躓きの石(シオニズム)-その1
サマリヤの水くみ女
ユダの地を離れガリラヤに戻られる途中、サマリヤのスカルと言う町を通られたイエスはヤコブの井戸で休息された。その時、一人の水くみ女がイエスに「私たちは昔から、この山で祈祷して来たが、あなた方ユダヤ人はエルサレムこそ礼拝すべき場所と言うのは何故か」と問うた。
イエスは「女よ、私を信じなさい。あなた方がこの山でも、エルサレムでもないところで礼拝する時が必ず来る。真の礼拝者達が霊とまことをもって礼拝する時はすでにそこまで来ている。いやその時はもう来ている。父は、このような礼拝者を求めておられるからである。神は霊であり、礼拝するものもまた霊とまことをもって礼拝せねばならないからだ」と説かれた。(ヨハネ伝4:3-24)
ヤコブ・M・ラブキン教授の日本講演
最近、明治大学リバティホールで「ホロコーストとイスラエルを考える」と題した公開シンポジュームが催され、モントリオール大学のヤコブ・M・ラブキン教授が『正統派ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由』について語られた。
国境と領土を超越したアイデンティティー
教授によれば、宗教的ユダヤ教徒にとっては(教授はイスラエルを建国したユダヤ人を世俗化したユダヤ教徒とし、自らを宗教的ユダヤ教徒と呼んでいる)、ユダヤ教の継続性を保つことこそが重要であり、神の戒律、安息日、ヨム・キプール(贖いの日)を守り、ユダヤ教に従った食物(kosher)を食べる。それだけのことである。それは、政治的、軍事的パワーとは無縁である。ユダヤ教徒にとって、啓典宗教の始祖アブラハムが葬られている聖地ヘブロン(ヨルダン川西岸の都市)を大事だと思うからといって、占領してそこに住む必要はない。教授は「ヘブロンを愛することはニューヨークからもテルアビブからもできる。『ユダヤ教的な態度』とは常に極めてプラグマティック(現実的)で、妥協的でもある。ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したものなのだ。だからこそ、ユダヤ人はチリでも神戸でもモスクワでも暮らせる」と語っている。
クリスチャン・シオニズム
ラブキン教授はまた「宗教が中東和平の妨げになるとすれば、その最大の要因は、米国の宗教右派に信奉者が多いクリスチャン・シオニズムだろう」と指摘している。教授によれば、彼らにとって、この問題は純粋に宗教的な問題であり、妥協の余地がない。キリストの再臨(the Second Coming)を早めるためにユダヤ教徒をイスラエルに集めなければならない、と考えている。そして、キリストが再臨すれば、ユダヤ教徒は二つの選択を迫られる。ユダヤ教徒はキリストをメシア(救世主)ではないと考えているが、キリストをメシアと認めて、キリスト教に改宗するか、あるいは最後の審判を受けて、死ぬかだ。教授は「彼らのシナリオでは、我々ユダヤ教徒は全5幕の演劇の第4幕で消えてしまう」と懸念を表明している。(朝日新聞グローブより抜粋)
真のユダヤ教徒
シオニズムとは、世界各地に離散したユダヤ民族の独立運動と言え、決してユダヤ教徒独特のものではない。定住地を持たない、あるいは定住地は有っても独立を認められていない被抑圧民族は世界各地に存在する。もしシオニストがイスラエルを建国する前にそのことに気づいたなら、パレスチナ人が駆逐されることはなく、中東紛争も生じなかったろう。実際、3300年ほど前にモーセはそのことに気づいたからこそ、約束の地カナンを目の前にしながら、40年間も荒野を彷徨いつづけたのである。シオニストはモーセの後継者と同じように先住民を駆逐したが、人類は数千年にわたり世界各地で同じ過ちを繰り返して来た。
ラブキン教授は「土地や国を超え、さらには宗教も超えた民族自決とは何か」、「独立とは何か」という問題を提起している。その実ラブキン教授が説く宗教的ユダヤ教徒の態度は、サマリヤの水くみ女にイエスが示した答えそのものである。
霊と誠をもって礼拝しあう時代
右の頬を打たれたら左の頬を向け、五〇歩行けと命じられたら百歩一緒に歩むよう説いたイエスの教えは、アッシリアやエジプト、あるいはバビロニアの侵攻の脅威にさらされる中で、たとえ捕囚の憂き目を見ても戦ってはならないと説いた旧約の予言者の教えそのものである。
イエスはユダヤ教の原点、あるいは宗教の原点に立ち返ることを説いたのであり、メシアが再臨したからと言って、ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗する必要はない。パレスチナ人やユダヤ人が、あるいはイスラム教徒や仏教徒が、霊と誠を以て互いに礼拝し合う時代が到来することを、イエスは預言したのである。(返照:2010/05/30)
『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】
躓きの石
万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕えられる。(イザヤ8:13-14)
だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。(イザヤ28:16)
聖書の中で神は「私はエルサレムに人々を躓かせる石、彼らを転ばせる岩を置く。しかし彼を信じるものは恥辱を受けることがない」と述べ、彼らにこのことを警告しています。(ローマ9:33)
ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由 ヤコブ・ラブキン Yakov Rabkin モントリオール大教授(歴史学)
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