒。曰く、恁麼(にんも:そういうもの)即ち法門なれば、去るに別無きなり。師曰く、我汝が錯(あやま)り去るを知る。問う、皎々(こうこう:明るい様子)として一線頭(いっせんとう:毛筋一筋)無き時は如何。師曰く、話頭(わとう:話し)已に堕(お)つ。
- 禅宗と景教≪トマス福音書≫と現成公案[16]七顛八倒 -
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『聖霊のバプテスマ』とは一体何か

ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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