【書評】イエスが聖霊のバプテスマを施したことは、ヨハネ福音書や共観福音書だけでなくパウロの書簡でも語られている。興味深いことは、共観福音書とヨハネ福音書では何れも冒頭や初めの部分に洗礼者ヨハネの証しとして、そのことが明らかにされているが、パウロはその書簡の中でほとんど洗礼者ヨハネに言及していない。
○洗礼者ヨハネの証し
≪マルコ1:8≫
わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
≪マタイ3:11≫
私は、悔い改めのためにお前達に水の洗礼を施が、私の後に来る者は私より力を備えており、その方のサンダルは私にはふさわしくない。その方はお前達に聖霊と火の洗礼を施す。
≪ルカ3:16≫
そこでヨハネはみんなの者にむかって言われた、「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつひもを解く値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
≪ヨハネ1:32-34≫
ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊が鳩のように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったその方が、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下って留まるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
○キリストの予型
ヨハネ福音書のイエスは、ファリサイ派の指導者ニコデモに対し、私の役目は、
モーゼが荒野で上げた青銅の蛇になることだと説いている。
≪ヨハネ3:13-17≫
天から来たものだけが、天にのぼることができる。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは人の子を信じるものが永遠の生を得るためである。神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。神が御子を使わされたのは、この世を裁くためではなく、この世が救われるためである。
日本語版『トマスによる福音書』の著者、荒井献氏は、グノーシス的解釈においては、エデンの中央に生えている『善悪を知る(グノーシスケイン)木』からとって食べることを禁じた『主なる神』は人に『知識』による救済の可能性を閉ざす負的存在、それからとって食べることを勧めた『蛇』はそれを開示する正的存在、つまりイエス・キリストの予型として位置づけられる場合が多い、と述べている。
この点からも、ヨハネ福音書に登場するイエスはグノーシス的色彩の強い救済主と言えそうだ。
○啓示宗教への回帰に貢献したパウロ
ユダヤ教もキリスト教も神の啓示に基づく『啓示宗教』であり、信者がその内容を疑うことは許されない。しかし、アレキサンダー大王遠征後の東西文化の交流や、アレキサンドリアにおける旧約聖書のギリシア語への翻訳を契機に、ユダヤ教徒、取り分け改宗した新参ユダヤ教徒は、ギリシア、ペルシア、さらにはインド等の哲学、宗教を吸収し、積極的にユダヤ教の改革に乗り出した。パウロは、それ自身、こうしたグノーシス主義の潮流の中で、その神学を構築したにも関わらず、原始キリスト教団中のグノーシス派を迫害し、キリスト教の啓示宗教への回帰に貢献した。
○グノーシス救済神話の5つの特徴
日本語訳『ヨハネのアポクリュフォン』の著者、大貫隆氏は、グノーシス主義救済神話に共通する特徴として以下の5点を指摘している。
<1>人間の知力をもってしては把握できない至高神と現実の可視的・物質的世界との間には超えがたい断絶が生じている。
<2>人間の『霊』あるいは『魂』。すなわち『本源的自己』は元来その至高神と同質である。
<3>しかし、その『本来的自己』はこの可視的・物質的世界の中に『落下』し、そこに捕縛されて、本来の在り処を忘却してしまっている。
<4>その解放のためには、至高神が光りの世界から派遣する啓示者、あるいはそれに機能的に等しい呼びかけが到来し、人間の『自己』を覚醒しなければならない。
<5>やがて可視的・物質的世界が終末を迎える時には、その中に分散している神的な本質は至高神の領域へ回帰してゆく。
ヨハネ福音書は、以上の5条件をほぼ全て備えていると言えそうだが、パウロの書簡集にも、これらの特徴が少なからず垣間見られる。見方を変えれば、ヨハネ福音書は、その後に創作されたグノーシス救済神話の予型であったのかも知れず、またヨハネ福音書の著者は、グノーシス・グループのリーダー、シモン・マグスにまつわる救済神話やパウロの教説を参考にした可能性がある。
【参照】
○ウロボロス像
自分の尾を噛む蛇はグノーシス主義の代表的象徴の一つ。ギリシア語魔術パピルスに描かれた図像で、中に『万物は一つ』とギリシア語で記されている。--ヨハネのアポクリュフォン(大貫隆訳)
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