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2015-11-13 ArtNo.45557
◆書評:聖霊のバプテスマ(不思善不思悪)




 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生まれ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。(ヨハネ18:37-38)

○ローマ総督ピラトの来歴
 ローマ皇帝ティベリウスにより、西暦26年に属州ユダヤの総督に任命されたピラト(ポンティウス・ピーラートゥス)は、イタリア南部のサムニウム人で、騎士階級の下級貴族、ポンティ家の出身だったようだ。執政武官(副司令官)として入隊後、昇進して、30歳になる前に総督に任じられた。たいていの長官たちに比べ、はるかに長い10年間も総督の職を務めたことから、武官としても、地方長官としても、相当優秀だったに違いない。
 しかし『ポンテオ・ピラト(Pilate: The Biography of An Invented Man)』の著者アン・ロー(Ann Wroe)女史は、『人間的弱さそのものであり、秩序や地位を守るためなら人ひとりの命を犠牲にすることもいとわないような政治家の典型』と酷評している。
 ピラトと同じ騎士階級の長官たちは、たいてい未開の地へ派遣され、治安の維持の他、種々の間接税や人頭税の徴収の監督もしたと言う。




 ピラトは、当然ながらローマ皇帝の肖像を描いた軍旗を掲げてエルサレムに入城したが、偶像崇拝を否定するユダヤ人達は、カエサリアのローマ総督府を取り囲み抗議した。ピラトは、5日間これを無視したが、6日目になって「解散しなければ処刑する」と警告した。しかしユダヤ人が「たとえ処刑されても、律法に反することは認められない」と反駁すると、ピラトは軍旗を掲げることを止め、群衆と和解した。
 ユダヤ人のエルサレム神殿への献金の一部は、公共事業に合法的に用いることができた。そこでピラトは、神殿貴族らの協力を得て、積極的にエルサレムの治水事業を推進した。ところがユダヤ人達は、ピラトが神殿の宝物をかってに流用したと抗議、騒乱を起こした。ピラトは、兵士らに剣の代わりに、棍棒を持たせ、暴徒を鎮圧させた。
 この時期、ユダヤでは騒乱や反乱が頻発しており、大規模な反乱が生じた際には、複数の軍団の指揮権を持つ、皇帝直属のシリア総督に頼ることができた。ところが、ピラトの在職中のかなりの期間、シリア総督が不在だったことから、騒乱が起きた場合は、配下の限られた兵員で迅速に処理せねばならなかった。
 また、皇帝の威信やローマの権威を脅かす問題は皇帝に報告しなければならず、自分が管轄する属州で発生した事件については、他から苦情が申し立てられる前に皇帝に釈明する必要があった。下級貴族の身でこれらの難題を処理したピラトの心労は察するにあまりある。





○イエスとの対面
西暦33年、ユダヤ暦ニサンの月14日の早朝、祭司および律法学者らの代表が、ユダヤの国王を僭称したとする一人の男を死刑にするよう要求した。ユダヤでは、日常の裁判はユダヤ人に任されていたが、死刑を判決する際は、総督の認可を必要とした。
 ピラトは、この男、つまりイエスがローマを脅かす存在でないことを見て取り、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(ヨハネ18:37-38、ルカ23:4)と述べ、イエスの出身地ガリラヤの支配者ヘロデ・アンテパスの判断も求めた上、過ぎ越しの祭りに1人の囚人に恩赦を与える習慣に従ってイエスを許そうとした。
 当初のシナリオでは、おそらくこの時点でイエスは釈放され、弟子達より早くガリラヤに戻れるはずだった(マルコ14:28,16:7,マタイ28:7,10)。この点に関しては、総督、ヘロデ王家、神殿およびサンヘドリンの主立ったリーダーの間でコンセンサスが形成されていたものと見られる。しかし予想外の事態が生じた。すなわち、群衆は、別の囚人バラバの釈放を求めた(ルカ23:5-19)。そこでピラトは水を持って来させて手を洗い、「この男の血について自分には、責任がない、お前達の責任だ」(マタイ27:24)と述べ、終に死刑を判決した。





○失脚
 その後、大勢のサマリヤ人がケムリジ山に集結したとの情報を得たピラトは、騒乱を未然に防止するため兵士を派遣して鎮圧させた。これらの群衆は、モーゼが埋めた財宝を発見するのが目的だったとされるが、兵士は、かなりの群衆を殺傷したようだ。憤激したサマリヤ人は、ピラトの上司に当たるシリア総督ルキウス・ウィテリウスに直訴した。ウィテリウスはピラトに、ローマに赴き皇帝に釈明するように命じたが、ピラトがローマに到着する前にティベリウス帝は死去した。その後のピラトの動静は定かでなく、自殺したとも、クリスチャンになったとも、故郷の南イタリアに戻り余生を過ごしたとも伝えられている。(ソース:ものみの塔)

○神の国はあなた方の内にありまた外にある
 あるパリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねると、イエスは「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と答えた。(ルカ17:20-21)
 イエスはまた言われた、「もしあなた方を導くものが、あなた方に、『見よ、御国は天にある』と言うならば、天の鳥があなた方より先に御国へ来るであろう。彼らがあなた方に、『それは海にある』と言うならば、魚があなた方よりも先に御国へ来るであろう。そうではなくて御国はあなた方のただ中にある。そしてそれはあなた方の外にある。あなた方があなた方自身を知る時に、その時にあなた方は知られるであろう。そしてあなた方は知るであろう。あなた方が生ける父の子らであることを。しかし、あなた方があなた方自身を知らないなら、あなた方は貧困の中にあり、そしてあなた方は貧困である。」(トマス3)
 それでは、一体どうしたら、自分が神の子であると言う自覚を得られるのだろうか。





○四品将軍陳恵明出家の因縁
 唐王朝が全盛を極めた太宗皇帝の貞観(じょうがん)年間(627-649)のこと、中国湖北省蘄州黄梅県黄梅山の東山寺に恵明と言う上座がいた。上座と言うのは、一般に修行歴10年以上の古参の修行僧のこと。明上座の俗姓は陳で、後に蒙山恵明禅師と称された。また出家する前の四品将軍と言う肩書きから見て、ローマ帝国のユダヤ総督ピラト、現代ならさしずめ、シリア駐屯米軍司令官と国際治安支援部隊(ISAF)司令官を兼務する4スター・ジェネラルと言ったところか。
 横道にそれるが、隋朝末期の大業十三年(617)、瓦岡(河南省滑県南部)の農民が反乱を起こした際、隋の煬帝にはもはや名だたる武将がいなかった。このため、煬帝は、親信の虎贲郎将(中央警護団長)劉長恭と光禄少卿(典礼膳羞副長官)の房崱に合計2万5000人の兵馬を授け、一揆の討伐に向かわせた。しかし、隋軍は、石子河(河南省鞏県東部)の戦いで大敗、半数以上が戦死しただけでなく、当時最新英の武器もすべて反乱軍に奪われ、隋朝滅亡の主因になった。この時、副将を務めた房崱の官位が従四品だったことから、主将の官位はおそらく、それを上回る正四品か、同レベルの従四品だったと見られる。




と言うことから、正四品にしろ従四品にしろ、明上座も相当高位の武官だったに違いない。剛毅朴訥な明上座は、権謀術数が渦巻き、時には苛斂誅求にも手を染めねばならない宮廷政治や武官の務めに嫌気がさし、出家したものの、10年以上修行したにも関わらず、悟りが開けず悶々としていた。

○本来無一物
 ちょうどその頃、東山寺の住持五祖弘忍(602-675)禅師は、後継者を指名するため、弟子たちにその心境を偈(詩)にして、それぞれ南廊の壁に張り出すよう命じた。弘忍の一番弟子の神秀上座(605-706)がすぐに「身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし。時時に払拭して塵埃をひかしむるなかれ」と大書した。すると、米つきをしていた新参の恵能(638-713)が、その隣に、「菩提もと樹にあらず、明鏡また台なし。本来無一物いずれのところにか塵埃をひかん」と書き添えた。
 弘忍禅師は、恵能の偈を見て感心し、その日から特別レッスンを施し、金剛経一巻を説き終わると、恵能に衣鉢を授け、他の弟子たちの嫉みを受けぬよう密かに南方に逐電させた。これを知り我に返た明上座は、矢も楯もたまらず健脚にものを言わせ恵能を追いかけ、終に江西省と広東省の省境に位置する大ゆ嶺で追いついた。





○不思善不思悪
 恵能は、てっきり大力無双の明上座が衣鉢を取り返すために追いかけて来たものと思い、「この衣は信を表わす。力をもって争うべけんや、君が将(も)ち去るに任す」といって、衣鉢を岩の上に放り出した。しかし明上座は、「我は来たって法を求む、衣のためにするに非ず。願わくば行者(あんじゃ)開示したまえ」とかえって教えを請うた。
 そこで六祖は、すかさず「善を思わず、悪を思わず、父母未生以前、正恁麼の時、那こかこれ、明上座本来の面目」と大音声で問た。これを聞き全身に汗をかき大悟した明上座は、涙を流して礼拝すると、かさねて「今おっしゃった密語密意の外に、さらに意旨(いし)有りや」問うた。すると恵能禅師は、「私が説いたものは、密語でも密意でもない。自分自身を返照するなら(本来の面目を悟るなら)、密は(私の言葉ではなく)あなた自身の足下にある」と答えた。(無門関第二十三則)
 言葉が神と共にあり、神そのものであった原初(ヨハネ1:1-2)、換言すれば、父母未生以前の本来の自己に立ち返るなら、天上天下唯我独尊、草木国土は本来成仏していると言う究極の救い(永遠の命)を得ることができる。その時、御国はあなたの内にあり、また外にある。





○大死底の人、活する時如何
 それでは、大死一番して悟った明上座が、権謀術数苛斂誅求がまかり通る中央政界の四品将軍の地位に戻ったらどうしたろう。
 趙州従諗禅師(778~897年)がこの点を投子大同禅師(819~914年)に『大死底の人、却って活する時如何』と尋ねたところ、投子は、『夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし』と答えた。(碧巌録第四十一則:趙州大死底の人)
 碧巌録の監修責任者、圜悟克勤禅師は、この公案に、「現世において是非が交結し、順逆が縦横する際は、如何なる聖人も仏も、知ることも弁別することもできない」と垂示している。したがって、日が暮れたら、むやみに暗闇を徘徊せず、懐中電灯で足下を確認しながら歩くべきだし、氷凌の上を行き、劍刃の上を歩くなどしないに越したことはない。しかし、どうしてもそうせねばならない時は、できるだけ準備をし、死も覚悟して実行するまでである。何となれば、あなたは、天上天下唯我独尊、草木国土悉皆成仏という究極の救いと生死を超越した永遠の命を既に手に入れているのだから。<以下次号>





○『聖霊のバプテスマ』とは一体何か
 ヨハネ福音書の弁証法に従うなら、
【テーゼ】 『人は、人の子の証しを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けることにより永遠の命を得られる(ヨハネ5:24)』。
【アンチ・テーゼ】 しかし、『地上の人間は、決して天から来たものの証しを理解できない(ヨハネ3:32)』。
それでは、地上の人間はどうして永遠の命を得られるのか。
【ジン・テーゼ】 『地上の人間は始めに神と共にあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、神が全き真理であることを自ら覚知すればよい(ヨハネ3:33)』。
文益禅師は「お前は慧超だ」と答えることにより、慧超自身の内に秘められた『真の自己(声前の一句)』を突きき付けたのである。(キリスト教の起源p.155)
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