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2015-12-25 ArtNo.45617
◆書評:聖霊のバプテスマ(復活のキリスト)




 ですからわたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。たとえ肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。(コリント二5:16)

○アンティオキア教会の創設
 大祭司の勅許状を手に入れたパウロがダマスカスにわたって三日ほどすると、アナニアと言うヘレニストの信者がパウロの宿舎を訪れた。パウロは、後者の手引きで、直ちに諸会堂を巡り、救世主イエスに関する福音の伝道を開始した。(使徒9:1-20)
パウロは、その後、エルサレムに戻ったが、今度はキプロス出身のヘレニスト、バルナバの仲介で、十二使徒らと親交を結んだ。(使徒9:27-28)
 しかし、ダマスカスでもエルサレムでも、ギリシア語を話す一部のユダヤ人から命を狙われたことから、パウロは、一旦小アジアの故郷タルソスに戻った。(使徒9:30)




 一方、ステファノ事件を切っ掛けにシリアのアンティオキアに移住したヘレニスト信者による非ユダヤ人に対する布教が成果をあげると、エルサレム教会は、バルナバをアンティオキアに派遣した。
 バルナバは、タルソスからパウロを呼び寄せ、1年かけてアンティオキア教会を立ち上げた。この時、同教会に連なる信者が初めてクリスチャンと呼ばれるようになった。エルサレム教会の信者は、自分たちこそ真のユダヤ教徒であると自負しており、キリスト教徒と言う意識はなかったものと見られる。こうした点からも生前のイエスを知らぬヘレニスト信者が、キリスト教の源流であったことが窺える。
 クラウディウス帝の治世に大飢饉が発生し、バルナバとパウロは、アンティオキア教会信徒の義援金をエルサレム教会に届けた。(使徒11:19-30)

ステファノ事件と迫害の真相
 ダマスカスやエルサレムでパウロの命を狙ったギリシア語を話すユダヤ人とは、ステファノを告発した者と同じ、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々だったようだ。ギリシア語を話すユダヤ教徒と言う点では、彼らもヘレニストだが、『解放された奴隷の会堂』のメンバーは、ヘブライスト(ヘブライ語を話すユダヤ教徒)以上にユダヤ教原理主義に近い信仰を保持していたようだ。
 つまりステファノは、ヘレニストの内紛の犠牲になったのである。国外に離散したユダヤの民をエルサレムに呼び戻すために、イエスを救世主として十字架にかけることをサンヘドリンにおいて提案した大祭司カイアファも(ヨハネ11:52)、イエスの処刑後わずか1ヶ月半でエルサレム教会が創設され、膨大なヘレニストが参集するとは予想していなかったかも知れない。あまりに早くカイアファの理想が実現し、大量のヘレニストが城内に流入したことから、エルサレム教会の内部でさえ、ヘレニストとヘブライスト、そしてヘレニスト原理主義者との間の軋轢が生じたものと見られる。




 このため大祭司を初めとするサンヘドリンのメンバーやエルサレム教会の指導者らの間で、ヘレニストとヘブライストの棲み分けが計画され、パウロがその執行役を務めたものと見られる。エルサレム教会の分裂回避を願う主流派のみならず、大半のヘレニスト信者も同計画に同意したようだが、キプロス島の私産を売却してエルサレム教会に献金したバルナバのような信徒の中には、当然計画に反対するものもあったに違いない。パウロはこうした人々の家を一軒一軒巡り、計画を完遂する過程で、小アジアや地中海沿岸地域における宣教活動に必要な情報を収集したものと見られる。
 しかし、大祭司を初めとするサドカイ派や小ヤコブに率いられるナジル派と、親密な関係を有する『解放された奴隷の会堂』に属する人々は、ステファノ事件後もエルサレムにとどまったようだ。皮肉なことにパウロ自身、これらギリシア語を話す原理主義グループの告発により逮捕されることになるが、エルサレム教会主流派は、ステファノが殉教した時と同様、傍観した。





○特筆すべきヘレニストの役割
 興味深いことに、アンティオキア教会の予言者や教師陣には、バルナバとパウロの他に、領主ヘロデと一緒に育った(乳兄弟?)マナエンも含まれていたと言う(使徒13:1)。このことから、キプロス出身のバルナバやマケドニア出身のルカと言ったヘレニスト信者は、エルサレム教会とパウロだけでなく、王族との関係も仲介したことが窺え、あるいは、水と油の仲のエッセネ派のガマリエルとナジル派の小ヤコブ、ひいてはイエスと洗礼者ヨハネを結びつける主要な役割も果たしたのかも知れない。
 この点に関して、ルカはその著ルカ福音書の冒頭に次のように述べている。「多くの人々が我々の間で完遂されたできごとに関する解釈を書き記し始めた。彼らは、初期の弟子たちから伝えられ、我々の間に流布している目撃者の報告を用いている。」(ルカ1:1-2)『我々の間で完遂されたできごと』と言う表現から、イエス本人や直弟子たちがそのように考えていたかどうかは別にして、『イエスの宗教改革運動』が、異邦人教会の間で準備され、遂行されたと、少なくともルカは考えていたことが窺える。『我々の間に流布している目撃者の報告』とは、おそらくQ 資料を指しているのだろう。(キリスト教の起源P.54)
 また使徒行伝には、イタリア隊の指揮官コルネリオの依頼を受けたペテロがローマ総督府カエサリアに赴き、大勢の会衆にイエス・キリストの名の下に聖霊を受けさせたと言う記事が存在する。(使徒10:1-48) このことから、ローマ総督ピラトが、総督府カエサリアにおいてさえエルサレム教会の活動を単に黙認していただけでなく、後援していたことが窺える。この時、ペテロはエルサレムから直線距離で北西に約68キロ、またカエサリアから南方に約54キロのヨッパ在住のシモンと言う革職人(非ユダヤ人)の家で、コルネリオの使いと面会しており、ヘレニスト信者が仲介役を果たしたことが、ここにも暗示されている。おそらくバルナバやルカに代表されるヘレニスト・グループは、イエスが誕生する遙か以前から非ユダヤ人にも受け入れやすい異邦人向けユダヤ教の布教を行っており、この頃には、そのシンパがローマ軍の中にさえ多数存在したものと見られる。

○パウロとマルコの仲違い




 キリスト教会のひな形として、アンティオキア教会の立ち上げに成功したバルナバとパウロは、さらに多くの信徒を獲得することを目指して、小アジアとその周辺の地中海地域を巡る宣教旅行に出かけた。この時、二人は、最後の晩餐やエルサレム教会発足の会場になったエッセネ派集会所の管理人マリアの息子で、ヨハネと呼ばれるマルコを一緒に連れていった。ところがマルコは、キプロス島での宣教が終わると、自分だけエルサレムに帰ってしまった。
 第1回の宣教旅行後、エルサレムに赴き使徒会議において、異邦人信徒には割礼や食事に関する律法の厳格な遵守を免除する決議を採択させただけでなく、異邦人に布教する使徒としての地位を認められたパウロは、直ちに第2回宣教旅行に乗り出した。この時、バルナバは、再度マルコを同行させるよう求めたが、パウロは断固これを拒否した。激論の末、結局バルナバは、マルコを連れてキプロス島に向かい、パウロはシラスを同伴して、シリア州やキリキア州に向けて出発した。(使徒13:1-13/15:1-41)
 バルナバは、パウロとマルコの仲を必死に取り持とうとしたが、パウロとマルコには、どうしてもそりが合わない決定的な障害が存在したものと見られる。

○使徒会議の決議
 ちなみに、アンティオキア教会を代表してエルサレムに赴いたパウロとバルナバは、エルサレム教会の一部の教師が、ヘレニスト信者に対して割礼や律法の厳格な遵守を求め、混乱が生じていると苦情を述べた。このため使徒会議が開かれ、ヘレニスト信者には、「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けること」以外の一切の律法の遵守を強要しないことが決議された他(使徒15:29)、小ヤコブ、ペテロ、ヨハネ等は、割礼を受けたものを対象に、パウロとバルナバは異邦人を対象に、それぞれ布教活動を行うことが決まった。(ガラ2:9)





○マルコの同行を拒絶した理由
 パウロは、上記の使徒会議後に書かれた『ガラテヤ信徒への手紙』の中で、「自分が伝える福音は、生前のイエス本人から教えられたものでもなければ、イエスの直弟子からでもなく、パウロ自身の内に蘇った復活のイエスから伝えられたものである(ガラ1:11-12)」とし、「彼ら(小ヤコブ、ペテロ、ヨハネ等エルサレム教会の重立った人々)がどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない(ガラ2:6)」と言い切っている。さらに、同じ時期に書かれた『コリント信徒への手紙二』の中では「ですからわたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。たとえ肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」(コリント二5:16)とも述べている。
 エルサレム教会を率いる小ヤコブはイエスの弟であっただけでなく、ユダ族ダビデとレビ族アロンの末裔として、正統な大祭司の血統と見なされていた。またヨハネ福音書の記述はペテロが洗礼者ヨハネの息子であったことを暗示している(ヨハネ1:42)。一方、トマス福音書はマルコの母親と目されるマリア・サロメが、イエスと親密な関係にあったことを明示しており(トマス61)、ヨハネ福音書に描かれた最後の晩餐の席でイエスの胸に抱かれていた若者(ヨハネ13:23)やオリーブ山でイエスが捕縛された際、まとっていた麻布1枚も脱ぎ捨て裸で逃げ去った少年(マルコ14:51-52)が、マルコ自身であったことが窺える。
 しかしパウロにとっては、復活したイエス、換言すれば、スピリチュアルなイエスを我々の内に宿すことが重要なのであり、生前のイエスがどんな人物であったかなど問題ではなかった。したがって、仮にマルコがイエスの最愛の弟子であったり、さらには実子であったとすれば、こうした福音を伝える宣教旅行にマルコを同伴することなど到底できななかったことは、容易に想像がつく。<以下次号>





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
 ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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【参照】

○《ガラテヤ信徒への手紙》
 「兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。
 ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。そして、同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心であった。
 ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。
 その後三年たってから、わたしはケパ(ペテロ)をたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。
 ここに書いていることは、神のみまえで言うが、決して偽りではない。その後、わたしはシリヤとキリキヤとの地方に行った。しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られていなかった。ただ彼らは、「かつて自分たちを迫害した者が、以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」と聞き、わたしのことで、神をほめたたえた。
 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、『重だった人たち』には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。
 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。そして、かの『重だった人たち』からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの『重だった人たち』は、わたしに何も加えることをしなかった。 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。 (ガラテヤ信徒への手紙1;11-24 / 2:1-9)

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