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2014-08-19 ArtNo.45284
◆書評:聖霊のバプテスマ(心印)
 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。真の礼拝者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。神は霊であり、神を礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝せねばならない。(ヨハネ4:22-24)

○真の礼拝者
 イエスは、パリサイ派の議員ニコデモに、水と霊から生まれ変わらなければ、神の国に入ることも見ることもできないと説き聞かせた(ヨハネ3:3-5)。この世は、言葉からうまれ(ヨハネ1:3)たにも関わらず、そのことを理解しない(ヨハネ1:5)だけでなく、言葉を受け入れることもない(ヨハネ1:10-11)。このため、肉から生まれた人は、光であり命であり恵みであり真理である聖霊を備えてはいるが、一度、肉体を捨て、水と霊から生まれ変わらない限り、神の国を見ることはできない。といっても別に水と霊から2度生まれ変わると言う訳ではない。水も霊も光も恵みも真理も、本来言葉では表現できない神の本質についてイエスが証した異なる形容に過ぎない。
 イエスはまたサマリアの水くみ女に、あなた方は、神が霊であると言うことを認識せずに祈っているが、生まれ変わって霊とまことをもって礼拝する時が近づいている。霊とまことを以て祈りさえすれば、全世界のどこにいようと、そこがエルサレムであり、メッカであり、霊鷲山である。わざわざ、イスラエルやイスラム国を再建する必要はない。日本も中国もアメリカも、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒もない、聖なる統一世界が実現する日が近づいている。いやあなた自身が目を開きさえすれば、即今ただ今御国は現成する。イエスは、「目をあけて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。いや既に刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。蒔く者も刈る者も、共に喜ぶためである。」(ヨハネ4:35-36)と我々に呼びかけている。

○鉄牛の機
 五代十国(907-960)の末期に、河南省信陽県郢州(えいしゅう)の牧主(地方長官)が、汝州風穴山の風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(896-973)を衙内(州役所)に招き、法会を催した。
 演壇に立った風穴和尚は、「達磨が伝えた教化別伝の心印は、夏王朝(B.C.2070-B.C.1600)を開いた禹帝が黄河の氾濫を治めるために鋳造した巨大な鉄牛の機(はたらき)に似ている。押せば印字され、放せば印字の形が現れる。それでは押しも、放しもしない、まさにその時、印か不印か、さあ何と言う」と聴衆に問うた。すると廬陂(ろひ)と言う長老が立ち上がり、「自分は初めから鉄牛の機を備えている。祖師の印可など不要だ」と大見得を切った。すると風穴和尚は「愚僧は鯨を釣り上げ大海を澄ませるのは慣れているが、どうやら蛙を泥沼に嵌めてしまったようだ」と大笑した。長老が唖然としていると、風穴和尚はすかさず「さあ鉄牛の機とやらを見せてみよ」と一喝した。長老がたじろぐと、風穴和尚は払子で長老を一打ちし、「どうだ分かったか、分かったら、その証拠を見せよ」と詰め寄った。長老が口を開こうとするとさらにもう一打ちした。このやりとりを観戦していた牧主が「なるほど仏法も王法も一つだ」と感嘆した。風穴和尚が、「ほう、一体どんな道理を悟られたか」と問うと、牧主は「断ずべき時に断ぜざれば、大乱を招く」と答えた。これを聞いて風穴和尚は、演壇を退いた。

○祖師の心印
 神の実体を知らずにエルサレムの神殿で祈っても、また回向返照を忘れて霊鷲山で坐禅を組んでも意味が無い。
 初めに神とともにあった言葉(ヨハネ1:1)に立ち返り、そのことを悟ったイエスは、その証しを行い、証しを受け入れたものに聖霊のバプテスマを施した。しかし、それ自身、神が全き真理であることを見証したものだけが、イエスの証しを受け入れ(ヨハネ3:33)、聖霊のバプテスマを受けることができる。これは卵が先か、鶏が先かの論理に似ている。
 『自分は本来鉄牛の機を備えているから、祖師の心印など不要だ』と大見得を切った廬陂長老は、孤峰頂上に盤踞して仏を呵し、祖を罵る気概を示したものの、風穴和尚から「鉄牛の機を見せよ」と詰め寄られると、たじろぎ、馬脚を現した。すでに悟ったものにとっては、祖師の心印も聖霊のバプテスマも無用の長物だが、この世においては、依然として聖霊のバプテスマを施すイエスや祖師の心印を伝授する風穴のような明眼の師家は欠かせない。

○蛇足
 曹洞宗で重んじられる従容録によれば、廬陂長老も臨済宗門下の尊宿と言う。既に禅林において尊宿と尊称されていたとすれば、風穴と廬陂の商量は、「仏法と王法は一つ」、「断ずべき時に断ぜざれば、大乱を招く」と言う牧主の答えを導くために、準備されたものだったと言える。イエスの十字架刑も、『人生の初めをその終わりに結びつけてスタートするものは、この世にいてすでに神の国に活きるもの』と言うイエスの信条を、あるいは「世界に離散したイスラエルの子らをエルサレムに呼び戻す」と言う大祭司カイアファの理想を、そしてまた「信仰義認」の教理を世界に布教すると言うパウロの情熱を実現するために、入念に準備されたものだったかも知れない。

【参照】


○碧巌録第38則 風穴祖師心印
 風穴、郢州(えいしゅう)の衙内に在って上堂して云く、「祖師の心印、状鉄牛の機に似たり去れば即ち印し、住すれば即ち印破す。ただ去らず住せざるが如きんば、印するが即ち是か、印せざるが即ち是か」。
 時に廬陂(ろひ)長老というものあり、出でて問う、「某甲(それがし) 鉄牛の機あり、請う師、印を搭せざれ」。
 穴云く、「鯨鯢(げいげい)を釣って巨浸を澄ましむるに慣れて、却って嗟(なげ)く蛙歩の泥沙にまろぶことを」。
 陂佇思す。
 穴、喝して云く、「長老、何ぞ進語せざる」。
 陂擬議(ぎぎ)す。
 穴、打つこと一払子(ほっす)、穴云く、「還って話頭を記得すや? 試みに挙す看ん」。
 陂口を開かんと擬(ほっ)す。
 穴、又打つこと一払子。
 牧主云く、「仏法と王法と一般(おなじ)なり」。
 穴、云く、「箇のなんの道理をか見る?」
 牧主云く、「断ずべきに当たって断ぜざれば、返ってその乱を招く」。
 穴、すなわち下座す。

○風穴延沼禅師系図





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