イエスが言った、「多くの人々が戸口に立っている、しかし、花嫁の部屋に入るであろう者は、単独者だけである」(トマス75)。
日本語版『トマスによる福音書』の著者荒井献氏によると、『花嫁の部屋』の原語『ニュンフォーン』は文字通りには『結婚の場所』で、分離した男女が知恵(グノーシス)により原初的統合を回復する『聖なる結婚』の秘儀の場所とされ、ピリポ福音書の五つの典礼では最高の地位を与えられている。男と女が一人、すなわち『単独者』として入ることが約束されている『御国』の象徴である。『単独者』とは、『分裂を超えて、原初的統合(propator = original Self)を自己の内に回復する者』を意味し、この本来の自己による支配の実現が『御国』の現成を意味する。トマス福音書では『単独者』と言う句がキーワードとして繰り返し使用されている。
○アラム語ルーツ
さて、『ヘブライ語版旧約聖書』が、メソポタミアからエジプトに至る地域を往来した遊牧民の国造り神話がティムルン島の楽園やバビロニアの洪水伝説に代表される古代シュメール神話に接ぎ木され、成立したとすれば、自らをアブラハムの系図に接ぎ木されたと位置づける異邦人キリスト教徒(非ユダヤ人)のための新たな救済契約とされる『ギリシア語版新約聖書』の成立には、
グレコローマン文化が大きく影響したのは勿論だが、もう一つ忘れてならないのはアラム語ルーツだ。イエスも生前アラム語を常用していたことが知られている。そこで今回から4回に分けてキリスト教のアラム語ルーツを検証してみよう。
アブラハムの民自体、ヘブライ語以前にアラム語を用いていた。その実、アラム語は、アッシリアやバビロニアを初めとするメソポタミア地域の遊牧民の言語の総称で、ユダ王国ではそのカナン方言としてのヘブライ語が用いられていたと言えよう。
○伝道の東西分岐
テレアビブ大学の歴史学者シュロモー・サンド教授によると、西暦1世紀のユダヤの国内人口が80万人前後であったのに対して、世界のユダヤ人口は400万人にのぼり、未だ割礼を受けない異邦人のユダヤ教徒予備軍はさらに膨大な数にのぼったものと見られる。取り分けローマにはこの種の異邦人ユダヤ教徒の強固なコミュニティーが存在した。
このためパウロやペテロやヨハネは西方に向かい、ギリシアやローマに布教したが、トマスやバルトロマイ(ナタナエル)そしてタダイ(70弟子の一人、十二弟子のタダイとは別人、トマスの弟)は、イエスの死の直後、直ちにアッシリア地方やインド、そして中国にまで布教に赴いたとされる。
教父ヒエロニムス(347-420)によると、バルトロマイはインドに伝道後、アルメニアのアルバノポリスで死んだ。
タダイは、兄トマスに指示されアッシリアのエデッサ(ウルファ)やパルティアに伝道した。エデッサはアッシリア東方教会の中心地で、2世紀のコインには十字架を配した王冠を被ったエデッサ王の肖像が描かれている。西暦95年にはアッシリアの19都市に司教が存在し、西暦161年にはメディア、ペルシア、バクトリアにキリスト教が広まった。
○東風が西風を圧倒
イエスは生前アラム語を常用していたことが知られているが、東方、取り分けアッシリア地方にはアラム語を用いる生粋のユダヤ人コミュニティーが存在した。このため東方における布教は、西方以上の成果をあげ、ローマがキリスト教を国教とする以前にエデッサやアルメニアにキリスト教国が誕生、東方諸教会が成立した。日本キリスト教団池袋キリスト教会初代牧師を務めたプロテスタント系聖書解説者の久保有政氏(1955-)によると、西暦800年から14世紀頃までは、東洋のクリスチャンの数が西洋のクリスチャンの数を遙かに上回っていた。
○聖トマス伝説
社会人類学者杉本良男(すぎもとよしお)氏の『天竺聖トマス霊験記』によると、『共観福音書(マタイ/ルカ/マルコ福音書)』は十二使徒の一人としてトマスの名を挙げているが、トマスは彼の本名ではなく、イエスが彼に付けたあだ名で、アラム語の双子を意味し、ギリシア語にすればディディモ(ス)で、彼の本名はユダだった。
杉本氏によると、トマスは、共観福音書では十二使徒のリストにその名が現れるに過ぎず、ヨハネ福音書ではその名が4回言及されているものの、西方キリスト教会においては、『不信のトマス』、『疑い深いトマス』としてのみ知られ、その性格がハキリしない。
これに対して東方キリスト教会における聖トマス伝説には、2つの特徴が存在する。ひとつは「智慧者トマス(Thomas the Knower)」つまりグノーシス主義的な教えを説くトマスである。聖トマスは、東方キリスト教のグノーシス主義的伝統のなかで重要な位置を占め、西方キリスト教の聖ペトロと相対立する存在となっている。いまひとつは「旅行者トマス(Thomas the Wanderer)」つまり東方教会における福音伝道者、教会創設者としてのトマスである。さまざまな伝説によって、トマスはシリア、メソポタミア、エジプト、インド、パキスタン、はては中国、ブラジル、メキシコまで旅したとされている。
○エデッサ
聖トマス信仰の中心地はメソポタミアのエデッサ(Edessa)、現在のトルコのウルファ(Urfa)にあったとみられている。この町は、古名をウルハイ(Urhai, Orhai)といい、前303年にエデッサと命名されたのち一時期(前132–後242)独立国となっていた。その後ローマ帝国領となり、さらに1146年にはトルコによってウルファとよばれるようになった。この地へのキリスト教の伝来に関しては、聖トマス自身が遣わされ宣教を行なったといわれていたが、最近ではトマスが弟のタダイを派遣したとする説が有力である。エデッサは東シリア教会の中心地として栄えたが、7世紀にムスリムの侵入によって栄華の歴史を閉じることになった。この地には使徒トマスの遺物を納めた聖トマス聖堂が4世紀に建てられたが、トルコによって破壊されたと言う。
久保有政氏は、「史家によれば、トマスはイエスの昇天の2年後、西暦35年頃アッシリアに赴き、次いでインドに伝道した。船でケララ州のクランガノールに上陸、
7つの教会を建て、さらにタミールナド州のマドラス(現チェンナイ)に行き、その後西暦62年に中国の北京(長安?)にまで赴いたとされる。トマスは中国伝道後再度インドに戻り、西暦68-75年に殉教、マイラーップール(現タミールナド州チェンナイ県)に葬られた。トマスはアッシリア東方教会(シリア教会)の初代大主教に列せられた。インドのキリスト教徒は自らをトマス・クリスチャンと称した。アッシリア東方教会は、中国では景教(Luminous Religion)と称された」と指摘する。
○誰もその中に入らないのは何故か?
前述のトマス福音書75節は、以下の74節と対句だった可能性がある。
彼が言った、「主よ、泉のまわりには多くの人々がおりますが、泉の中には誰もおりません」(トマス74)。
『泉』とは、それから飲めばイエスのようになることを約束された『命の泉』、本来的自己の象徴で、『花嫁の部屋』同様『御国』を指している。古代キリスト教最大の神学者とされるアレクサンドリアのオリゲネス(182?-251)は、『ケルソス反駁』において、「多くの人々が泉のまわりにいるのに、誰もその中に入らないのは何故か?」と問うている。
インド各地で四十余年にわたり説法を続けた後、釈迦は、十大弟子の一人舎利仏(しゃりほつ)に、「舎利仏よ、この世の諸現象を貫通する真理、つまり実相は、仏のみが理解でき、凡夫には到底理解できない。ただ仏が仏に与え、究尽すべきものである。舎利仏よ、凡夫に対して説明するのは無駄である。しかし自分は今、菩薩の中にあって、正直に方便を捨て、無上道を説こう(法華経方便品第二)」と述べ、無上の教え『法華経』を説かれた。
仏の究極の教えを理解できるのは仏だけであり、命の泉から飲むことができるのは、イエスと和合して単独者になることができる者だけである。多くの大衆が教会に集っても、泉に入る者がいないのは驚くに当たらない。
とは言え中国禅宗の第三祖僧璨鑑智(そうさんかんち)禅師(?-606)は、その著『信心銘』において、
『至道(究極の道)は、何も難しいことはない、唯だ揀択(けんじゃく:取捨選択)を嫌う』と説いている。なるほど、キリスト教徒はひたすら御名を唱えることの内に救いがあると言い、日本曹洞宗の開祖道元は只管打坐、日本法華宗の開祖日蓮は唱題、日本浄土真宗の開祖親鸞は念仏を勧めている。
<以下次号>
○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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