書評:聖霊のバプテスマ(一休み)
ユダヤ地方が飢饉に見舞われ、バルナバとパウロがアンティオキア教会信徒の義援金を携え、エルサレムを訪れていた頃(使徒11:28-30)、ヘロデ・アグリッパ1世が、エルサレム教会の一部の人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟の大ヤコブを剣で殺し、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえ牢に入れた。アグリッパ1世は過越の祭りの後で民衆の前に引き出すつもりだったが、難なく脱獄に成功したペテロは、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家に行き、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言って、さらに他のところに赴いた。(使徒12:1-17)
《無門関第十五則:洞山三頓の棒》
唐末五代十国の時代、後に曹洞宗の始祖となった洞山良价(とうざん・りょうかい:807-869)禅師が広東省韶州の雲門山に雲門文偃(うんもんぶんえん:864-949)禅師を訪ねたおり、雲門が洞山に「どこから来たの?」と聞いた。洞山が「査渡(さと)です」と答えると、雲門は「夏はどこに居たの」とまた聞いた。洞山は「湖南の報慈(ほうず)です」と答えた。「何時そこを発ったの?」と雲門が聞くので、洞山は「8月25日です」と答えた。すると雲門が大音声で「60棒を食らわすところだが、勘弁してやる」と言った。そこであわてて逃げ出した洞山は、翌日、恐る恐る雲門に「昨日は60棒を許されましたが、何か失礼を致したでしょうか」とたずねた。すると雲門は「この無駄飯食らいめ。そんなていたらくで、江西湖南(こうぜいこなん)を歩き回り、何をしていたんだ」と怒鳴った。洞山は、この一喝で目が覚め、悟りを開いたと言う。
《無門の評唱》
時代は下り、宋代の禅僧、無門慧開和尚(1182-1260)はこの公案に、「雲門は禅宗が衰えることがないよう、洞山の分に相応しい開示を与え、逃げ道まで用意してやった。是非の海で一晩悶々とし、夜明けを待ち、やって来た洞山に再度一喝を与えた。雲門は決して性急ではなかった。それでは諸君に聞こう、洞山は60棒を喫すべきだたか、喫すべきではなかったか。もし喫すべきだと言うなら、草木も叢林もおしなべて棒を喫することになる。もし喫すべきでないと言うなら雲門の教えはたわごとになる。この辺の道理が分かれば、洞山とともに『一休み』できるだろう」とコメントした。
一休和尚悟道の因縁
さらに時代は下り、日本の室町時代に大徳寺傘下禅興庵の華叟宗曇(かそう・そうどん:1351-1428)禅師の下で、この公案に参じた一休和尚(1394-1481)は、盲目の琵琶法師が語る平家物語『祇王失寵』の段を聞き、ハタと悟り、「有漏路より無漏路へ帰る一休み、雨ふらば降れ、風ふかば吹け」と詠み、華叟禅師の印可と『一休』の道号を受けた。
一休和尚は、『仏御前(ほとけごぜん)』と言う白拍子(しらびょうし)を平清盛(1118-1181)に紹介したために清盛の愛を失い出家した祇王(ぎおう)の運命を、後小松天皇の落胤でありながら出家せねばならなかった自分や母親の運命に重ね合わせ、この詩を詠んだものと見られる。ちなみに仏御前もその後出家し、祇王姉妹およびその母とともに念仏三昧の余生をおくった。一方栄華を極めた平家一門は源氏との戦に敗れ、壇ノ浦の藻くずと消えた。
『有漏路』は無常迅速なこの世、『無漏路』は寂滅涅槃の極楽浄土の意で、その中間で一休みしているのが人間である。『一休み』には、これからが正念場と言う意味も含まれるが、元々そこから来たものが、元の場所に帰るまでのこと。依然として雨も降れば、風も吹くが、そうほぞを決めれば、しのげないことはない。道元禅師の語録『修証義』の冒頭には「生(しょう)を明らめ死を明むるは仏家一大事の因縁なり、生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし、ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣う(ねがう)べきもなし、是の時初めて生死を離るる分あり、唯一大事の因縁と究尽すべし」と説かれている。
有漏路より無漏路へ帰る一休み、雨ふらば降れ、風ふかば吹け
ユダヤ地方が飢饉に見舞われ、バルナバとパウロがアンティオキア教会信徒の義援金を携え、エルサレムを訪れていた頃(使徒11:28-30)、ヘロデ・アグリッパ1世が、エルサレム教会の一部の人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟の大ヤコブを剣で殺し、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえ牢に入れた。アグリッパ1世は過越の祭りの後で民衆の前に引き出すつもりだったが、難なく脱獄に成功したペテロは、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家に行き、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言って、さらに他のところに赴いた。(使徒12:1-17)
アグリッパ1世の大望
アグリッパ1世の父親アリストブロス4世は、ヘロデ大王とハスモン朝の王妃アリアンメ1世の間に生まれたが、ヘロデ大王により、反逆罪で弟とともに殺害された。
とは言え、ヘロデ大王は、ハスモン朝の血統断絶を図ったのではなさそうだ。歴史家ヨセフスによると、ヘロデ大王はアグリッパ1世をローマの宮廷に預けた。時の皇帝ティベリウスは、若きアグリッパ1世を可愛がり、実子ドルススおよび甥のクラウディウスと一緒に教育を施した。
その後、波瀾万丈の青年時代を過ごしたアグリッパ1世は、紆余曲折を経てカリグラ帝の知遇を得、西暦37年に伯父のフィリポスが治めていたトランスヨルダンの統治を任され、39年には追放されたヘロデ・アンティパスの後をうけてガリラヤの統治権も手に入れた。そして41年にカリグラ帝が暗殺されると、ちょうどローマに居合わせた彼は、クラウディウスと元老院の仲介役を務めた。クラウディウス帝は、その返礼として即位後、ユダヤ・サマリア・イドマヤの支配権をアグリッパ1世に与えただけでなく、現在のレバノンに位置するカルキスの統治権をアグリッパの兄弟のヘロデに与えた。こうしてアグリッパ一世は、祖父ヘロデ大王が治めたのと同じ版図を統治することになった。
ヘロデ大王は、大王の統治に反抗的なサンヘドリンの政治権力を剥奪したが、その子ヘロデ・アルケラオスの失政と失脚後、ローマ総督府は、大祭司を頂点とするサンヘドリンに再び部分的統治権を認めた。このため大祭司カイアファとその舅アンナスやその他のサンヘドリン・メンバーが原始キリスト教会の発足にも、背後で深く関与していたものと想像される。しかし、アグリッパ1世がほぼイスラエル全土の統治を認められたことから、王室とローマ総督府の関係のみならず、エルサレムの宗教界にも地殻変動が生じたものと見られる。
ちなみに≪使徒行伝≫はアグリッパ1世とその子アグリッパ2世のことを、ともに『ヘロデ大王』と呼んでいるが、アグリッパ1世も、アグリッパ2世も、実際には王位を認めらなかった。とは言え、ハスモン朝やヘロデ王朝の全盛期と同じ版図を手に入れたアグリッパ1世は、ダニエル書の預言通り、イスラエルの復興を実現するのは、セレウコス朝シリアの支配を覆したモディンの祭司マタティアの血をひく自分をおいて他にないと言う使命感に燃え、イスラエル国内の80万人余のユダヤ教徒のみならず、全世界に散在する約400万人のディアスポラ、そしてその数倍の異邦人信者もとり込む野心的な宗教改革に乗り出したのかも知れない。
ペテロ脱獄の謎
『エルサレム教会の一部の人々に迫害の手を伸ばし』と言う≪使徒行伝≫の記述から、アグリッパ1世の迫害の対象は、エルサレム教会そのものではなかったことが窺える。刺殺された大ヤコブと投獄されたペテロは、どちらも洗礼者ヨハネの弟子だった。大ヤコブの弟のヨハネやペテロの弟のアンデレも、洗礼者ヨハネの弟子だったが、無事だったようだ。
ペテロが脱獄後真っ先に赴いたマルコの母親の家で、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と述べていることから、イエスの兄弟達は異なる場所を拠点にしていたことが分かる。この家は、最後の晩餐やエルサレム教会発足式の会場にもなったエッセネ派の集会所だった。
またペテロが、さらに別の場所に赴いた(使徒12:17)と言う記述から、アンデレやヨハネ等の洗礼者ヨハネの元弟子達は、アグリッパ1世の追及を逃れるため、別にアジトを確保していたのかも知れない。
ヘロデ王家と植民都市の関係悪化
アグリッパ1世は、ペテロの脱獄を許した番兵を死刑にするよう命じた後、ローマ総督府の所在地カエサリアに赴き、暫くそこにとどまった(使徒12:19)後、恐らくカエサリア・フィリピの居城に戻ったものと見られる。
当時、ガリラヤは中東有数の穀倉地帯で、周辺には余剰農産物を商うフェニキア人やギリシア人の植民都市が栄えていた。ユダヤ教への改宗を拒否し、自治権を求める植民都市と王室の関係は、神話時代を除けば、初の統一国家をパレスチナに建設したハスモン朝の時代から、しっくり行かなかったが、ユダヤ地方が飢饉に見舞われ、農産物の輸出が規制されたことから、フェニキア人の植民都市ティルスおよびシドンの住民とハスモン朝の血をひくアグリッパ1世の宮廷との関係が再び悪化したようだ。(使徒12:20)
植民都市を愛したイエス
ちなみに、イエスは、福音書の中で、自分が生まれ育ち、また布教活動の拠点でもあったガリラヤの町々よりも、植民都市のティルスとシドンの方がましだと述べており(マタイ11:20-24)、たびたびこれらの都市を訪問していたようだ(マタイ15:21/マルコ7:24)。ノース・カロライナ大学宗教学研究所のジェイムズ・D・テイバー所長によると、当時シドンには、イエスの実の父親と見られるティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラが所属するローマ軍第一歩兵射撃隊が駐屯していた。
アグリッパ1世の急死
ティルスとシドンの住民が、侍従ブラストを通じて和解を申し出たことから、アグリッパ1世は王の衣装を身につけ、玉座につき、演説した。この時、住民は「神の声だ。人間の声ではない」と、喝采したが、アグリッパ1世は、「たちまち天使に打ち倒され、蛆に食い荒らされ、息絶えた。神に栄光を帰さなかったためである」と、≪使徒行伝≫は記述、さらに「これにより神の言葉は、ますます栄え、広がり、バルナバとパウロはマルコを伴ってアンティオキアに戻った」と結んでいる。(使徒12:20-25)
イスラエル国内においてあたかも≪平家物語≫の平清盛と源頼朝を一人で演じ、同時にローマ宮廷に深く入り込み複数の皇帝の即位レースにも関わった形跡も見られるアグリッパ1世の波瀾万丈の生涯は、こうして突然幕が下ろされた。
≪使徒行伝≫の暗示
アグリッパ1世の急死は、西暦44年のことだったようだが、≪使徒行伝≫の記述からすると、バルナバとパウロはエルサレムで事件の一部始終を観望していたことになる。
大ヤコブが殺されたのに、同じ洗礼者ヨハネの弟子のペテロ、アンデレ、ヨハネはどうして受難を免れたのだろうか。
≪使徒行伝≫は、『大ヤコブの受難』、『ペテロの脱獄』、『宮廷と植民都市の軋轢』、『アグリッパ1世の謎の急死』、『エルサレムで事件の一部始終を観望していたバルナバとパウロの動静』と言った事柄を記述した第12章を「これにより神の言葉は、ますます栄え、広がった」と結んでおり、一見相互に何の関係もないように見えるこれらの事件の背後に原始キリスト教会のその後の方向を定めるような神意と『盛者必衰の理をあらわす』と言う摂理が働いていたことを、暗示している。
≪使徒行伝≫によると、アンティオキア教会の指導陣には、バルナバとパウロの他に、領主ヘロデ・アンティパスと一緒に育ったマナエンが含まれており(使徒13:1)、アグリッパ2世は、カイサリアにローマ総督フェストゥスを訪問した時、とらわれの身であったパウロと対話し、その言葉に感銘を受けたという(使徒24:27-26:32)。またテイバー氏は、パウロの暗殺計画を察知したパウロの姉妹の息子が、ローマ軍の千卒長に知らせたと言う≪使徒行伝≫の記述(使徒23:16-22)は、パウロの姉妹がローマ軍支配層に接触できる立場にあったことを暗示しているとし、さらに『ローマ信徒への手紙』の中で、ローマ在住の同胞ヘロディオンに言及していることから、パウロがヘロデ王家とも何らかの関係を保持していた可能性があると指摘している。
≪使徒行伝≫は、アグリッパ1世が『蛆に食われて息絶えた』等、ヘロデ王家に関して極めて厳しい批評を行っているのとは裏腹に、原始キリスト教団各派(主の兄弟グループ、洗礼者ヨハネの元弟子グループ、パウロを初めとするヘレニスト・グループ等)がそれぞれ王室と緊密な関係を保持していたことを示唆する多くの証左を伝えている。
<以下次号>
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
使徒行伝12章
1そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
2ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
3そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。
4ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。
5こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
6ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。
7すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
8.天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。
9それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
10第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。
11ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
12こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
13門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。
14ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。
15人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。
16しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。
17ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
18夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。
19ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
20ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。
21定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、
22集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
23するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。
24神の言葉はますます栄え、広がって行った。
25バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
マタイ11:20-24
それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
マタイ15:21
さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。
マルコ 7:24
イエスはそこを立ち去って、ティルスとシドンの地方に行かれた。ある家に入り、誰にも知られたくないと思っていられたが、人々に気づかれてしまった。
無門関第十五則 洞山三頓の棒
雲門、因みに洞山の参ずる次(つい)で、門、問うて曰く、「近離甚れの処ぞ」。
山云く、「査渡(さと)」。
門曰く、「夏(げ)、甚れの処にか在る」。
山云く、「湖南の報慈(ほうず)」。
門曰く、「幾時か彼(かしこ)を離る」。
山云く、「八月二十五」。
門曰く、「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」。
山、明日に至って 却(かえ)って上って問訊(もんじん)す。
「昨日、和尚三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)甚麼(いずれ)の処にか在る」。
門曰く、「飯袋子(はんたいす)、江西湖南(こうぜいこなん)便ち恁麼(いんも)にし去るか」。
山、此に於いて大悟す。
無門曰く、「雲門、当時(そのかみ)、便ち本分の草料を与えて、洞山をして別に生機(さんき)の一路あって、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在って著倒(じゃくとう)し、直に天明を待って再来するや、又た他(かれ)の与(ため)に注破す。洞山直下(じきげ)に悟り去るも、未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。且く諸人に問う、洞山三頓の棒、喫すべきか喫すべからずか。若し喫すべしと道わば、草木叢林皆な棒を喫すべし。若し喫すべからずと道わば、雲門又た誑語(おうご)を成す。者裏(しゃり)に向かって明め得ば、方(まさ)に洞山と与(とも)に一口(いっく)の気を出さん」。
《平家物語》冒頭
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
Chapter 'Gio'
京都《平家物語》主題散步
修証義
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