【書評】イエスは本来言葉や文字では表現できない聖霊(ホーリー・スピリット)、神そのもの、を伝えた。すなわち聖霊のバプテスマである。
エルマーR.グルーバー/ホルガー・ケルステン両氏の共著『イエスは仏教徒だった?』は、「イエスはたとえ話とメシャリーム(箴言)を好んだが、イエスがQ資料の中で用いたメシャリームとウダナヴァルガ(法句経)の説話は驚くほどの対称をなしており、禅仏教は、のちに警句による教えの伝統を『公案』と言う極地にまで高めた」と述べている。
『キリスト教の起源:[02]不立文字:ヨブ記に遡る聖霊のバプテスマ』
○私の言葉は霊
Q語録とも称されるいわゆる『Q資料』は、イエスが本来文字にも言葉にもあらわすことができない聖霊を、たとえや箴言を用いて弟子たちに伝授した際の記録であり、イエスは個々の弟子の能力やその場の状況に応じ、これらのたとえや箴言を用いており、弟子たちもそれぞれの能力に応じて理解し得た内容を書き留めたに過ぎない。
イエスは、「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」(ヨハネ6:63)と述べており、スピリットを忘れては、たとえや箴言は何の役にもたたない。
昭和初期に活動した澤木興道と言う曹洞宗の師家は、回光返照を忘れて公案をひねくり回すのは、「鼻の頭に糞をつけて屁元はどこだと探し回るようなもの」と、学人を激励したと言う。
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