【書評】初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神そのものであった。彼(イエス)は初めから神とともにあった。
ヨハネ福音書は、冒頭に、以上の一句を掲げ、神の口から出る言葉、言霊(ことだま)こそイエスの正体であること、これから全編を通じて説き明かすこの書の主題もそこにあることを明示している。
ある夜、イエスの下を訪れたニコデモと言うファリサイ人の指導者にイエスは、「肉から生まれるものは、肉でしかない。霊として生まれ変わらない限り、神の国に入ることなどできない。神の国が見たいなら、先ず生まれ変わることだ」と説き聞かせた。
イエスは、さらにモーゼが荒野で上げた蛇こそ、自分がこの世に示す唯一の印しであると述べ、直ちにヨルダン川に赴き、聖霊のバプテスマ、霊的再生運動に着手した。
○霊性的再生
ニコデモと言うファリサイ人の指導者がある夜、イエスの下を訪れ教えを請うた。イエスは言われた「誰にしろ生まれ変わることがない限り、神の国など見ることはできない。」ニコデモは答えた「もう一度母親の子宮に戻って、生まれ変わることなどできません。」イエスは言われた「水と聖霊から生まれたもののみが、神の国に入ることができる。肉から生まれるものは肉でしかなく、霊から生まれるものは霊である。風は思いのままに吹き、人はその音を聞くことができても、どこからそれが来てどこに向かうのか知ることはできない。霊から生まれるものとは、そう言うものである」と。(ヨハネ伝第3章1-8節)
瓦を磨いても鏡にならないように、衆生が如何に修行しても仏になることはできない(禅家が僧堂において学人を激励する常套語)。この世に生を得たもの、あるいは無生物も皆業を背負っており、業を離れて猫が犬になり、犬が人になる ことができないように、煩悩具足の衆生も仏になることはできない。肉から生まれたものは肉でしかないのである。
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○荒野であげられた蛇こそ自分の役割
○絶対他力の究極の果実
○イエスの協力者
○他力と自力の接点
○地獄の門
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