イエスが言った、「成る前に居た者は幸いである。もしあなたが私の弟子になり、私の言葉を聞くなら、これらの石もあなたに仕えるだろう。なぜならあなたは、夏も冬も変化せず、落葉しないパラダイスの五本の木を持っているからだ。それらを知る者は死を味あうことがない。」(トマス19)
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『成る前に居た者』とは、『既に成ったもの:現在存在する被造物の全体』より先に居た『至高神(原父propator)』を意味し、前節(トマス18)の『初めに立つであろう者』と同義と見られる。全ての被造物に内在する『至高神』は、『本来の自己』に他ならない。
『私の言葉を聞くなら』は、こうした『自己認識』を通じてイエスの象徴的言葉を理解するなら、換言すれば、『至高神』と一体の本来の自己に目覚めるならば、全ての被造物の主となり、『これらの石もあなたに仕える』ことになる。
『パラダイスの五つの木』とは、至高神の5つの属性を指している。ネトリウス派首長ティモシー1世(在位780-823)と同時代の東方教会のアッシリア人釈義・弁証者セオドア・バー・コナイは、これらの属性とは、中庸(sanity)、道理(reason)、思いやり(mindfulness)、想像力(imagination)、意思(intention)と述べている。
「天地開闢以前に在ったものは幸いである。私がそれであり、あなた方も私の弟子になり本来の自己に目覚めるなら、夏も冬も常緑のパラダイスの木を手に入れ、死を味わうことがない」と『トマス福音書』のイエスは説いている。
○トマス福音書とQ資料の相似性
1945年にナイル川上流のナグハマディでコプト語の古文書に混じって発見された『トマス福音書』は、『マルコ、マタイ、ルカ三福音書』の筆者が共通して参照したとされる仮説上のイエスの語録集Q資料に極めて近い内容だったことから、この仮説が実証された形になったが、これらの福音書を比較してみると、『マルコ/マタイ/ルカ三福音書』に共通する節の少なからぬものが、『トマス福音書』に存在しない。また『マタイ/ルカ福音書』に共通する記述で、『マルコ福音書』に存在しないものは、『トマス福音書』にも存在せず、その多くは旧約聖書の記述の引用である。こうした『マタイ福音書』と『ルカ福音書』だけの並行記事は、ユダヤ戦争後の新事態に対応して補充されたものと見られる。以下の聖句はマタイ/ルカ両福音書の際だった相違を示す並行記事の一例で、『マタイ福音書』を用いたヘブライスト信者と『ルカ福音書』を用いたヘレニスト信者の立場や対立関係が反映されている。
○マタイ/ルカ福音書並行記事の微妙な相違
イエスが、十二使徒を選び、組織的な布教活動に乗り出すと(マタイ10:1- 42)、獄中でこのことを知ったヨハネは、弟子をイエスの下に送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と問わせた。イエスは、旧約『イザヤ』書の記述(イザヤ35:4-6)を引いて「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 わたしにつまずかない者は、さいわいである」と答えた(マタイ11:2-6)。ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう(マラキ 3:1)』と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである(マタイ11:7-15)。」
『マタイ福音書』の以上の記事は、イエスが『イザヤ書』と『マラキ書』の記述を引いて自分が救世主であり、洗礼者ヨハネは先導役を務める預言者エリヤに他ならないと宣言した場面で、ここには、新設されたエルサレム教会を率いたイエスの弟ヤコブの、ユダヤ教原理主義グループのナジル派の司祭としての救世主に関する神学的立場が反映されているように見える。
『ルカ福音書』にも同様の並行記事が存在する(ルカ 7:24-28)。しかし、『マタイ福音書』には、「洗礼者ヨハネが活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている(マタイ11:12)」と言う難解で異論の多い一節が含まれている。
『ルカ福音書』にも確かに類似の並行記事が存在するが、イエスは全く異なる場面で唐突に「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている(ルカ16:16)」と述べている。つまり洗礼者ヨハネ以降に生じた同じ現象に対して『マタイ福音書』は「御国が襲われ危殆に瀕している」と警鐘を鳴らし、『ルカ福音書』は「福音聞いた者が御国に殺到している」と慶祝している。
○ヘブライストとヘレニストの対立の構図
『ヨハネの手紙一』は、「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている(ヨハネの手紙一4:2-3)」と述べ、『ヨハネの手紙二』は「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである(ヨハネの手紙二1:7)。この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである(ヨハネの手紙二1:10-11)」と警告、また『黙示録』は、ニコラオ派が偶像崇拝同様に憎むべき不道徳行為を犯していると断罪している。『マタイ福音書』が「天国を奪いとろうとしている」と警鐘を鳴らしているのは、正に『ヨハネの手紙一、二』や『黙示録』が断罪したグループを指しているものと見られる。
一方、パウロは、『コリント信徒への手紙二』の中で「ですからわたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。たとえ肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません(コリント二5:16)」と述べ、さらに『ガラテヤ信徒への手紙』の中で、「自分が伝える福音は、生前のイエス本人から教えられたものでもなければ、イエスの直弟子からでもなく、パウロ自身の内に蘇った復活のイエスから伝えられたものである(ガラ1:11-12)」とし、「彼れら(小ヤコブ、ペテロ、ヨハネ等エルサレム教会の重立った人々)がどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない(ガラ2:6)」と言い切っている。つまり、『ルカ福音書』16章16節が『力ずくで天国に押し入ろうとしている』と記述したのは、パウロやルカが率いるヘレニスト信者自身、すなわち『肉によらないイエス』の信奉者を指しているものと見られる。
○和解
キリスト教会は、こうした敵意や対立を乗り越え、4世紀以来、これら4福音書を新約聖書の正典として来た。ところで、パウロの直弟子テウダからパウロ神学の『奥義』を学んだと称するウァレンティヌスは、バレンティーノ・グノーシズムの名称の起源になり、イエスの弟義人ヤコブの弟子マリアムネから『奥義』を学んだとされるナアセノス派は、教父ヒッポリュトス(170?-235)から最初期のグノーシス派と見なされた。そして、小アジアのスミルナに生まれ、リヨン司教も務めたキリスト教創成期の教父エイレナイオス(130?-202)は、『マタイ/マルコ/ルカ/ヨハネ四福音書』こそが教会の四つの柱であると力説する一方で、その著『異端反駁』においてグノーシス派の『ユダの福音書』等を偽書であり異端であると断罪している。
○智慧の教えの源流
紀元前4世紀末のアレキサンダー大王の東征により東西文化の融合(シンクレティズム)が加速すると、インド北部と地中海沿岸地域に大乗仏教運動と教会運動が期を一にして生じ、『本来の自己を覚知することにより究極の救いが得られる』と言う智慧(サンスクリットでプラジュナー・パーラミター:般若波羅蜜多、ギリシア語でグノーシス)の教えが興隆した。
ユダヤ教を批判的に受容したグノーティシズムの潮流の中で、アレキサンドリア在住のスカラー達は、積極的にユダヤ教とギリシア哲学の融合を試みた。他方、アレキサンダ-大王の死後、紀元前232年までにほぼ全インドを支配下に収めたマウリア王国第3代のアショカ王は、セレウコス朝ペルシャやプトレマイオス朝エジプト、さらにはギリシアにまで、前後256回にわたり仏教の伝道師を派遣した。エルマーR.グルーバー/ホルガー・ケルステン(Elmer R. Gruber & Holger Kersten)両氏の共著『イエスは仏教徒だった?(The Original Jesus - Buddhist Sources of Christianity)』によると、アレクサンドリア・ユダヤ人共同体の指導者で歴史家のフィロン(20/30BC-40/45AD)は、アレキサンドリア近郊のマレイア湖畔に、清貧、禁欲、服従、善行、慈悲と瞑想を旨とし、家族を含む一切の世俗的事物を捨てた菜食主義者のテラペウタイと言う人々が共同生活をしていたと述べており、同書は彼らはアショカ王がプトレマイオス二世の時代に同国の首都アレキサンドリアへ送った伝道師の末裔であり、イエスは若い頃そこで修業したものとみられると推測している。
『ヨハネ福音書』のイエスは「もしわたしの言葉のうちにとどまるなら、あなたがたは、わたしの弟子であり、真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたを解放するだろう(ヨハネ8:31-32)」と説いており、グノーシス派はイエスをグノーティシズムの開祖と見なしているが、
パウロもヤコブもペテロも、内なる聖霊に依拠した信仰を説いた限りにおいて、広義のグノーティシズムに属していたと言える。
○厨庫三門(ずくさんもん)
時代は下り、中国の唐末五代十国の時代(907-960)に広東省韶州(しょうしゅう)の雲門山に住し、雲門宗を興した雲門文偃(うんもん・ぶんえん864-949)禅師は、ある日、弟子達に「人は誰でも光明を持っているが、見ようとすれば、真っ暗で何も見えんわい。お前達に本来備わった光明とは何だ」と語りかけた後、「厨庫三門(ずくさんもん)」と自答、さらに「良いことなど、無いに越したことはない」と付け加えた。
ちなみに唐末五代十国の時代には五家七宗が並び立ち禅宗が興隆したが、各派それぞれに特徴的な宗風が存在し、雲門宗には、「一句の中に須く三句を具すべし」と言う教えが存在した。「一句をもって、1.乾坤を涵蓋(かんがい)し、2.波に随い浪を逐い、3.衆流を截断せよ」と説いた雲門禅師の教化(きょうげ)の方式は、独特で、学人を乾坤ともども鷲づかみにするかと思えば、あたかも自分の手足の爪を切るように煩悩の衆流を裁ち切り、学人の思いに任せたと言う。
しかし碧巌録第八十六則に収録されたこの公案は、雲門禅師が自問自答し、一人芝居の観を呈している。没年から生年を差し引くと、禅師は85歳の長寿を全うされたようだが、この公案は、どうやら禅師がその生涯をかけて到達した悟道の全容を披瀝したものと見られる。
ここで、少々、禅宗寺院の構成を説明すると、厨庫は、台所(厨)兼倉庫の意で、典座を始めとする、諸知事がここに居を据え、寺院の管理に当たっていた。また庫院とも称される。禅宗寺院には当初、外山門・中門・正門と言う三つの門が設けられたが、後には一つの門の中央に大きな扉、左右に小さな扉を設け、三門と称し、山門と同義となった。
五家七宗の本山ともなれは、当時すでに数百人から千人を超える大所帯になっており、時には皇帝の勅使も訪れたことから、厨庫の日常業務は繁忙を極めたにちがいない。雲門禅師も出家した当初は人々の分上に具わった光明をあきらめるため坐禅三昧の生活をしていればよかったが、諸知事の役割を担うようになると、出家も在家も変わりなく、取り分け雲門宗の始祖ともなれば、その心労は諸知事の比ではなかったろう。
『只管打坐』を標榜して永平寺を創建した日本曹洞宗の始祖道元禅師も、『典座教訓(てんぞきょうくん)』、『辨道法(べんどうほう)』、『赴粥飯法(ふしゅくはんほう)』、『衆寮箴規(しゅりょうしんぎ)』、『對大已法(たいたいこほう)』、『知事清規(ちじしんぎ)』等の書を著し、永平寺の運営に並々ならぬ気配りをしている。
浙江省杭州西湖のほとりで梅を妻とし、鶴を子として生涯を終えたとされる中国北宋の詩人林和靖(967-1028)は、『見ずや西湖の林処士、一生の受用ただ梅花』とうたわれたが、雲門禅師の一生の受用はさしずめ『厨庫三門』だったのだろう。つまり寺院の管理に追われる毎日が光明の実体というのである。禅寺の女性信徒に『日々これ好日』とは何かと問えば、『雨は降る薪(たきぎ)は濡(ぬ)れる日は暮れる赤子の泣くに瘡(かさ)の痒(かゆ)さよ』と言う答えが返って来そうだが、雲門禅師は「好日など無いに越したことはない」と達観したようだ。<以下次号>
【参照】
○インドラ楽園の五本の木
1.曼荼羅(エリスリナ・スペリア)
2.パリジャタ(印度夜香木)
3.サムタナカ(男性の生殖力を増進する葉を持つ不思議な木。その識別は曖昧。)
4.黄檀(サンダルウッド、サンタラム・アルバム)
5.カルパ・ヴリクシャ(如意樹)
イエスは聖書の欠落した期間にインドを訪れていたと言う説が存在すると言う。(英語wiki)
○《碧巌録》第八十六則:厨庫三門
【垂示】
世界を把定(はじょう)して、絲毫(しごう)も漏らさず。衆流(しゅうる)を截斷(せつだん)して、涓滴(けんてき)も存さず。口を開けば便ち錯(あやま)ち、擬議(ぎぎ)すれば差(たが)う。且道(しばらくいえ)、作麼生(そもさん)か是(こ)れ透關底(とうかんてい)の眼(まなこ)。試みに道(い)い看(み)ん。
【本則】
擧(こ)す。雲門、埀語(すいご)して云く、人人盡(ことごと)く光明の在る有り。看る時は見えず暗昏昏(あんこんこん)たり。作麼生か是れ人の光明。自ら代って云く、厨庫(ずく)、三門。又た云く、好事(こうじ)は無きに如かず。
【頌】
自ら照らして孤明を列ね、
君が爲に一線を通ず。
花謝(ち)りて樹に影無し、
看る時誰にか見えざる。
見ゆるや見えざるや、
倒(さかさ)に牛に騎って佛殿に入るを。
○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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