イスカリオテのユダは、イエスを売り渡し、十字架にかけた『裏切り者』の代名詞になっているが、彼の裏切りには不可解な点が数多く存在する。代表的なものは以下の三点。
<第一点>:イエスはユダが裏切ることを最初から知っていた。
「しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。(ヨハネ6:64)
<第二点>:ユダの裏切りは旧約聖書『詩編41章9節』の聖句を実現するために不可欠であるとイエスは弟子たちに説いている。
あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖句は成就されなければならない。(ヨハネ13:18)
<第三点>:イエスが栄光を受ける時、共にイスラエルの十二部族を裁かねばならない十二使徒の一人に何故裏切り者を選んだのか。
イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。 (マタイ19:28)
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○裏切りの物語は不自然:米国聖公会元主教
『ユダの裏切り』に関する最初期の言及は、『コリント信徒への手紙一』に見られ、使徒パウロは、「主イエスは、裏切られた夜、パンを取り、感謝をささげた後、それを裂き、こう言われた。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい』(コリント一11:23-24)」と述べている。ギリシア語『paradidōmi』の受動態は聖書の中で多くの場合『裏切られた』と訳されるが、『渡された』とも訳され、この場合は、比喩的に神がイエスをローマ人に引き渡したことを指していると言う。(英語版ウィキペディア)
パウロはその書簡の中で『十二使徒』に何度も言及している。仮にパウロが、十二使徒の一人のユダにイエスが裏切られたことを知っていたなら、パウロは何故あまたの書簡の中で一度もユダの名に言及しなかったのだろうか。
米国聖公会の元主教で、ハーバード神学校等の客員講師を務めるジョン・シェルビー・スポング牧師によると、ユダに関する物語の全体に不自然さが感じられ、十二使徒の一人による裏切り行為は、最古のキリスト教文献には見当たらず、ユダの名はマルコ福音書(3:19)により、初めてキリスト教史に登場すると言う。
その後著された『使徒行伝』には、イエスの弟子たちが、ユダの脱落で空席になった十二番目の使徒にマティアをくじ引きで選んだと言う記述がある。(使徒1:15-26)
ユダの裏切りの物語の不自然さや、矛盾には、この物語が成立する過程の紆余曲折が反映されているものと見られる。
○大祭司カイアファの大望
そもそもの発端は、海外で爆発的に増加した異邦人ユダヤ教徒による教会運動の波が、ユダヤ教の総本山エルサレムに押し寄せたこと。加えて旧約ダニエル書の70週の預言に基づく救世主来臨の期待が高まり、イスラエル再興を目指す政治結社や宗教諸派の活動も活発化した。こうした潮流を背景に内外のユダヤ教徒を統括する新組織を創設する計画が醞醸したものと見られる。
西暦30年のペンテコステ(五旬節)に大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所で新組織を発足させる計画は、エッセネ派を初めとするイスラエル国内のユダヤ教徒諸派や海外の異邦人ユダヤ教徒の間で、イエスが処刑されるよりかなり以前に持ち上がっていたに違いない。さもなければ地中海沿岸各地の異邦人ユダヤ教徒が参集することなどあり得ない。
早い時期にこうした動きを察知した大祭司カイアファは、ユダ族とレビ族双方の血を引くナジル派の司祭として、大祭司のみに許された聖所における祭儀を執り行っていたイエスの弟ヤコブを新組織のトップの座に据えることを思いついたものと見られる。この頃、エッセネ派の集会所には、イエスも出入りしていたことだろう。
○イエスのエルサレム宗教界デビュー
西暦28年頃のユダヤ暦11月にエルサレム郊外のベタニヤにおける洗礼者ヨハネの証言(ヨハネ1:19-28)によりエルサレム宗教界にデビューしたイエスは、三日後には、母マリアや弟達も引き連れ、ガリラヤ湖の西20キロほどにあったカナと言う村で婚礼に参加、各20-30ガロンの6つの瓶に満たした水を葡萄酒に変えると言う最初の奇跡を演じた(ヨハネ2:1-11)。この婚礼は、イエスの弟、熱心党のシモンの結婚式ではなかったかと見られ、イエスの宗教界デビューには、弟ヤコブを初めとする家族も協力していたことが窺える。ヨハネ福音書は、その1ヶ月後の過ぎ越の祭りに、イエスは弟子達とともに神殿に赴き、商人を神殿から追い払い(ヨハネ2:13-25)、そのままユダ地方にとどまると、聖霊のバプテスマを施す活動を開始したと述べている。(ヨハネ3:22)
○4人一組の十二使徒の役割
4つの正典福音書では、十二使徒はすべて、イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼を受けた後に弟子になった体裁になっているが、弟子になった経緯が記されているのは、洗礼者ヨハネの弟子だったと見られるゼベダイの兄弟とペテロとアンデレの兄弟そして、徴税人マタイとピリポおよびナタナエル(共観福音書のバルトロマイと同一人物か?)のみで、名前も一致していない。
正典福音書においてはゼベダイ兄弟の大ヤコブとヨハネ、そしてペテロの三人がイエスの側近と位置づけられ、これにペテロの弟アンデレを加えた4人が積極的に布教活動に参加していたようだ。
一方、アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)、徴税人マタイ、熱心党のシモンの3人は、ノースカロライナ大学宗教学研究所所長のジェイムズD.テイバー教授によると、どうやらいずれもイエスの弟だったようで、これに小ヤコブの息子のユダも加えた4人は、王族ダビデとレビ族アロンの血を引く正統な司祭階級として、神殿を拠点に活動していたものと見られる。
ティバー氏によると、義人ヤコブはアルファイの子ヤコブと同一人物で、マタイ福音書の著者とされるマタイは『アルファイの子レビ』とも記される。また義人ヤコブの殉教後、エルサレム教団の首座を引き継いだクロパの息子シモンは、熱心党のシモンと同一人物だったのだろう。なぜならギリシア語のアルファイはアラム語のクロパ同様二番目を意味し、マリアの二番目の夫を指し、恐らく最初の夫ヨセフの弟だったものと見られる。
残りのピリポ、ナタナエル、トマス、イスカリオテのユダは、正典福音書では、積極的役割を与えられておらず、共通点はこれら4人の名を冠した福音書は、何れも正統派からグノーシス主義を説く異端書の烙印を押されたこと。また、ピリポとナタナエルについては、ヨハネ福音書の描写は、イエスが二人を以前から知っていたことを暗示している。おそらくこれら4人は、洗礼者ヨハネから洗礼を受ける以前のイエスと交わりを結んでおり、それは、トマス福音書の内容と時期的に一致するものと見られる。
○イスカリオテのユダの出自
イスカリオテのユダについて、ヨハネ福音書は、『イスカリオテのシモンの子ユダ』と紹介しており(ヨハネ6:71)、イスカリオテは、一般に、ヘブライ語のイスと地名カリオテから成り、カリオテ人、あるいはカリオテ出身者の意と解釈されている。カリオテはユダ(ジュディア)南部の町で、ヘブロンの南約10マイルにあるエル・クレイテインの遺跡がこの町とされる。同福音書はユダは教団の会計係を担当していたと述べている(ヨハネ13:29)。
裏切ることを最初から知っていながら、何故ユダを十二使徒の一人にしたのかと言う疑問の答えが、上記の第二の疑問点そのものとすれば、ユダはイエスが救世主になるために不可欠な旧約の聖句『詩編41章9節』を実現した最大の功労者と言うことになる。にも関わらず、イエスはマルコ福音書のなかで「たしかに人の子は、自分について(旧約聖書に)書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう(マルコ14:21)」とまで述べている。イエスはユダの功労により栄光を受けることが定まっていたが、ユダは未来永劫『裏切り者』の烙印を押され、決して救われることのないゲヘナ(地獄)に堕とされることが定まっていた。だから『生まれなかった方がよかった』と言うのか。
ちなみにキリスト教の教義では死者は一旦ハデス(黄泉)に赴き、最後の審判を待って、昇天する者とゲヘナ(地獄)に堕とされるものが決まる。カトリックには、死者が赴く先としてこの他に、パーガトリー(煉獄)と言う概念が存在するが、プロテスタント諸派はこれを認めていない。
○小ヤコブの替え玉?
実際のところイスカリオテのユダが実在した人物かどうかは、極めて疑わしい。正典福音書は何れも、イエスが十字架にかけられることは、最初から定まっていたと言う体裁になっているが、同時に苦杯を前にしてイエスが苦悶する複数のシーンを伝えており、またイエスは処刑後に、ガリラヤで再会することを弟子たちと約したが(マルコ14:28,16:7,マタイ28:7,10)、処刑の三日後に復活したイエスは、『エルサレムに留まれ』と言う別の指示を出したとされる(使徒1:4)。
つまり西暦30年のペンテコステの日に海外の異邦人ユダヤ教徒諸組織と国内ユダヤ教徒諸派を統括する新組織を立ち上げることまでは合意ができたものの、イエスや小ヤコブの処遇をどうするか、新組織を取り仕切るのは、圧倒的多数の異邦人ユダヤ教徒か、国内のユダヤ教徒か、と言った多くのセンシチブな問題を巡り各派のつばぜり合いが、処刑後も続いたものと見られる。
ところで、大祭司アンナス及びカイアファの下に護送されるイエスにペテロとともについて行った大祭司の知り合いのもう一人の弟子(ヨハネ18:15)とは、小ヤコブのことだろう。小ヤコブは、こうした交渉の前面に立っていたものと見られる。だとすれば、イスカリオテのユダの出る幕は、どこにもない。正典福音書の『十字架刑の筋書き』やその『神学的意味』の大部分は、『イスカリオテのユダの物語』も含め、恐らく小ヤコブの手に成るものと見られる。
○接物利生(せつぶつりしょう)
時代は下り、中国の唐末五代十国の時代(907-960)に福建省福州玄沙山に住した玄沙師備宗一(げんしゃ・しび・しゅういつ:835-908)禅師は、ある日講座台に上り、「『接物利生(せつぶつりしょう):物に接して衆生に利益を施す』が仏道の本懐と言うが、盲聾唖三重苦を患った者に遇ったら、どうする。盲人に鎚(梵鐘のばち)を拈(ひね)り、払子(ほっす)を立てても見ることはできず、聾者(ろうしゃ)に長広舌を弄しても聞こえず、唖者(あしゃ)に何か言わせようにも、発語できない。もし、この病人を救うことができないなら、仏法に霊験(れいげん)などない。さあどうする」と問いかけた。
三重苦などと大業なことを言う必要はない。寝食を共にした夫婦や親子の間でも、また会社の同僚や隣人の間でも意思が通じず諍(いさかい)が生じる。ましてや宗旨、国籍、人種が違えば、武力衝突や国際紛争も日常茶飯事だ。
この法話を聞いた一人の僧は、答えが見つからず、玄沙と同門の雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師の下に赴き、示教(じきょう)を請うた。すると雲門禅師は「人にものを尋ねるなら、礼拝しろ」と注意した。僧が礼拝すると、禅師はすかさず錫杖(しゃくじょう)で一突きした。僧が思わず後ずさりすると、禅師は、「見えるじゃないか」と言い、「こっちへ来い」と促した。僧が恐る恐る近づくと、禅師は「耳も聞こえるようだな」と言い、「どうだ分かったか」と聞いた。僧が「いいえ、分かりません」と答えると、禅師は、「何だ、唖者じゃないじゃないか」と言った。僧はこの時、覚念大悟(かくねんたいご)したと言う。
初めに立ち、全てのものに内在する至高神を見い出した者、換言すれば
本来の自己に目覚めたものは、最早意思の疎通など問題ではない。天上天下我独り、今やるべきことを只管(ひたすら)やり通すだけである。<以下次号>
【参照】
○《碧巌録》第八十八則:玄沙接物利生
【垂示】
垂示(すいじ)に云く、門庭(もんてい:禅宗)の施設(しせつ:道具立て)は、且(しばら)く恁麼(いんも)に二を破して三と作す。入理(にゅうり:哲学的)の深談(しんだん:考証)は、也(また)た須是(すべか)らく七穿八穴(しちせんはっけつ)すべし。當機(とうき:その機にあたって)敲點(こうてん:考究)して、金鎖(きんさ)玄關(げんかん)を撃碎(うちくだ)く。令(れい:至上命令)に據(よ)って行い、直得(ただち)に蹤(しょう)を掃(はら)い跡(せき)を滅(めっ)す。且(しばら)く道(い)え、淆訛(こうか:間違い)什麼(いずれの)處(ところ)にか在る。頂門(ちょうもん)の眼(まなこ:第三の絶対眼)を具(ぐ)する者、請う試みに擧(こ)す看よ。
【本則】
擧(こ)す。玄沙(げんしゃ)、衆に示して云く、諸方の老宿(ろうしゅく:長老)は盡(ことごと)く道(い)う、接物利生(せつぶつりしょう)と。忽(たちま)ち三種の病人の來たるに遇わば、作麼生(そもさん)か接せん。盲を患う者は、鎚(つい)を拈(ひね)り拂(ほ:払子ほっす)を竪(た)つるも、他(た)又た見えず。聾を患う者は、語言三昧するも、他又た聞こえず。唖を患う者は、伊(かれ)に教えて説(い)わしむるも、又た説い得ず。且(さ)て作麼生(そもさん)か接せん。若し此の人を接することを得ずんば、佛法は靈驗(れいげん)なしと。
僧、雲門に請益(しんえき)す。雲門云く、汝(なんじ)禮拜(らいはい)し著(じゃく)せよ。僧、禮拜して起(た)つ。雲門、拄杖(じゅじょう:錫杖)を以て挃(つ)く。僧、退後(たいご)す。門云く、汝は是(こ)れ盲を患わず。復た喚(よ)ぶ、近前(きんぜん)し來たれ。僧、近前す。門云く、汝は是れ聾を患わず。門、乃(すなわ)ち云く、還(ま)た會(え)すや。僧云く、會せず。門云く、汝は是れ唖を患わず。此に於て省(せい)有り。
【頌】
盲聾唖(もう・ろう・あ)、杳(よう)として機宜(きぎ:時宜)を絶す。
天上天下、堪笑(たんしょう)、堪悲(たんひ)。
離婁(りろう:千里眼を有する伝説上の人物)は正色を辨ぜず、
師曠(しこう:春秋時代の盲人楽師)は豈(あ)に玄絲(げんし:奥義、秘伝)を識(し)らんや。
爭如(いかんが)虚窓(こそう:扉もカーテンもない窓)下に獨坐せん、
葉落花開(らくようかいか)自ずから時有り。
復た云く、
還(ま)た會(え)す也(や)無しや、無孔(むく:穴のない)の鐵鎚(てっつい:のっぺらぼうの鉄の塊)。
○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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