弟子たちがイエスに言った、「私たちは、あなたが私たちのもとから去られるであろうことを知っています。その後、誰が私たちの上に大いなる者となるのでしょう。」
イエスがかれらに言った、「あなた方は、あなた方がそのもとから来たところ、すなわち義人ヤコブのもとに、行くだろう。彼の故に天と地とが生じたのである。」(トマス12)
『あなた方がそのもとから来たところ』とは、『至高神』を意味し、『義人ヤコブ』を『至高神』と同格に持ち上げただけでなく、『彼の故に天と地とが生じた』とまで述べている。この句が成立した時代背景が窺える。
○パウロ神学:新約聖書の基調
パウロの書簡は、新約聖典に収められた27文書中の14文書(52%)を占め、ページ数でも全体の31%(日本語口語訳新約聖書全409頁中127頁)と、マタイ福音書の12%、マルコ福音書の8%、ルカ福音書の13%、ヨハネ福音書の11%、ヨハネの黙示録の6%、使徒行伝の13%を遙かに上回る(ソース:笹倉キリスト教会)。そればかりでなく、これらのパウロ書簡は、ユダヤ戦争後に続々完成した他の文書群に先駆けて、パウロの生前から組織的に流布されたため、パウロ神学が新約聖書全体の基調を成すようになった。
○カイアファの預言
しかし、今日伝えられるパウロの来歴が史実と仮定すれば、イエスの処刑の僅か1ヶ月半後に、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所においてエルサレム教会が発足した当時、パウロ神学はまだ存在しなかったはずである。
とは言え、この原始キリスト教会には、およそ400万人の海外異邦人ユダヤ教徒とイスラエル国内のユダヤ教各派約80万人を統括するユダヤ教正統派の新組織としての役割が期待されていた。サンヘドリンにおいて「あなたがたは、何もわかっていない。ひとりの人が国民に代って死に、全国民が滅びないで済むことがわたしたちにとってどれほどよいことかを、考えてもいない」と述べ、「イエスは国民のために、また単に国民のためだけでなく、散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになる」と預言した大祭司カイアファは、少なくともそのように考えていたに違いない。彼のこの証言を受けてエルサレムの宗教界はイエスを十字架に架ける準備に着手したとヨハネ福音書は記している(ヨハネ11:49-57)。
おそらく異邦人ユダヤ教徒の一大組織を立ち上げる計画は、イエスが布教を開始する以前から周到に準備されていたものと見られる。さもなければ、パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フルギヤ、パンフリヤ、エジプト、リビヤ、ローマ、クレテ、アラビヤ等からの異邦人が一堂に会し、その日1日だけで3000人もが創設されたばかりのエルサレム教会に加わる(使徒2:9-41)ことなどあり得ない。
○義人ヤコブに白羽の矢
当時は、地中海沿岸各地に自然発生した教会運動の波が、旧約ダニエル書の70週の預言に基づく救世主来臨の期待を背景に、ユダヤ教の総本山エルサレムにまで押し寄せていた。70週の預言に伴う反乱も頻発していたことから、大祭司、サンヘドリン、ヘロデ王家、ローマ総督府等の支配層は、こうした動きに神経を尖らせるとともに、何らかの対策を講じる必要に迫られていた。いずれにしても、ユダ族とレビ族双方の血を引くナジル派の司祭として、義人の誉れ高いイエスの弟ヤコブは、海外異邦人ユダヤ教徒を統括する新組織のトップに打って付けの人選と彼等の目に映ったに違いない。4世紀の神学者エピファニオスによると、ヤコブは、祭司のみに許されていた神殿の聖所に入り、ナジル派信徒のための神殿儀式を執り行っていた。つまり義人ヤコブは、ユダ族ダビデとレビ族アロンの末裔として、したがって正当な大祭司の血統として公認されていたのである。
この頃、イエスは、大祭司カイアファの屋敷に隣接したエッセネ派の集会所に出入りしていたようだ。最後の晩餐の会場にもなったこの家のあるじ、サロメはイエスと親密な関係にあり(トマス61)、最後の晩餐の席でイエスが「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と明かした時、イエスの胸によりかかり「主よ、だれのことですか」と尋ねたイエスの愛弟子(ヨハネ13:25)やオリーブ園でイエスが捕縛された際、亜麻布を脱ぎ捨て裸で逃げ去った若者(マルコ14:51-52)は『サロメの息子のマルコ自身だったのでは?』と憶測された。
どのような経緯でそうなったかは定かでないが、四つの福音書は、いずれもヨルダン川で洗礼者ヨハネから水の洗礼を受けた時、イエスが十字架にかかる運命が定まったとしている。その直後、イエスは、エルサレム郊外のベタニヤにおける洗礼者ヨハネの証言(ヨハネ1:19-28)によりエルサレム宗教界へのデビューを果した。この時イエスはたった1人でヨルダン川の岸辺に洗礼者ヨハネを訪ねており、4福音書は、それまでイエスが何処で何をしていたのか伝えていない。『ヨハネ福音書』によると、洗礼者ヨハネの弟子の中からペテロとその弟アンデレ、大ヤコブとその弟ヨハネを借り受け、ピリポとナタナエルも弟子に加えたイエスは、三日後に母マリアや弟達も引き連れ、ガリラヤ湖の西20キロほどにあったカナと言う村で婚礼に参加、各20-30ガロンの6つの瓶に満たした水を葡萄酒に変えると言う最初の奇跡を演じた(ヨハネ2:1-11)。この婚礼は、イエスの弟、熱心党のシモンの結婚式ではなかったかと見られ、イエスの宗教界デビューに家族も協力していたことが窺える。
○イエスの二つの異なる指示
イエスは弟子たちに、自分が十字架に処せられた後、『ガリラヤに戻れ、自分は一足先に帰る(マルコ14:28,16:7,マタイ28:7,10)』と指示した。このためペテロ、トマス、ナタナエル、大ヤコブ、ヨハネ、他2人は、ガリラヤに戻り、ガリラヤ湖の岸辺で復活したイエスと対面したと言う(ヨハネ21:1-14)。
しかし、使徒行伝によれば、処刑後復活したイエスは『エルサレムに留まれ(使徒1:4)』と言う別の指示を出した。イエスはその後、40日間、弟子達と共に過ごした後昇天したが、過ぎ越しの祭りの50日後のペンテコステ(五旬節)には、聖霊が下り、エッセネ派の集会所で弟子達とともにこれを目撃した3000人余が参加して、エルサレム教会が発足した(使徒2:1-41)。
使徒行伝の以上の記述は、イエスの弟子達と海外の教会運動を担った異邦人ユダヤ教徒各派、そしてイスラエル国内のユダヤ教各派の間にペンテコステの日にエルサレム教会を発足させる合意が急転直下成立すると言う、生前のイエスが予想し得なかった事態の推移が反映されているようだ。復活したイエスが指示したとされる≪使徒行伝≫の以下の記述から同合意の要旨が窺える。
彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒1:4-9)
つまり、この時点で、『復活』、『聖霊降臨』、『キリストの再臨』を信仰の根幹に据える方針が固まったものと見られる。この後さらにパウロが加わり、『贖罪』や『信仰義認』、『肉によらぬキリスト信仰』等が加えられ、所謂パウロ神学が構築されたようだ。
パウロは、キリストこそが「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた」(1コリント15:20)のであり、「地上において、ダビデ王の家系に生まれたイエスは、聖霊の力で死から蘇られた時、神の子であることが示された」(ローマ1:3-4)とし、『復活』と言う概念に旧約や新約聖書中の民間奇跡伝承とは異なる彼一流の新しい意味を注入した。またバプテスマに関しては、「キリストと共に葬られ,よみがえらせられたことのしるし」(ローマ6:3-4)とした。
○イエス直伝の教え
イエスは、その教えを書き残さなかったが、4つの福音書のうち『共観福音書』と呼ばれるマタイ/ルカ/マルコ3福音書は、相互に類似する記述が多いことから、いわゆる『Q資料(Qはドイツ語の資料Quelleの頭文字)』と称される共通の語録が存在し、これに民間伝承をアレンジして三福音書が誕生したと言う仮説が立てられた。その後、1945年にナイル川上流のナグハマディで発見されたコプト語の古文書の中に、Q資料に極めて近い語録集『トマスによる福音書』が含まれていたため、この仮説が実証された形になった。
民間伝承を取り入れたことが、新約聖書に奇跡伝承が多い理由の一つとされるが、対照的に『トマス福音書』には奇跡伝承がほとんど存在しないだけでなく、過激な内容がちりばめられている。ユダヤ教の根幹を成すモーセの律法や割礼等の慣習を排除した『パウロ神学』も過激だが、『トマス福音書』に至っては、『礼拝』、『祈祷』、『断食』、『施し』も不要とし、創造神そのものまで否定、代わりに内在する『至高神(原父propator)』の命じるところに随って生きるよう説いている。
『共観福音書』の編者らは、さすがにこうした過激な教えをそのまま紹介することを控えたものの、『至高神』を『聖霊』や『真理の御霊』と書き換えた上、「人間が犯す罪はどのような罪でも許され、神を冒涜する罪さえ許されるが、ただ一つ決して許されない罪がある。聖霊を冒涜するものは決して許されず、永遠の罪に定められる」(マルコ3:28-30/マタイ12:31-32)と述べ、聖霊を旧約聖書に登場する創造神の上に位置づけた。
一人のナザライト(原理主義者)として旧約の律法を厳格に遵守する生活をおくり義人と称えられたイエスの弟ヤコブも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる(ヤコブ4:5)」とし、内なる霊に則った『自由の律法』と言う新概念を提起、こうした自主的で内的な規範をモーセの律法の上位に位置づけ、「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にならないで、事を実行する人になります」(ヤコブ1:25)、「自由の律法によって裁かれる者らしく語り、またそのように行いなさい」(ヤコブ2:12)と説いた。
洗礼者ヨハネの元弟子グループのリーダー、ペテロも外的な律法に束縛されるのではなく、内なる聖霊に基づく『自由人』にふさわしく行動しなさい(第一ペテロ2:16)と述べ、守らねばならないのは、自己に内在する聖霊が定めた律法であり、裁くのも内なる聖霊であると説いた。こう言う人は外部から如何なる束縛も受けないから『自由人』と言うのである。
ちなみに、『神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる(ヤコブ4:5)』と言う聖句は、旧約聖書には見あたらないことから、『自由の律法』や『自由人』と言う概念は、イエス直伝と見られる。
○奥義
イエスは弟子達に「私はふさわしい人にだけ奥義を明かすのだからあなた方も右手がしていることを、左手に教えてはならない」と諭(さと)した(トマス62)。そして有る時弟子達に「私を何かと比べ、私が誰か言って見なさい」と命じた。ペテロは「あなたは正義の使者のようです」と言い、マタイは「あなたは賢い哲学者のようだ」と答えた。しかしトマスは「私は口を開くこともできず、あなたが何かなどとても言うことはできません」と言った。するとイエスは「最早私はあなたの師ではない。なぜならあなたは私の泡立つ泉から飲み、酔いしれたからだ」と言い、離れた場所に連れて行き3つの秘伝を授けた。他の弟子達はトマスに「師は一体あなたに何を語ったのか」と尋ねた。するとトマスは彼等に「もし私が3つのうち1つでも明かせば、あなた方は私に石を投げつけ、その石から飛び散った火花があなた方を焼き尽くすだろう」と語った(トマス13)。
時代は下り、中国唐代の禅僧洞山良价禅師(807-869)は、弟子達に「本来無一物(ヨハネ福音書が冒頭に提起したロゴス)の境地を説いても、鉢や頭陀袋を下げて托鉢する資格はない。一転語(迷いを転じて悟り至らせる一句)を下し得て初めてその分がある。さあどんな語か言って見よ」と問うた。
ここに一人の上座(古参の弟子)が居た。彼は96回入室(にっしつ)し、その見解(けんげ)を示したが師は受け入れなかった。しかし97回目に終に師の印可を得た。
するとやはり何度入室しても師の許しが得られないもう一人の弟子が、この上座に師の許しを得る秘訣を尋ねた。この弟子は三年間上座に近習したが、何一つ聞き出すことができないまま、上座は病気になってしまった。そこでその僧は、上座の枕元に行き、「私は3年間待ち続けたが貴方の慈悲を得ることができなかった。今となってはこれ以上待つことはできない」と言い、病床の上座に刀を突きつけ、「もし教えてくれないなら、貴方を殺す他ない」と言い放った。すると、上座は慌てて、「今教えてやるから待ってくれ」と頼み、「しかしこの答えは、あなたには何の役にも立たないよ」と付け加えた。くだんの僧は、それを聞くと深く頭をたれ、感謝したと言う。(景徳伝灯録)<以下次号>
【参照】
○《景徳伝灯録第十五巻》
師又曰く、直(ただ)ちに本来無一物と道(い)うも、猶未(なおいま)だ他(かれ)衣鉢に消得(たえず)、這里(しゃり:ここ)に合下得(ごうかとく:ピッタリした)の一転語あり、且(しばらく)道(い)え什摩(いかなる)か下得(かとく)の語。
一上座有り、九十六転(たび)下語(げご)するも、師の意を惬(み)たさず。末后(まつご)の一転(いってん)、始めて可す師の意。
師曰く、闍梨(じゃり)何としてか早く恁麼(インモ)と道(い)わざる。
一僧有り、聞きて挙(きょ:明かし)を請う。三年執待(じたい:近習)するも巾瓶(きんびん:瓶の口ひも)終に為に挙すことなきが如し。上座因(ちな)みに疾(やまい)有り。其の僧曰く、某甲(それがし)三年前話を挙すことを請うも、慈悲を蒙(こうむ)るをえず。善取(ぜんしゅ)得ざれば悪取(あくしゅ)す。遂(つい)に刀を持ち之(これ)に向かって曰く、若し某甲が為に挙せざれば、即便(すなわち)上座を殺す。
上座慄然(りつぜん)として曰く、闍梨、且く待て、我汝が為に挙す。乃ち曰く、直饒(たとえ)将来といえども亦着くる処無し。
其の僧礼し謝す。
○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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