書評:聖霊のバプテスマ(まことの割礼)
彼の弟子たちが彼に言った、「割礼は役に立つでしょうか、役に立たないでしょうか」。彼が彼らに言った、「それが役に立つなら彼ら子供たちの父が母の胎から割礼をして生んだであろうに。しかし、霊における真の割礼が全き効果を見出した」。(トマス53)
ギルガルで全員に割礼を施す
ヨルダン川を上流で堰き止め、東岸に定住していたルベン、ガド、マナセの半部族の戦士4万人を含むイスラエルの全べての民を西岸に渡らせたヨシュアは、ギルガルで全員に割礼を施すよう命じた(ヨシュア3-5章)。このことは、これらのイスラエルの民がこの時点でユダヤ教に改宗したことを意味する。実際のところ、モーセとともにエジプトを脱出したユダヤ人は40年間シナイの荒野をさまよう間に全員死に絶えていた(ヨシュア記5:6)。
その時、主はヨシュアに言われた、「火打石の小刀を造り、重ねてまたイスラエルの人々に割礼を行いなさい」。そこでヨシュアは火打石の小刀を造り、陽皮の丘で、イスラエルの人々に割礼を行った。ヨシュアが人々に割礼を行った理由はこうである。エジプトから出てきた民のうちの、すべての男子、すなわち、いくさびとたちは皆、エジプトを出た後、途中、荒野で死んだが、その出てきた民は皆、割礼を受けた者であった。しかし、エジプトを出た後に、途中、荒野で生まれた民は、みな割礼を受けていなかった。イスラエルの人々は四十年の間、荒野を歩いていて、そのエジプトから出てきた民、すなわち、いくさびとたちは、みな死に絶えた。これは彼らが主の声に聞き従わなかったので、主は彼らの先祖たちに誓って、われわれに与えると仰せられた地、乳と蜜の流れる地を、彼らに見させないと誓われたからである。(ヨシュア5:2-6)
兵員は東岸で新規募集
しかしモーセがエリコの対岸に位置するモアブの平原でイスラエルの民に対する2回目の人口調査を行った際、兵役につくことができる20歳以上の男子の数は、ルベン族4万3730人、シメオン族2万2200人、ガド族4万500人、ユダ族7万6500人、イッサカル族6万4300人、ゼブルン族6万500人、マナセ族5万2700人、エフライム族3万2500人、ベニヤミン族4万5600人、シュハム族6万4400人、アシェル族5万3400人、ナフタリ族4万5400人、合計60万1730人にのぼった(民26:1-51)。
要するにヨルダン川西岸に攻め入った上述の装丁は全べてヨルダン川東岸において新規募集された兵員だった。彼らの多くは譬え元は、アブラハム一族の血を引く遊牧民だったにしろ既に東岸に定住して久しく、土着の神々を信仰し、遊牧民としての生活習慣もユダヤ教も忘却していたものと見られる。だから改めて割礼を施す必要が生じたのだろう。
出エジプトの考古学的記録
テレアビブ大学の歴史学者シュロモー・サンド教授によれば、紀元前13世紀末にイスラエルの民がエジプトを脱出し、モーセの後継者ヨシュアがカナンを征圧した当時、カナンは依然としてファラオ(第19王朝BC1293-BC1185、第20王朝BC1185-BC1070)の支配下にあった。カナン地方に生じた些細な事件まで、エジプト側の記録に残っているが、モーゼがユダヤ民族を率いてエジプトを脱出し、カナンに移住したといった事件の記録は存在しないと言う。
おそらくモーセは、エジプトの官吏が無視するほど少数の主にレビ族とヨセフ族から成る同族を率いてシナイ半島に移住したものの、ヨシュア記5章2-6節の記述から見て、こうした脱出者はモーセも含めほぼ全員死に絶えたものと見られる。しかしモーセの『出エジプト』伝説は、ヨルダン川東岸の遊牧民の間に伝承されていた。このためエフライム族の指導者ヨシュアは、モーセの後継者と言う宗教的権威に基づき、東岸の遊牧民を西岸の農耕民の都市国家に対抗し得る一大勢力に組織したものと見られる。
モーセの後継者としての宗教的権威
また、約束の地カナンを目前にして120歳で亡くなったモーセが、生前にエフライム族ヌンの子ホセアにヨシュアと命名し(民13:16)、自身の後継者に指名した(申31:3)とされるが、この改名はヨシュアがこの時点でユダヤ教に改宗したことを暗示しているように見える。
ヨシュアは、ヨルダン川西岸を征圧した後、諸部族をゲリジム山とエバル山に集合させた。この時、ゲリジム山には、シメオン,レビ,ユダ,イッサカル,ヨセフ(マナセ、エフライム),ベニヤミンの諸部族が、エバル山には、ルベン、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェルの諸部族が、それぞれ集合、神に従うものが受ける祝福と神に従わないものに対する呪いの朗読がなされた(申27:11-13、ヨシ8:30-35)と言う。
≪ヨシュア記≫と≪民数記≫の記述の相違
もう一つ注目すべきことは、西岸征圧に参加した兵員に関する≪民数記≫26章と≪ヨシュア記≫3章の記述の相違。民数記には各部族の合計は兵員だけで60万1730人と記されているのに対して、ヨシュア記には、ルベン、ガド、マナセ半部族の戦士4万人が、イスラエルの諸部族の先頭に立ってヨルダン川を渡ったとだけ述べ、各部族の内訳も記されていない。ヨシュア記の記述は、実際に西岸を征圧したのは、ルベン、ガド、マナセ半部族の戦士4万人だけだったことを暗示しているように見える。
ヨルダン川東岸の遊牧民が西岸を征圧した際、先住民(農耕民)は聖絶(皆殺し)したことになっている。しかし実際には、大部分の農民は生存し続け、支配関係が逆転しただけで、遊牧民と農耕民の共生関係はその後も維持されたようだ。そこで、農耕民の怨みの矛先を、西岸征圧直後に、東岸に引き上げたルベン族、ガド族、マナセの半部族に着せる意図があったのかも知れない。ある事件に関わる神話や歴史書の記述は、事件の発生時ではなく、数十年、乃至数百年後に、書かれる時点の政治/社会状況を忖度して著されるものだからである。
アドバイダ(不二一元)
≪ヨシュア記≫5章2-6節の記述は、チベット人や日本列島先住民に特徴的なD系統のY染色体遺伝子を保持する古モンゴロイド(Paleo-Mongoloid)に属すると見られるエフライム族とマナセ族がイスラエルの十二部族を再組織して、古代イスラエル王国誕生に寄与したことを暗示している。
東京工業大学の中島岳志教授によると、岡倉天心はインド滞在中に著した『東洋の理想(The Ideals of the East)』において孔孟の国中国とヴェーダーンタ(ヒンドゥー教)の国インドは一見、全く異なるように見えるが、にも関わらずベーダの中心概念を成す『アドバイダ(不二一元)』により『アジアは一つ(Asia is One)』であり、『アドバイダ』とは『愛』であると説いていると言う。
アレキサンダー大王の東征後に生じた
シンクレティズムの潮流の中で、『アドバイダ』は大乗仏教に取り入れられ、中国の華厳僧により『不二一元』と漢訳されたのだろう。ここにも、『大秦景教流行中国碑』に掲げられた
『三一妙身』の教義同様、その背後にエフライム族やマナセ族の貢献があったことが窺える。
イエスの出自
エルマーR.グルーバー/ホルガー・ケルステン両氏の共著『イエスは仏教徒だった?(The Original Jesus - Buddhist Sources of Christianity)』によると、イエスと言う名は、ヨシュアのギリシア語訳で、『ヤハウェは救い』を意味した。
他方、『イエスの王朝(The Jesus Dynasty)』の著者ノース・カロライナ大学宗教学研究所長のジェイムズ・D・ティバー教授によれば、イエスの母マリアは、イエスの三人の弟に、紀元前2世紀にギリシア人を追い出し、神殿を清めたマカベア家にちなんだヤコブ、シモン、ユダと言う名をつけた。カエサレアの教父エウセビオス(265-339)やサラミスの教父エピファニオス(315-403)は、イエスの死後エルサレム教会を率いた者として最初にヤコブ、次にシモン、そしてユダを挙げ、これら三人は正当なダビデの血筋としてハドリアヌス帝の時代が終わる西暦135年までエルサレム教会を統率したと記している。
何故、ヨセフは、自分の出身部族のユダ族やマリアの出身部族のレビ族ではなく、エフライム族の指導者にちなんだ名を選んだのだろうか。イエスの実父と何らかの関係があるのだろうか。
テイバー教授によれば、ギリシアの思想家ケルススは西暦178年頃に著した『真理の言葉』と言う反キリスト教小論の中で、マリアはパンテラと言う名のローマ軍兵士のために身籠もり、姦通者として夫の下を追い出されたと記している。また西暦1世紀頃のラビ、エリエゼル・ベン・ヒルカヌスは、イエスの末弟ユダの孫のシクニンのヤコブは、『パンテリ(Panteri)の息子イエスの名』において毒蛇にかまれたものの傷を癒やしたと述べている。この点に関して4世紀の教父エピファニオスは、イエスの祖父(ヨセフの父)の名が『ヤコブ・パンテラ』であったため、一族の呼称の一部として『パンテラ』が用いられたと説明を試みている。『パンテラ』はラテン語の文献に登場するギリシア人の名の一つで、ドイツの歴史家アドルフ・ダイスマンは1906年に著した『パンテラと言う名』と言う小論文において『パンテラ』と言う名が記された1世紀前後の文献を列挙した上、ローマ軍兵士に好まれた名の一つと付言している。ダイスマンはまた1859年にドイツのフランクフルト近郊ナーエ川沿いのバート・クロイツナハのローマ人墓地で発見されたティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラの墓石を紹介している。
パンテラは皇帝ティベリウスの郎党
テイバー教授によると、ローマ軍第一歩兵射撃隊所属のパンテラは、軍務につくことを通じローマの市民権を獲得したらしく、『神の僕』を意味するアブデスという名から見てユダヤ人であった可能性がある。レーマーハレ博物館所蔵のくだんの墓石に刻まれた記述によれば、パレスチナからドイツに来て、1世紀半ばに死んだパンテラは25年の通常の兵役期間を越えて62歳で亡くなるまで40年間軍務に服した。パンテラが本来の姓で、ティベリウス・ユリウスはローマ市民としての家名である。
つまり皇帝ティベリウスの郎党として40年間軍務に服し、その功によりどの時点でか、ローマ市民権を認められたのだろう。
パンテラは、ガリラヤに近いフェニキアの殖民都市シドンの生まれだったことから、マリアを知り、また同じようにローマ市民権を保持するヨセフと親交を結んだものと見られ、ヨセフは軍務に多忙なパンテラに代わってイエスの養父を引き受けたのかも知れない。
ヨセフは、ローマ市民に義務づけられた国勢調査のため、ガリラヤ南部のナザレから、9ヶ月の身重のマリアをつれてエルサレム南部の自身の出身地ベツレヘム・エフラタに赴き、そこで生まれたイエスを、ローマ市民(実子)として登記した(ルカ2:1-5)。イエスのこうした素性は、パンテラを通じ、ユダヤ総督やその上司のシリア総督、さらにはローマ皇帝にも伝えられたかも知れない。
イエスのエフライム行
テイバー教授によると、イエスは生前、何故か遙か北方のフェニキアの殖民都市ティルスやシドンに赴いており(マル7:24)、同教授はこの時シドンに駐屯していたローマ軍第一歩兵射撃隊所属のパンテラにイエスが面会した可能性を指摘している。
ベタニアにおけるラザロの葬儀の席に現れたイエスが会葬者の面前で、ラザロを墓から蘇らせると、この奇跡の噂は直ちにイスラエル全土に伝播された。これを受けて、最高評議会を招集した大祭司カイアファは、イエスを救世主として十字架にかけることを提案した。イエスは、この時、一旦、エフライムに退いたと言う(ヨハ11:49-54)。
エルサレム北方のパレスチナで最も豊穣な丘陵地帯に位置するエフライムには、ヨシュアの墓が存在した。イエスは十字架刑に処せられる前にヨシュアの墓前に報告に赴いたのかも知れない。だとすれば、パンテラがエフライム族だった可能性もありそうだ。
過ぎ越しの祭りの1週間前に、ロバに乗り群衆を率いてユダヤの王としてエルサレムに入城、その後処刑されるまでの数日間毎日神殿に赴き説教したイエスは、詩編(詩110:1)を引用し、「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか(マタ22:43-45/マル12:35-37/ルカ20:41-44)」と語り、自分はダビデの子孫ではないと明言している。
とは言えイエスは、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』と言うやはり≪詩篇≫41章9節の語を引用し、十二使徒の一人ユダに裏切られることを暗示した(ヨハ13:18)とされるが、救世主がダビデの血筋から出現すると言う前提が無ければこの暗示は無意味になる。
真(まこと)の割礼
彼の弟子たちが彼に言った、「割礼は役に立つでしょうか、役に立たないでしょうか」。彼が彼らに言った、「それが役に立つなら彼ら子供たちの父が母の胎から割礼をして生んだであろうに。しかし、霊における真の割礼が全き効果を見出した」。(トマス53)
日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献氏によると、≪トマス福音書≫53節では、ユダヤ教やユダヤ人キリスト教の『肉における割礼』が批判され、『霊における真の割礼』が評価されている。こうした『割礼の精神化』自体は、パウロ以来(ローマ書2/25以下。特に2/29の『霊による心の割礼』)ヘレニズム・キリスト教や正統的キリスト教においても広く認められる。しかしトマスにとって真の割礼とは、もとより覚知(グノーシス)を得ることに他ならない言う。
ヨシュアが、ギルガドで、モーセとその一族が死に絶えた後、遊牧民の生活様式もユダヤ教も忘れてしまったヨルダン川東岸の諸部族全員に改めて割礼を施こしイスラエルの民としての結束を固めたように、イエスは聖霊のバプテスマを通じ、この世の全ての人々に『霊における真(まこと)の割礼』を施こそうとしたものと見られる。
<以下次号>
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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