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2017-03-10 ArtNo.45947
◆書評:聖霊のバプテスマ(イエスの成道)




ベタニアにおける洗礼者ヨハネの証言によりエルサレム宗教界へのデビューを果したイエスは、その直後に、ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ピリポ、そしてナタナエルを弟子にした。このナタナエルについて、イエスは「見よ、この男こそ正真のイスラエル人だ、その心には微塵の偽りもない(ヨハネ1:47)」と最大級の評価をしている。

○ナタナエル召命の謎
 ガリラヤのカナの生まれで、十二使徒の一人に数えられるナタナエルは、ピリポの友人として紹介された後、ヨハネ福音書の最後に、復活後ガリラヤ湖に現れたイエスに巡り会った弟子たちの一人として再び登場する。(ヨハネ21:2)。




 ところが、他の三つの聖典福音、いわゆる共観福音書と呼ばれるマルコ、マタイ、ルカ福音書には、その名がない。国際標準聖書百科事典(ISBE:International Standard Bible Encyclopedia)によると、9世紀以降、共観福音書が十二使徒の一人として列挙しているバルトロマイ(タルマイの子)とナタナエルが同一視されるようになったが、この見解は確定していないと言う。
 どうやら4つの聖典福音書の中で最後に書かれたヨハネ福音書の著者、おそらく十二使徒の中で、天寿を全うし、最後まで生き残ったゼベダイの子ヨハネは、両者が同一人物であるか否かは別にして、ナタナエルの名を後世に伝える必要を感じ、バルトロマイに替えてナタナエルの名を十二使徒に加えたものと見られる。

○ドシセオス派の創始者?




 ナタナエルの別名でも知られるサマリアの一宗派の創始者ドシセオスは、おそらく西暦1世紀に生きていたと見られ、ドシセオスもナタナエルも『神の賜物』を意味する。
 ヨセフス(37-100)の『ユダヤ戦記』をラテン語に翻訳したヘゲシップス(90?-180?)は、ドシセオスはグノーシス主義の創始者とされるシモン・マグスより後の時代の人としているが、他の作家たちは彼を、シモン・マグスの師匠としたり、シモンの愛人ヘレナとの関連でシモン・マグスと混同しており、彼は洗礼者ヨハネの知己であったとも言われる。
 古代キリスト教最大の神学者とされるアレクサンドリアのオリゲネス(182?-251)は、ドシセオス派が興隆したことはなく、彼の時代にはほとんど消滅し、残存者はせいぜい30人にすぎなかったと述べているが、アレキサンドリアの教父エウロギウス(582?-603?)は、その著書(フォティオス文庫写本230)の中で、サマリア人のドシセオス派を論破し、彼らを厳しく批判していることから、ドシセオス派は6世紀にも存在し、一定の影響力を保持していたようだ。オリゲネスは恐らくキリスト教会内部のドシセオス派について述べたのであり、実際のところ彼らは跡を絶ったが、サマリア人の中のドシセオス派は、生き残っていたものと見られる。とりわけエジプトでは、アレキサンドリアのクリスチャン教父らを論争に駆り立てるに十分な勢力を保持していたようだ。




 ドシセオス派の起源に関しては、ユダヤ教ラビ・ソースに、プトレマイオス六世フィロメトル以前の紀元前150年頃に行われたユダヤ人とサマリヤ人の宗教論争に際して、サマリヤ人側の代表を務めたサビウスとテオドシウスをサマリアの二宗派、サビウス派とドシセオス派の創始者と示唆する記述が見られる。
 ヨセフスによれば、同論争でユダヤ人側の代表を務めたアンドロニクス・ベン・メシュランは、聖書の記述や、アジアの非ユダヤ人の諸王によるエルサレム神殿に依拠した尊崇の念から、ユダヤの大祭司の歴史的継続性を証明し、ゲリジム山をイスラエル国民の祈祷の対象とすべき聖地とするサマリヤ人の主張を論駁したとされる。アンドロニクスが見事にその主張を論証したことから、国王はこの論戦におけるサマリヤ人の二人の代表、サビウスとテオドシウスを処刑した。論戦の敗者が処刑されることは予め合意されていたと言う。
 ペルシアの著名な宗教史家アブー・アル・ファス(1086–1153)は、サマリヤ人ドシセオス派に関して、「彼らは、モーゼの律法に基づいて制定された祝日や星座表を廃棄し、1ヶ月を30日に固定した」と述べ、サドカイ派の一派がドシセオス派の霊的子孫であることを立証している。(英語版ウィキ)




 ナタナエル(バルトロマイ)も福音書を著し、インドまで伝道、アルメニアで没したと伝えられているが、ヴィクトル・ユーゴー(l802-1885)の『九十三年』によると、法王ゲラシウスがナタナエル(バルトロマイ)福音書は偽物(外典)であると宣言したため、同福音書は無慈悲に抹殺されたと言う。

○イエスとサマリヤ
 ヨルダン川に突然たった一人で現れ、ヨハネから水の洗礼を受けた(マルコ1:9/マタイ3:13)時、イエスは、30代半ば(ルカ3:23)だったとされるが、福音書の記述から、ヨハネの洗礼を受ける前のイエスに、弟子はおらず、布教活動も行っていなかったようだ。
福音書は、それまでイエスがどこで何をしていたのか記していないが、イエスがユダヤ人よりもサマリア人を高く評価していたことを暗示しており、記述の端々から、生前のイエスが、サマリアと浅からぬ関係を有したことが窺える。




 ルカ福音書には、「聖書が説く隣人とは誰か」と質問した律法学者に対して、イエスが「追いはぎにあった旅人を見捨てたユダヤ教の祭司やレビ人と、介抱したサマリヤ人のどちらが、この旅人にとっての隣人か」と問い返す場面がある(ルカ10:25-37)。ヨハネ福音書では、真の聖地は、ゲリジム山かエルサレム神殿かと言うサマリヤの水くみ女の問いに、イエスは、「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝するべきである」と答えている。(ヨハネ4:20-24)

○ベタニアにおける洗礼者ヨハネの証し




 ヨハネ福音書によると、洗礼者ヨハネは、ベタニアでエルサレムから派遣された祭司やレビ人に対して、「あなた方の中に立っているこの人こそ聖霊のバプテスマを施される方であり、水の洗礼を施す自分はこの方の靴紐を解く値打ちもない」(ヨハネ1:26-27)と語った。その数日後に、ペテロ、アンデレ、ヨハネ等、洗礼者ヨハネの弟子の一部を引き連れ、母親とともにカナの結婚式に出席したイエスは、それぞれ20から30ガロン(80-120リットル)の石瓶6つに満たした水を葡萄酒に変え、参会者にふるまい最初の奇跡を行った(ヨハネ2:11)。この結婚式の花婿は、熱心党のシモンと呼ばれるイエスの実弟だったらしい。イエスは、その直後、エルサレム神殿に赴き、縄の鞭を振るい商人たちを、境内から追い出した。(ヨハネ2:13-17)
 ヨハネ福音書のこれらの記述は、『ベタニアにおける洗礼者ヨハネの証し』や『カナの結婚式』、そして『神殿商人の一掃事件』が、イエスをデビューさせるために、エルサレム宗教界各派、すなわち祭司階級のサドカイ派、洗礼者ヨハネを奉じるエッセネ派やファリサイ派、小ヤコブが率いるナジル派、弟シモンがメンバーを務める熱心党等により、ワンセットで予め入念に準備されたことを暗示している。

○出土した写本




 宝探しのベドウィンが、中東のとある場所で、半分土に埋もれたガラス製の器に収められた巻物を見つけた。彼は『エルサレム宗教・考古学学会(RASJ)』に持ち込み、売り込みを図った。注意深い調査と科学的検証の結果、文書の内容と巻物の一部の年代は西暦1世紀にさかのぼることが明らかになった。この巻物のタイトルは『ナタナエルの福音書』だった。その内容は多くの点で、他の聖典福音書と共通しているが、同時に顕著な相違が見られた。(The Gospel According to Nathanael:Overview抄訳)

○イエスの成道
 イエスは福音を伝えながら、町から町、村から村を巡り歩いていた。彼には、男性10人の他に、七つの悪霊の呪縛から解かれたマグダラのマリア、ヘロデ王家の家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、その他大勢の女性が付き従っていた。




 ある朝、数時間にわたり坐って深い瞑想に耽っていたイエスが、目を開くと、自分の内に全く新しい劇的な変化が生じ、未だかつて体験したことのない境地に到達したことを悟った。彼は、いわば、牢獄の中に閉じ込められていたが、穴を掘って脱獄し、自由と覚醒にいたる道を見いだしたのだ。何の制限もない、天の王国至る真の道だ。無知と死から完全に解放され、不滅の浄土を体験したイエスは、この境地を福音として伝えることを生涯の使命にすることを決意した。
 宿営に帰る途中で、彼はペトロに会った。ペテロはしばし口もきけぬようすだったが、やっと口を開くと、「主よ、あなたは全く別人のようだ。何があったのですか。」と言った。「何のことだ、ペテロ。」「あなたは輝く太陽、生まれたばかりの赤子のようだ。」「私は世の光だ、私は全ての思考と感情の源、悟りを得たのだ。」
 その後、イエスは毎朝ただ一人森に出かけ、父と対面し、瞑想的祈りを捧げるようになった。イエスが一人になることを欲していると知った弟子たちは、彼について行ったり、煩わせたりしなかった。このためイエスは朝一人で行う瞑想的祈祷に、より長い時間を費やすことができた。
 イエスを一目見ようと、周囲数マイルの住人が三々五々訪れたが、イエスは都合のよい時間を見計らって、人々にたとえ話をして聞かせた。(The Gospel According to Nathanael:Free Preview抄訳)
 この一節は、釈迦が菩提樹の下で成道した様子を彷彿とさせる。ギリシア語写本の原文が、そうかどうかは分からないが、ナタナエル・バルヨナと称する著者は、イエスとその従者たちの様子を外から観望し、客観視して書いているようにも見える。<以下次号>





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
 ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
 それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。
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