十字架を負うてゴルゴタの丘に向かう途中、疲れ果てたイエスは、一軒の靴屋の前で立ち止まり、一杯の水を所望した。しかし靴屋の主人アハスヴェルスは、「あっちへ行け」と荒々しくイエスを追い払った。するとイエスはじっとアハスヴェルスを見据え「私が再臨するその時まで、安らぐ遑(いとま)なく地上を彷徨(さまよ)うがいい」と呪いの言葉をのこして立ち去った。その後千数百年を経た18世紀に至るまで、ヨーロッパ各地で、故郷を追われ、世界中を彷徨い歩くアハスヴェルスが目撃されたと言う。
○『善きサマリア人のたとえ』
ある律法学者がイエスに「先生、何をしたら永遠の生命を受けられますか」と尋ねた。イエスは「律法にはなんと書いてあるか」と問い返した。律法学者は、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』とあります」と答えた。イエスは「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、永遠の生命が得られる」と答えた。
しかし律法学者は、「では、わたしの隣人とはだれのことですか」と重ねて尋ねた。するとイエスは次のような譬え話をして聞かせた。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗が彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにして逃げ去った。たまたま、ひとりの祭司が通りかかったが、この人を見ると、向こう側を通って行ってしまった。次ぎにレビ人もやって来たが、彼を見るとやはり向こう側を通って行ってしまった。ところがその場に差し掛かった一人のサマリア人は、気の毒に思い、近寄って来ると、傷口にオリーブ油と葡萄酒を注ぎ、包帯をした上、自分の家畜に載せて宿屋に連れて行き、さらに介抱してやった。翌日デナリ硬貨2枚を宿屋の主人に渡すと、『この人を見てやってくれ。費用が余計にかかったら、帰りがけに私が支払うから』と行って立ち去った。」イエスが「この三人のうち誰が強盗に襲われた人にとって隣人と思うか」と問うと、律法学者は「その人に慈悲深い行いをした人です」と答えた。そこでイエスは、「あなたも行って同じようにしなさい」諭した(ルカ10:25-37)。
○ルカの深謀遠慮?
『善きサマリア人のたとえ』は、ルカ福音書のみに存在し、他の三つの福音書(マルコ/マタイ/ヨハネ福音書)には存在しない。しかし『隣人愛』に関する前半部分は、『マルコ福音書』と『マタイ福音書』にも異なる文脈で紹介されている。
ルカ福音書では、イエスが伝道する予定の町や村に予め二人一組の弟子を派遣して広報活動に当たらせるため、十二使徒に続き、七十二人の宣教師を任命したと言う記事の後に、件(くだん)の律法学者が登場するが、マルコ福音書(12:28-34)とマタイ福音書(22:35-40)では、ロバに乗り群衆を率いてイスラエルの王としてエルサレムに入場し、神殿から商人を追い払ったイエスが、先ず祭司長、律法学者、長老たち、続いてパリサイ人やヘロデ党のものたちと問答した後に登場する。
またマルコ/マタイ両福音書では、イエス自身が「第一のいましめは、『主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二のいましめは『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」と説いている。
『申命記』第6章4-5節に記された第一の戒めの原文は次のようなものだ。「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
第二の戒めは『レビ記』第19章18節で、次のように記述されている。「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」
レビ記が編纂された当時のイスラエルは、おそらく12乃至14部族の聯合体が形成される過程か、形成されたばかりの頃で、モーセやその後継者達は、依然として異なる氏神信仰の伝統を保持する部族間の軋轢に悩まされていたことだろう。だから『隣人(自分達以外の他部族)を同族と同様に愛し、譬え軋轢が生じても復讐の連鎖を生じさせてはならない』と戒めたのだろう。ソロモンの死後、案の定12部族の大半が反旗を翻し、イスラエル北王国を建国し、南のユダ王国を凌ぐ繁栄を謳歌した。北王国がアッシリアに滅ぼされた後、南のユダ王国は、二大強国アッシリアとエジプトの一方と同盟し、他方の脅威に対処する綱渡り外交を通じて、その後も生き延び、モーセの第五書『申命記』に基づく宗教改革により、宗教的求心力の維持を図った。このため『申命記』第6章4-5節は、『イスラエルの主はただ一つである』と強調している。
したがって『隣人』とはイスラエルの神、即ちヤハウェを信じるイスラエルの民に限定されることは明白だ。ルカ福音書に登場する、律法学者は、そんなことは百も承知で敢えて「『隣人』とは誰のことか」と問うたのである。どうやら、『善きサマリア人のたとえ』を用いて、「隣人とは誰か」を解き明かしたイエスの教えには、ルカの深謀遠慮が隠されているようだ。
○サマリア人の由来
ユダもサマリアも元々ダビデやソロモンが統治したイスラエル王国の一部だった。しかしソロモンの死後、息子のレハベアムが即位すると、12部族の大半が反旗を翻し、サマリアを首都とする北イスラエル王国を建国した。これに対して、ソロモンの息子を押すユダ族およびベニヤミン族とレビ族の一部は、エルサレムを首都とする『ユダ王国』を建てた。その後、両国は相前後して滅亡したが、サマリアの住民はアレクサンドロス大王の時代にゲリジム山に神殿を築き、独自のユダヤ教を樹立した。
こうした事情からユダ族を中心とする生粋のユダヤ人は、イエスの時代になっても、サマリア人を蔑(さげす)み交際することを避けていた。
○イエス/パウロとエッセネ派との関わり
『神を愛する事と隣人を愛する事は一つ、すべての律法はこれに帰結する』と説いたのはファリサイ派の指導者ラビ・ヒレルであり、このラビ・ヒレルの支持者らによりエッセネ派が組織されたとされる。自分のことをファリサイ派と称したパウロは、ヒレルの孫のガマリエルを師匠とした。
エッセネ派は、セレウコス朝やローマの支配に迎合した既存の祭司階級やその管理下の神殿の権威を認めなかったが、エルサレム教会を率いたイエスの弟小ヤコブは、王族ダビデとレビ族アロン双方の血を引く正統な司祭階級として、大祭司のみに許された神殿の聖所における祭儀を執り行っていた。
他方、この頃、アジア州における布教を巡り、『解放された奴隷の会堂』やエルサレム教会主流派と不仲になったパウロは、所謂ユダヤ人の陰謀を察知し、ルカの支援下にヘレニスト信者の代表からなる一大援護団を率いて、エルサレムに乗り込んだものの、神殿の外に引きずり出され、謀殺されかけたが、ローマ軍によってからくも救出された。
イエスは、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所の二階で十二使徒と『最後の晩餐』を共にしたが、同集会所の家主マリア・サロメは、イエスに対して「あなたは誰なのですか、一人から出たような人よ。あなたは私の寝台に上り、そして私の食卓から食べました(トマス61)」と問いかけており、最後の晩餐の席で、イエスの胸に寄りかかっていた最愛の弟子(ヨハネ13:23)は、サロメの息子で福音書作家のヨハネ・マルコだったのではなかろうか。『ヨハネ福音書』の著者は、同名のマルコ・ヨハネと自分を重ね合わせているように見える。
○サマリア人こそ隣人
いずれにしても、エッセネ派集会所家主の息子マルコが、『隣人愛』を、『神を愛する』ことと同様に最も重要な戒めとしたのは頷ける。『マタイ福音書』は、『マルコ福音書』の同記述をほぼそのまま引き継いだが、『ルカ福音書』は異なる場面で紹介しただけでなく、最も重要な戒めをイエスではなく、律法学者に語らせた上、『善きサマリア人のたとえ』を補足、強盗に襲われ傷ついた旅人を見捨てた祭司やレビ人(つまりユダヤ人)よりも、介抱したサマリア人こそ、隣人であるとイエスに説かせている。しかし、ルカのこの深謀遠慮は、後世になってユダヤ人に大災害をもたらす一因になったようだ。
○彷徨えるアハスヴェロス
十字架を負うてゴルゴタの丘に向かう途中、疲れ果てたイエスは、一軒の靴屋の前で立ち止まり、一杯の水を所望した。しかし靴屋の主人アハスヴェルスは、「あっちへ行け」と荒々しくイエスを追い払った。するとイエスはじっとアハスヴェルスを見据え「私が再臨するその時まで、安らぐ遑(いとま)なく地上を彷徨(さまよ)うがいい」と呪いの言葉をのこして立ち去った。その後千数百年を経た18世紀に至るまで、ヨーロッパ各地で、故郷を追われ、世界中を彷徨い歩くアハスヴェルスが目撃されたと言う。
慶応義塾大学名誉教授の荒井秀直氏が1968年に発表し、『慶應義塾大学学術情報リポジトリ』に収録されている論文によると、11世紀初頭の十字軍によるユダヤ人迫害を背景に、13世紀初頭から『彷徨えるユダヤ人』を題材にした類似の寓話がヨーロッパ各地に出現した。ドイツのある教会が1602年に『アハスヴェルスと言う名のユダヤ人』と題するパンフレットを発行して後、ドイツ国内ばかりでなく、全世界に『彷徨えるアハスヴェロス』の物語が広まったらしい。そしてこの物語の特徴は、キリスト教の根本理念としての『救い』が欠如していることと言う。
○ユダヤ人こそ隣人:アンデルセン
時代は下り、ナポレオンがフランス皇帝に就任した翌年の1805年にデンマーク、オーデンセの貧しい靴職人の子として生まれたアンデルセンは、7歳で父親を亡くした。洗濯女として一家を支えた母親が再婚した後、大道芸人のまねごとをして小銭を稼いでいたが、ボーイソプラノが認められ14歳でコペンハーゲンの王立デンマーク劇場に就職した。半年後に変声期を迎え、役者としての道を断たれたものの、作成した人形劇の台本が縁で、王立デンマーク劇場の支配人ヨナス・コリンの後援を得、17歳でラテン語学校に入学、さらにコペンハーゲン大学に進学した。しかしコリンから次女ルイセ・コリンとの仲を裂かれたことから、絶望し、イタリアに出奔、自伝的小説『即興詩人』を著した。再びコリンの尽力で年金を手に入れたアンデルセンは、『人魚姫』等を著したが、15歳年下の歌姫イエニィ・リンドから求婚を断られると、再び絶望し、伝説のユダヤ人さながらに流浪の旅に出た。40歳で『戯曲アハスヴェロス』を発表したアンデルセンは、晩年は少数のユダヤ人家族と親交を結び、70歳でその生涯を閉じたと言う。
○他は是れ阿誰(あすい)
中国の北宋(960-1127)時代に湖北省蘄州黄梅県黄梅山の東山寺に住した法演禅師(ほうえんぜんじ:1018-1104)は、ある日弟子たちに、「仏教の開祖釈迦も、その釈迦の死後56億7000万年後に再臨する弥勒菩薩も他(た)の僕(しもべ)である。さあ、他とは誰か言って見よ」と命じた。
イエスも「年の功を重ねた老人は、生後七日目の小さな子供に命の場所について尋ねることを躊躇しないだろう。そうして彼は生きるだろう。なぜなら、多くの先のものは、後のものになるであろうから。そして彼は単独者になるであろうから(トマス4)」と説いている。年の功を重ねた老人とは、律法を学び経験知を積み社会的に尊敬される人の意であり、生後七日目の小さな子供とは、まだ割礼を受けていないユダヤ人社会では人として認められていない幼児、原初的存在を意味する。つまり真の智者は、幼子や石ころのような一見、単純でつまらぬものにこそ『命の場所』すなわち『御国』を見出し、何者にも依存しない、創造神を超えた聖なる単独者(Autogenes)になると言うのである。共観福音書(マルコ/マタイ/ルカ福音書)においても、イエスは弟子たちに、知者に優先するものとして幼子を提起している。トマス福音書は『単独者』と言うキーワードを繰り返し用いて、男と女が神と一体であった原初に立ち返る必要を説いている。
法演禅師から数えて五代目の直系の弟子で《無門関》と言う公案録を遺した南宋(1127-1279)の禅僧、無門慧開和尚(むもんえかいおしょう1182-1260)は、この公案(無門関四十五則)に「もしこの『他』が分かれば、路上で自分の父親に出会ったようなもので、間違いようがない。他人に是非を問う必要など毛頭ない」と評し、さらに「他の弓を引いてはならない、他の馬に乗ってはならない、他の非を弁じてはならない、他の事を詮索(せんさく)してはならない」と頌(じゅ)を付けている。
法演禅師の弟子達は一人一人、師の部屋に呼ばれ、その見解(けんげ)を述べた。これを入室(にっしつ)参禅(さんぜん)と言う。この頃、安徽省和県歴陽鎮大西門外の開聖寺中興の祖として知られる開聖覚初禅師も諸方行脚の途中東山寺に掛錫していた。覚初禅師は『覚老(かくろう)』と尊称されていた。法演禅師が入室した覚老に大音声で「他は是れ阿誰」と問うと、覚老は「胡張三(こちょうさん)、黒李四(こくりし)/胡子(赤髭)の張家の三男坊、黒臉(黒面)の李家の四男坊」と答えた。張も李もありふれた姓で、中華人民共和国が『一人っ子政策』を推進する以前には、道を歩けば、どこでも張家の三男坊や李家の四男坊に行き当たった。そこで張三李四(ちょうさんりし)は、取り柄のない凡人を意味した。胡子は達磨、黒臉は釈迦牟尼の隠語。覚老の見解を聞いた法演禅師は、ニヤリと笑い「よし、合格だ」と印可した。しかし、東山寺で首座を務めていた『碧巌録』の著者圓悟克勤(えんごこくごん)禅師(1063-1135)は、法演禅師に「好いには好いが、もう一工夫(ひとくふう)させてはどうか」とアドバイスした。法演禅師は、「それもそうだ」と言って、翌日、覚老が入室すると、もう一度、「他は是れ阿誰」と聞いた。覚老が「昨日、お答えしたでしょう」と言うと、法演禅師は「好いから答えろ」と促した。そこで覚老がまた「張家の三男坊、李家の四男坊」と言うと、法演禅師は「だめだ」と言った。覚老が「でも昨日は『合格』とおっしゃったでしょう」と抗議すると、法演禅師は「昨日は昨日、今日は今日だ」と答えた。覚老はこれを聞いて大悟したと言う。余談になるが圓悟克勤禅師の字(あざな)も覚初。
釈迦は菩提樹の下で禅定に入り、「天上天下、唯だ我独り尊し、草木国土は悉(ことごと)く皆な成仏している」と証見(しょうけん)した。つまり時空を越え、宇宙と一体の絶対の境地に立つなら、存在するのは、自分唯だ独りで、草木国土は自己に包摂されており、自分が成仏すれば、世界全体が成仏する。しかし、相対界の現世においては、依然として賓主(客体と主体)は歴然としており、森羅万象は時々刻々変化している。だから今日は、家内が『他』なら、明日は娘が『他』であり、今日、部長が『他』なら明日はお茶くみの新入社員が『他』かもしれない。
イエスは「あなたがたは『隣人を愛し、敵を憎め』と言うことを聞いたことがあるだろう。しかし私はあなた方に言う『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』と。天にましますあなた方の父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ5:43-45)」と述べている。
○『僕はイエローで、ホワイトでちょっとブルー』
最近、英国在住の日本人女性ブレイディみかこ女史がアイルランド人の夫との間に生まれた息子さんの中学校生活を題材に著した新作『僕はイエローで、ホワイトでちょっとブルー』が、NHKジャーナル(ポッドキャスティング)で紹介されていた。
人種差別をむき出しにするクラスメート、制服の購入さえ苦労する貧しい生徒、ジェンダーに悩む同級生などに戸惑いながらも、楽しげに適応して行く息子のけなげな学校生活ぶりが描かれているようだ。
この学校では教師が授業中に「これからはエンパシーの時代だ」と説き、LGBTQの問題も含めた『性教育』や『シチズンシップ教育』、『子どもの権利条約』などに関する学習がなされていると言う。さすがにイギリスらしい。
みかこ女史によると、シンパシーは似た境遇の人に同情する感情的、情緒的心理作用だが、エンパシーは境遇や立場の異なる人に対しても相手の立場に立って考える知的作業と言う。これはイエスが説いた『隣人愛』に通じるように見える。イエスは「己を愛するように隣人を愛せ」と言う旧約の一節を掲げ、「これに勝る戒めはない」と述べている(マルコ12:31)。
○日本人も要学習!?
新孤立主義やネオナチズムの脅威が囁かれ、東アジア情勢が変化する昨今、日本のネット・メディアに『Zainichi』と言う言葉が飛び交うようになった。この言葉は、『在日アメリカ人』、『在日英国人』と言った具合に国籍を表す外国人の類別が付けば、何等問題ないが、単に『Zainichi』と言うと、終戦直後の進駐軍を除く外国人、つまり日本人と米国人以外の第三国人を想起させる。当時の第三国人と言えば、大部分が朝鮮人と中国人だった。
当初はネット右翼が、左翼や反主流派を攻撃する際にこの言葉を連呼していたが、最近は様相が変わり、いわゆる保守派の攻撃にも『Zainichi』が用いられるようになった。いわく、某元首相は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際に連れてこられた朝鮮人の末裔であり、某元首相が最高顧問を務め、多数の保守党議員が加盟する某会議や某宗教団体も、甚だしきに至っては皇室も『Zainichi』と言う。
確かに、縄文人は氷河時代にマンモスを追って到来したシベリアの狩猟民だったかも知れず、大和朝廷は、朝鮮半島経由で日本に侵攻した騎馬民族だったかも知れない。総じて日本人はそれぞれ異なる遺伝子を保持する移民集団であり、固有の日本人など存在しない。
日中関係や日韓関係、あるいは移民問題は積極的に論じられるべきだが、終戦直後の差別的イメージを伴う『Zainichi』を、持ち出すのはいただけない。我々も、もう一度中学生にもどって『エンパシー』について学ぶ必要がありそうだ。
またユダヤ教徒、キリスト教徒、回教徒、その他の宗教信者や無神論者が互いにエンパシーを働かせるなら、目下直面している中東問題や貿易摩擦の解決策も見いだすことができるだろう。<以下次号>
【参照】
○《無門関》第四十五則:他は是れ阿誰(あすい)
本則(ほんそく):
東山演師祖(とうざんえんしそ)曰く、「釈迦も弥勒も猶を是れ他(た)の奴(ぬ)。且く道え、他は是れ阿誰(あすい)」。
評唱(ひょうしょう):
無門曰く、「若(もし)也(また)他を見得(けんとく)して分曉(ふんぎょう)ならば、譬えば十字街頭に親爺(しんや)に撞見(どうけん)するが如くに相い似て、更に別人に問うて是と不是と道うことを須(もち)いず」。
頌(じゅ):
頌に曰く、他の弓を挽くこと莫れ、他の馬に騎ること莫れ、他の非を弁ずること莫れ、他の事を知ること莫れ。
○《大正新修大藏経》《指月録》
和州(わしゅう)開聖覚初禅師叢林を遍游し,一日五祖法演禅師の処に来たり到る。法演他(かれ)に問う「释迦も弥勒も猶(なお)是れ他の奴。且く道(い)え他は是れ阿誰(あすい)。」覚云く「胡張三黒李四。」師其の語を然(ぜん)とす。時に圜悟和尚座元(ざげん)を為す。師此の語を挙し之を似(じ)す。悟云く「好は則ち好。恐(おし)むらく未だ実ならず。放過(ほうか)するは不可なり。更に言下に於いて捜看(そうかん)すべし。」次日(じじつ)入室す。前の如く垂問(すいもん)す。覚云く「昨日、和尚に向って道い了わる。」師云く「甚麼(なんと)道うぞ。」覚云く「胡張三黒李四。」師云く「不是(ふぜ)、不是。」覚云く「和尚為甚(なんとしてか)昨日是と道えり。」師云「昨日は是。今日は不是。」覚言下に於いて大悟す。
○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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