【ニューデリー】インドの情報技術(IT)企業はこれまで米国市場にのみ目を向け、米国に次ぐ第2のソフトウェア、サービス市場、日本を無視して来たが、米国景気の後退に伴い潜在的IT輸出市場としての日本に対する関心が高まりつつある。
エコノミック・タイムズが8月21日報じたところによると、例えばWiproは日本市場の開拓に最も積極的に取り組むインド企業に数えられる。この他、Infosys、Datamatics、Polaris、IBM Global Services in India等が、日本市場に足場を築いており、インド企業約90社がソフトウェアを日本に輸出している。ちなみに1992-93年には僅か6社が日本にソフトウェアを輸出していた。また目下インド企業46社が日本企業とソフトウェア開発のアウトソーシング契約を結んでいる。
商工省傘下の電子ソフトウェア委員会(Electronics and Software Council)の統計によれば、2000-01年のインドの対日ソフトウェア輸出は1億5000万米ドルと、前年の9535万米ドルから64.6%アップした。インドの対日ソフトウェア輸出は1996-97年に前年比105.7%増の3070万米ドルを記録、突破口を開いた。その後1997-98年には122.7%増の6474万米ドルがマークされた。
対日ソフトウェア輸出のトップ10企業を見ると、Wipro、Infosys、Tata Consultancy Servicesが順当に上位3位を占めているが、4位以下は、L&T Information Technology、Zensar Technologies、IBM Global Services、Netwoek Systems & Technologies、Compete Business Solutions、Yokogawa Bluestar、i-flexと、インドのトップ10ソフトウェア企業の顔ぶれとは全く異なる。そこにはインド企業の日本市場開拓の興味深いサクセス・ストーリーも存在する。新生銀行(旧社名日本長期信用銀行)を巡るエピソードはその1つ。日本の金融危機で、一群の外国投資家が新生銀行の支配権益を握って後、新生銀行の管理職に数人のインド人が加わった。このことは、日本銀行界が初めてインドのIT企業に目を向ける発端になった。インド企業3社-iflex、Mphasis-BFL、Polaris Softwareがこの機に乗じてソフトウェア開発ビジネスを獲得したばかりでなく、コンサルティング等の名目で資金も獲得した。
しかしながら全国ソフトウェア・サービス企業協会(NASSCOM:National Association of Software and Services Companies)のSaurabh Srivastava名誉会長は、「日本は重要市場には違いないが、開拓には困難なハード・ナッツ」と形容する。某IT企業の幹部(CEO)も「日本文化は米国文化のようにオープンではない。日本語を理解することが、日本のビジネス・サークルの信頼を得る上で重要なばかりでなく、日本式のビジネス・スタイルを理解することが、日本市場に橋頭堡を築くための重要な鍵になる」と語った。ESCのD K Sareen重役(ED)は「日本市場を開拓するには忍耐が必要。日本企業と関係を築くには時間がかかる。しかし一旦確立した関係は概して長期にわたる」と語った。
対日ビジネスの今後の成長領域としては組み込みソフトウェアが挙げられ、既にソニー、日立、富士通等がインド企業とこの方面の提携を結んでいる。コール・センターもその1つで、米国にプレゼンスを築いた日系商社は、米国顧客のニーズに応じるためコール・センター・サービスを必要としている。
こうした中で電子製品/コンピューター・ソフトウェア輸出促進委員会(ESC:Electronics And Computer Software Export Promotion Council)は日本国際協力事業団(JICA)と共同で、インドIT中小企業の日本市場に対する理解を支援するプロジェクトを手掛けていると言う。