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2014-09-05 ArtNo.45323
◆書評:イエスとグノーティシズム--禅の起源(1)




 ギリシア哲学がアレキサンダー大王の東征に伴い東方世界に伝播した過程で、ユダヤ、エジプト、ペルシア、インド等の宗教や文化と融合し、グノーシス主義(覚智思想)の潮流が生じた。広義に捉えれば大乗仏教運動も、その一部と言えるかも知れない。また世界各地に拡散したユダヤ人やペルシア人がその担い手として主要な役割を演じており、達磨や鳩摩羅什もその一人だった可能性がある。




○Q語録とグノーシス主義
 福音書の編者らは、ヨハネを除き、どうやら直接イエスの教えに接したことがなかったようだ。新約聖書の4つの福音書、特に共観福音書と言われるマルコ伝、マタイ伝、ルカ伝には多くの類似の記事が存在することから、これらの福音書が、共通に参考にしたいわゆるQ資料と言うイエスの語録のようなものが存在したのではないかと考えられていたが、近代になって死海文書やナグハマディ文書等から再現された同語録は、グノーシス派の教理が基調になっているようだ。しかし、マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝の編者はグノーシス主義の教理をほとんど理解していなかったものと見られる。
 ギリシア哲学がアレキサンダー大王の東征に伴い東方世界に伝播した過程で、ユダヤ、エジプト、ペルシア、インド等の宗教や文化と融合し、グノーシス主義(覚智思想)の潮流が生じた。広義に捉えれば大乗仏教運動も、その一部と言えるかも知れない。また世界各地に拡散したユダヤ人やペルシア人がその担い手として主要な役割を演じており、達磨や鳩摩羅什もその一人だった可能性がある。

○12使徒の出自
 ノースカロライナ大学宗教学研究所所長のジェイムズD.テイバー教授によると、マタイ、ルカ、マルコ3福音書は、十二使徒の名を挙げる場合、一貫して4人づつ3組に分けている。
 第1組:シモン・ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ。
 第2組:ピリポ、ナタナエル(バルトロマイ)、マタイ、トマス。
 第3組:小ヤコブ、タダイ(ユダ)、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ。

○光の子らを自称する2グループ
 ヨハネ伝の編者とされるヨハネは、兄の大ヤコブや、シモン・ペテロ、アンデレとともに、元々洗礼者ヨハネの弟子だったようだが(ヨハネ1:35-42)、ピリポ、ナタナエル、トマスは、『光りの子ら』と称する別のグループに属してており(トマス50、ヨハネ1:43-51、使徒8:5-13)、イエスはこのグノーシス・グループのリーダーだったものと見られる。イエスはニコデモに聖霊のバプテスマについて語った際、「わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。(ヨハネ3:11)」と、一人称の複数形を用い『光の子ら』と称するグループが聖霊のバプテスマについて証しをしていたことを暗示している。
 洗礼者ヨハネとつながりが深いとされる死海のほとりクムランを拠点に活動していたグループも自らを『光りの子ら』と称していたとされる。しかし彼らはユダヤ教の掟を厳格に守る原理主義集団だった。これに対してグノーシス派の教理は旧約の神の否定によって特徴付けられる。ちなみにイエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダも、グノーシス派に属する光の子らの一人だったかも知れない。

○イエスの3人の側近
 イエスの思想的基盤はグノーシス主義だったと見られるが、彼は常に洗礼者ヨハネから引き継いだペテロと大ヤコブ-ヨハネ兄弟の3人を側近として従えていたとされる(マタイ17:1,26:37)。恐らくこの3人が、洗礼者ヨハネをイエスの登場を準備する先駆者として位置づけ、同時にまた洗礼者ヨハネ亡き後、エッセネ派グループとイエス教団を結びつける上で重要な役割を担ったものと考えられる。ヨハネ福音書によれば、洗礼者ヨハネは、エルサレムからの使者や自身の弟子に自分はメシアではないと、二度否定しているが(ヨハネ1:20,3:28)、このことから生前のヨハネはメシアと見なされていたことが窺える。洗礼者ヨハネ亡き後、エッセネ派は自分たちを率いる新たなメシアを求めていたものと見られる。

○主の兄弟
 一方、やはり原理主義集団と言われるナジル派の祭司として、大祭司のみに許された神殿における祭儀を執り行っていたとされるイエスの弟の小ヤコブは、義人と謳われ、イエスが布教活動に乗り出す前から、エルサレムの宗教界において絶大な信望と、ある種の権勢を保持していたようだ。そのことは、大使徒ペテロを面罵したパウロでさえ、ヤコブから指示されるままに自分の信条に反するナジルの誓願(使徒21:23-27)を行ったことからも窺える。
 4世紀の神学者エピファニオスによると、ヤコブは、祭司のみに許されていた神殿の聖所に入り、ナジル派信徒のための神殿儀式を執り行っていた。つまり義人ヤコブは、ユダ族ダビデとレビ族アロンの末裔として、したがって正当な大祭司の血統として公認されていたものと見られる。
 小ヤコブが存在しなければ、イエスの処刑後にキリスト教団が存続できなかっただけでなく、イエスが十字架に掛けられることもなかったものと見られる。つまり、大祭司カイアファを初めとするエルサレムの宗教指導者達は、絶大な信望を有する小ヤコブの兄に白羽の矢を立て、神の子羊として十字架に掛けられる役割を委ねたのではないだろうか。
 テイバー教授は、十二使徒の残りの4人のうち、裏切り者とされるイスカリオテのユダを除く、徴税人のマタイ、熱心党のシモン、タダイ(ユダ)の3人も、明らかにイエスの弟であったと述べており、恐らくこれら3人は小ヤコブの影響を強く受けていたものと予想される。

【参照】


○死海文書○ナグハマディ文書○クムラン遺跡




















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